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2008.10.16

福岡の大建築家

昨日は公開講座ということで、市民相手に建築のレクチュアをした。

与えられたお題は「福岡の大建築家」というもので、さて、大建築家とはなにか、地方都市に大建築家は育つのか、などと思案した。で、こんなことを話した。

一般論としては、建築文化インフラが大切です。バルセロナでは1860年代に建築大学ができて、しばらくしてガウディが登場した。九州の建築学科はいずれも戦後まもなくの創設です。バルセロナの状況を、100年ずらすとちょうどいい。すると福岡から大建築家がでるのはそろそろ。1970年代に新幹線博多駅ができ、政令指定都市となった。いままでは成長の時代であった。これからは成熟の時期となって、道州制のもと九州の地域首都となるだろうし、そこから大建築家が誕生するのではないでしょうか。

さて事務所が福岡、作品を多く残した、という意味での大建築家はすでにいる。そこで磯崎新さんと葉祥栄さんに代表してもらった。

磯崎さんは、博多駅前の銀行とその支店、秀巧社ビル、など1970年代におおくの作品をのこし、オリンピックマスタープランで帰ってきた。国際的建築家であるが、福岡の大建築家としていただいてもいいかな。

葉さんは、福岡だけではなく九州北部に多く作品を残していて、インゴット、光格子の家、小国ドーム、内野コミュニティセンター、など数え切れない。国際的評価も高い。しかも事務所はずっと福岡市内なので、福岡の大建築家とよんでいい。

ふたりに共通しているのは普遍性への希求。磯崎さんはキューブ、円筒などプラトン的形態、一種の永遠の海上都市であるヴェネチアを典例として東京計画1960、海市プロジェクト、そして博多湾オリンピックプロジェクトなど、テーマ設定に永遠性、普遍性をいつも盛り込もうとする。

葉さんも普遍性をめざすが、磯崎さんのようなプラトン主義ではない。彼は光、風、重力といった自然を構成するある要素に注目し、それをパラメータとして設計にいかす。彼がいつもいうのは「最適解」。ちょうど空中の水分が、上昇し、ある高さに達すると、気圧と温度の関係かあら、結露し、雲となる。この「高さ」は人が恣意的に決めるのではなく、まさに最適解として決まっている。そんな原理で建築を決めようというのが葉さんである。だから海外のメディアによく理解され、紹介される。

福岡の大建築家は「普遍性」をめざすことで偉大な存在と認められるのだ、というような結びです。地域文化を背負ってるようなガウディも、別の側面では、普遍性をめざしている

・・・なんてことを説明して、あとは30~40分、質疑応答。

アートに詳しい人もいて、関心は高かった。福岡からは人材はでるので希望はもてる。しかし建築ジャーナリズムを首都に独占されているので自前の価値基準創設ができない。文化インフラは大切。人口は福岡の3分の1であるボルドーでも建築文化センターは運営できている。建築はある側面で無駄であるからこそ価値がある。ピラミッド、宮殿はまったく無駄な造作ですが、しかし当時の人びとの創意や労働や冨を、形にし、永遠化しました。・・・・といったようなことが共有できたと思います。

終わったあとでもっといい説明を考えました。人間はいつも「過剰」を求めるものです。建築家が普遍性や永遠性をもとめるのは、この過剰性への希求です。建築はまず用を満足させること、とよくいわれますが、この「用」そのものが発展します。つまり200年前は水道は当たり前ではなかった、100年前は水洗トイレはあたりまえでなかった、20年前はインターネットはあたりまえでなかった、などを思い出していけば、「用」そのものがいつも現状よりも過剰にあろうとしているのです。だから機能主義などというものは、この「用」が固定されていると勘違いしているので、基本的に成り立たないのです。

だからどうやって、つねに「過剰」でありつづけるか?

それを考えるのが楽しい。たぶん。

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