« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年8月の2件の記事

2008.08.15

「反=アンチ」の世紀をふりかえって

20世紀は「反=アンチ」の世紀であった。ということで連想ゲームをしてみて、いろいろ要素抽出してみる。するとけっこう深い(当たり前!)。とりあえず食材をまな板のうえに並べてみよう。

「反哲学」。先日、うっかりしたことから福岡/横浜を飛行機ではなく新幹線で移動するはめとなって、しかたなく書店で暇つぶし本を物色していたら、木田元(1928年生)『反哲学入門』(新潮社2007)があったので、買って読んだ。インタビューの書き起こしなので平易に読めて、面白かった。ようするに西洋哲学をプラトン以前、以降にわける。プラトン以前は、生成的自然観による哲学である。プラトンは、世界をすでに構築されたものとして把握するという、西洋哲学の根幹をつくり、その呪縛はずっとつづいているという。これは丸山眞男の〈なる〉理論から〈つくる〉理論への移行が日本における近代の成立であるという論理とパラレルに措定されているのであるが。木田は、この視点から、ニーチェ、ハイデガーなどといった反哲学の人びとについて語るのである。

「反解釈」とは、もちろんスーザン・ソンタグ(1933年生)の『反解釈』である。学生時代に読んで、そのときはほとんど理解できていなかったと思われるが、数年前に文庫本で読み直してみて、批評とは知性による世界への復讐であるといった指摘におおいに共感したのであった。建築批評をとおして、近代批評は、批評者が批評することによって建築を、建築家からいや建築そのものから、奪ってしまう、そういう類の批評行為であると感じていたからであった。とはいえ彼女がそんなアンチを唱えるのは、20世紀中庸においてすでにアメリカの文化のなかで、批評がじゅうぶん成熟していたという背景をふまえてのことであるのだが。

「反芸術」。広くはシュールレアリスムやダダのころから始まる、既成芸術のまさに既成概念をまったく前提としない芸術。あるいは芸術の芸術性を問う、あるいは芸術とはなにか、という問いかけそのものを主題にすえてさまざまに試行を繰り返す立場である。ジョン・ケージもそうだ、なんて指摘もある。日本では1960年代に読売アンデパンダン展において東野芳名が工藤哲巳らのものを反芸術と呼んだことからはじまる。篠原有司男らによるネオダダも、ボクシングのグローブを手にはめ、キャンバスをサンドバックに見立ててて、アクションペインティングまがいのパフォーマンスを繰り広げたものである(カタカナばかりの文章は変ですね)。世代的にみれば、ぼくなどは反芸術を入口としてアートをのぞいていたような(いまでものぞいているだけですが)立場であって、それほどこのアンチは支配的であったのだ。

『反文学論』という本を柄谷行人(講談社学術文庫1991年)も栗本慎一郎(光文社文庫1984年)も出している。とはいっても両方を同じ共感で読む人はそう多くはないであろう。しかし共通しているのは、文学を評する平面、文学を読み論じる平面は、デファクトスタンダード的水準として制度のようにできあがっているのであり、それに頓着しないで、自分自身の審級において、しかも格段に高度に読解しようという意志が似ている。

「反建築論」といえば、宮内嘉久の『廃墟から 反建築論』(1976年)である。1926年生まれ、19歳で東京大空襲を体験し、その焼け跡の生々しい光景から出発した編集者であり建築批評家である。焼跡・闇市派の野坂昭如は1930年生まれであるから、それより4歳年長である。この世代は、既存秩序が崩れ壊れるというさまを目撃しているから、制度の、政策も、国家も虚構であるという言い方も、筋金入りである。彼は、終戦にして思想をがらりと変えた建築家・建築教授の変節に憤りを感じ、そうした社会から生み出される「建築」にたいしてアンチを唱える。

人生的に考えると、『廃墟から』は彼が50歳で出版していたんだ、という軽い驚きをかんじる。20歳前後の体験は30年後にもいぜんとして生々しいのは当たり前だが、21世紀の今から回顧して、1970年代は今よりも1940年代に近いのだ、という別のパースペクティヴである。

