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2008.10.30

エコール・デ・ボザールで『身体の図像』展

パリのエコール・デ・ボザールでの展覧会である(ウェブ版ル・モンド紙2008年10月30日の記事)。Ensba(ボザール校舎), 13, quai Malaquais, Paris-6e. Du mardi au dimanche de 13 heures à 19 heures. 4 €. Jusqu'au 4 janvier. Catalogue, 510 p., 45 €.・・・ということで、1月4日までならいけるかな?

ダヴィンチの解剖学図像は有名だ。彼はおなじ原理で建築デッサンも作成したこと、それがたとえばローマのサンピエトロ計画の基礎となったこともよく知られている。そのとき、身体が美しき比例を満たしていること、またウィトルウィウス的身体といって、四肢を広げた身体が正方形や、円に内接することを描いたデッサンも有名だ。もっともあれがウィトルウィウス建築十書の挿図であることは、それほど周知はされていないが(建築の人間は自分たちのものと思っているが)。

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頭部のデッサンだけで、Léonard de Vinci, Michel-Ange, Dürer, Le Brun, Hogarth, Houdon, Géricaultなど59点もあるそうだ。

展示されたものはほとんどエコール・デ・ボザール自身のコレクションである。ペヴスナーが『美術アカデミーの歴史』で説明しているように、ルネサンス以降の美術教育の基礎は、まさに人体デッサンであった。16世紀イタリアのアカデミア・デル・ディセーニョからはじまる伝統だ。だからこのエコール・デ・ボザールも、1648年に設立された当初から、この方面に力をいれていた。どうじに17世紀は、解剖学、医学が発展した時期であった(17世紀=科学革命でもあった)。

だから美術=医学・解剖学、という蜜月時代であった。

アーティストは、医学のために、観察し、デッサンした。これはちょうど今日、ヴァーチャルリアリティの専門家と医者が共同して、3D身体モデルを作成しているようなものだ。

さて記事にそくして、内容を説明すると。ルネサンスから18世紀まで。上記のような蜜月時代。Vinci, Michel-Ange, Vésale, Lomazzo, Martinez, Adam et Gamelinなど。1746年、Gautier-Dagoty が彩色をはじめる。Mascagni、Bonamy, Barye, Géricault, Dumoutier, Paul Richer, Marey, Muybridge, Duchenne de Boulogneなどが取り上げられる。

通説どおりだが、18世紀の劇場型の解剖学教室のこと、19世紀前半の病原的興味のことなども紹介されているらしい。それから写真などもっと近代技術が導入され、医学と美術は分離し、おたがいに無関心になってゆく。

記事は、4世紀つづいた美術と医学の蜜月のあと、相互無関心の時期はあったが、美術学生はふたたび解剖学に興味をもちだした、というようなことで終わっていた。

・・・・人体と建築のアナロジーはダヴィンチ以降、というよりすでにウィトルウィウス以来、伝統的なものである。ルネサンスにおいては機械論的メカニズム、数学的比例ということを介してであった。また19世紀末の感情移入論的建築論においては、たとえばヴェルフリンなどが、人間が身体の図式を投影して、建築を観察するという図式を提案している。最近ではA・ヴィドラーが人間がいだく心理や不安などといった概念を投影して建築を解釈している。これなどは、いちど脱人間化を模索したあとの、建築の再人間化なのであろう。フロイトの理論を枠組みとして導入しているように、基本的には19世紀末ウィーンなのであろうという感じがする。

さて人間(身体)との類推で建築を考えるのか、逆方向に、建築との類推で身体を考えるのか、シナリオはふたつだ。当事者たちはひとつをモデルとし、他方を対象としていることは明らかだ。それは自覚的に、方法論的にやっていることだ。

しかし距離をとって第三者的にみれば、アナロジーの2項のより上位に、普遍的な図式が設定されていることは明らかであるように思われる。人間機械論は、機械人間論なのかもしれない。つまり人間も機械もおなじように説明できてしまう普遍的図式、それはメタ機械かもしれないし、メタ人間なのかもしれない。そしてこのメタレベルは、しばしば無自覚的になされることもある。・・・こんなことがずっとなされてきたのではないか、という気がする。

遠目で専門家たちを眺めると、ちょっとまえまでのグニャグニャ建築は、CTスキャンや3Dモデルで人間身体を描いているようなものだし、さまざまな臓器で隙間なく埋め尽くされた身体、などと書いてみると、まったく建築モデルそのものであるし、そのような建築はたくさん製作されたし見られてきた(たとえば伊東豊雄さんのあれ)。VR専門家と医学者の共同研究などもなされているそうで、3DのVRで構築された(描かれた?)身体は、解剖学の検体のかわりにもなるし、手術の練習台、疾患のモデル、などにもなるそうである。ましてや建築など、といった感じである。

CTスキャン、MRIなど20年前はなかった(正確にはあったが一般人の日常からは遠かった)。レントゲンなどは古典的と思えるが、それでもやはり近代のもの。現在は、簡単な手術でも、これらハイテクで患部の内臓、神経、骨格を立体的に把握したうえで、つまり徹底的にサーヴェイし、手術プランをたて、執刀する。逆に、それまではかなり経験と勘に頼っていたはずで、ゴッドハンドなる名医とそうでない人の差はかなりあったのだろうね。ああ怖い。

そして内視鏡手術がますます多くなる。すべて画像データによる世界となって、VR的になる。VRにより身体を構築することの重要性はますます高くなる。

もっとも建築家もいっているように、住宅ていどなら手でやったほうがずっとはやい、のであるが。

ともあれアナロジーで面白いことは、アナロジーは異なる2項目の類似性や関連性を考察することなのであるが、この両項目ともどんどん進化し変化しうるものである、ということだ。もっと都合良くいうと、そこに歴史性があるのであろう。きっと。

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