『反建築史』は磯崎新の著作である。1931年生まれ、宮内嘉久の5年後輩である。彼もまた建築、都市の虚構性を体験しており、10年ごとの自分自身のアンビルトを語ることで、凡庸な歴史叙述の背後にあるもうひとつの脈略にふれてゆく。

さて世代論で恐縮だが、彼らは1920年代後半から1930年代を中心に、いちばんの若手が1941年生まれである。ひとことでいうと両大戦間の世代である。そして両大戦間に生まれたことにおいて、長い19世紀の終わったあと、東西冷戦の始まるまえ、に生まれたという状況が、彼らをして、ほかの世代以上に、20世紀の子としているのであろう。

この世代は、両大戦間であるとともに、世界恐慌と同時代であることも重要であろう。もちろん彼らもこの危機を実感をもって体験したわけではない。しかしそこのなにかがすり込まれたのではないか。つまり、世界は巧妙で巨大なシステムで成立している。しかし戦争、恐慌は、そのシステムのほころびを一瞬見させる。大人はそれでも「ああそんなものさ」と流してしまう。しかしある世代はそのほころびこそに本質を見いだすのではないか。そうしたほころびが顕在化し、ときに対象化され、意識の対象となる、そういう世代が登場したのが20世紀なのであろう。かつて世界を統合していた「神」はそうした類のほころびは見せない。しかし人的システムである平和や経済は、ときどきほころびをみせて、その人為性を証明しなければならいという必要悪があるとすれば?

ということで「アンチ」を言える言えないは、現象として、結果として、世代的特権なのである。20世紀がアンチの世紀であったとしても、この世紀はいくつかのレイヤーからなる重層構造をもっており、そのなかのひとつの層がアンチときわめて親密的なのであろう。そいう構図が見える。で、それを探求するには、ぼくにとっては時間がかかります。この宿題はもちこしということで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.08.01

一生ものとはなにか?

学生がなにか企画展をするとかで、アンケートをもとめてきた。

一生の思い出になるような、大切にしたいものはなにか、という。

でいろいろ考えた。でも結局、一生たいせつに持っておくようなものなど、ないという結論に達した。実際、自分の身のまわりを見ても、小学生のころからもっているものなど、卒業写真ていどで、それも10年にいちどぼんやり眺めるていどである。ほんとうになにもない。タイムカプセルを埋めた経験もない。遊び道具も、ない。優等生ではなかったから表彰状もない。

そういえば映画《アメリ》で、アメリが、少年の思い出がつまった箱を偶然みつけ、今は50歳ちょっとになった元少年=おじさんに、そっと届けるというくだりがある。おじさんは、突然なりだした電話ボックス(ケータイではないのだね)の受話器をとって、そのブリキの箱をみつけ、ウルウルするのであった。

ぼくもそんな年齢にはなってしまいましたが、あれはよくわかりませんね。ビー玉が万国共通であったことは発見したし、ぼくもそれで遊んだことはありましたが。

なので学生アンケートには役に立たないので、答えないことにした。というか答えることができない。有志の学生のみなさん、ごめんなさい。

一生ものというのは、じぶん自身以外にはないのではないか。あるいはじぶんの記憶。もの、はその媒体でしかない。人間の細胞は数ヶ月でそっくり入れ替わってしまうそうである。だからものを根拠にしてもしかたない。ものが交替し続けてものこる、記憶であり、情報なのであろう。

ぼくは学生時代から建築写真を撮りつづけ、7万枚ていどになっていた。もちろんフィルムの写真であった。しかし10年まえからデジタル化は必至となっていた。それに膨大なスライドは、マウント、ケースなどをふくめてたいへんなボリュームとなってぼくの住空間を圧迫していた。なのでそれらをすべてデジタル化し、「もの」としてのスライドはすべて捨ててしまった。5年以上まえのことであった。

もちろんぼくにも物神崇拝はあるので、一枚一枚丹念に撮ったスライドはかけがえのないもののはずであった。しかし所有することよりも、それをより簡便に活用できることのほうが大切だ。そう考えた。だから7万枚のスライドは、デジタル化され、ぼくのハードディスクに収まり、数クリックで閲覧できるようになった。

10年まえ、20年まえに撮った写真など、記憶は薄れてゆくものだ。しかし撮影したときに考えたことの、カケラくらいは思い出せるものだ。そうした断片から、すこしずつ、じぶんが忘れた、考えっぱなしでいた、萌芽的な発想をかき集めてゆく。それはじぶん自身を再構成することであり、こういう意味で、一生ものとはじぶんのことである。

もちろん授業用のパワポがごく短時間で準備できる、など実用的メリットはとんでもなくありますけどね。

おなじように、かつては宝物だったLPも、オーラは薄くなったけどそれなりに物神性あったCDも、なくなってもいいものです。私事ですが、プレーヤーもなくなって放置していたLP200枚も処分することにした。そのなかにはフォーライフのクリスマスソング特集LP(井上陽水の《夏願望》なんてよかったね)、リッチー・バイラークのピアノ、なんてのもあるけどね。でも、もういいのさ。

おなじように図書も、住空間から消えてもいいなあ。といってもぼくは本は好きだし、すこしは読みます。でも紙は媒体にすぎない。視覚だけでなく触覚も嗅覚も刺激して、人間の身体性にこたえてくれて、物神性も感じさせるすぐれた媒体だけど、それはぼくんちのそとにあればいい。数万冊の蔵書があっても、いちどに見るのはわずか2ページ、せいぜい数ページにしかすぎない。パソコンのディスプレイと変わらない。それにそのうちグーグルが世界図書館をつくってくれるので、住宅のなかに図書を置かなくともよくなるのです。

蔵書家はマンションには住めない。なぜなら空間コストを考えると、個人書庫は集密書架にせざるをえないが、しかし通常の基準でできた住宅やマンションにそんな荷重の大きいものを設置すれば、1+1=2的なロジックでかならず床がぬけてしまうのである。

ちなみに映画《デリカテッセン》で、アパートの一室が水槽のようになってしまうシーンがあったが、あれはあり得ない。水深2メートルということは、2トン/㎡であり、集密書架の基準の3倍である。建物はいともかんたんに崩壊するであろう。

だから、ぼくのひとまわり上の先輩たちは自宅書庫を崇拝していた。彼らはある年代に達すると、学者の人生双六にとって中間到達点であるかのように、きまって戸建て住宅をたてて、そこに書庫を建設する。しかし20㎡=6坪ていどの書庫でも、土地代や工費、そもそも戸建てを選択することのコスト、などを考えるとそのために1年か2年、よぶんに働くことになりはしないか。資産家ならいいが、サラリーマンにはできないことである。

でもデジタル書庫なら収納はいらない。現在のテクノロジーなら、軽自動車の半額ていどで、いろんなことができる。実際、蔵書(?)をスキャンして保存しているマンガ愛好家は多いという。学者も見習いましょうか。

かなりまえから想定されているように、映画、ヴィデオ、DVDもすべて物質メディアから解放されて、配信され、ぼくたちの記憶装置に刻みこまれる。そして記憶装置は、ハードディスクの時代も10年以内には終わり、バイオテクノロジーを活用した、今の携帯より桁違いに小スケールの、ほとんどボリュームを無視できるていどにまでなる。

媒体をもたない、ほとんど、純粋な記憶そのもののような事態になってくる。

で、物欲から解放されたとして、というか、ものが居住空間を占領してしまうことから解放されたとして、どうするか。

これはとても簡単なことである。美しい空間に住むのです。あるいは自宅を小宇宙とするのではなく、生活機能を街に求め、街に住まうのです。そこではこれまでと同じように仕事をつづけながら、ものから解放されて、身体性を回復するのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »