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2008.07.07

メタ概念としての建築(保存がモダンを生んだ)

授業の準備をしていたら、関係はあるような、ないような、別の考えがやってくる。それはまさに、むこうの方からやってくるという感じなのだが。

これは「モダニズム建築」問題としてぼくが考えていることと関連がある。

つまり19世紀の建築があって、これはおおむね折衷主義の建築であるが、これが20世紀の近代建築運動を準備したという通説の再考である。

この通説は、たとえば折衷主義への批判をとおして、とか、それを反面教師にして、とか、それへの批判がそのまま別の理論になったりだとか、19世紀はじつは近代工学の時代でもあったとか、そういうものとして解釈されてきた。

まあ、表面的にはそうである。

しかしかなり以前にレイナー・バンハムが『第一機械時代の理論とデザイン』のなかで、ボザールの伝統が近代建築運動に連続していることを紹介して話題になったように、19世紀もまた理論的な蓄積がかなりあった。つまり表面的には、グリーク・リバイバルだのゴシック・リバイバルだの節操もない折衷主義の衣替えなのであったが、しかしその背景にはちゃんと理論的な構築への指向がずっとつづいていた。このことを忘れると、20世紀も理解できない。

つまり、

19世紀折衷主義→20世紀の近代建築

というのがあまりに短絡的である。

まず19世紀の理論的貢献を考えてみる。19世紀初頭のデュランが考案した、グリッドプランの上にあらゆる歴史上の多様な建築を正規化して並べるという方法論。ヴィオレ=ル=デュクの、ゴシック建築を要素に分解して、それらの合理的配列として構築を考えるという合理主義的な方法論。ショワジの洋の東西、過去から現在までの歴史的なあらゆる建築を、樹形図で示し、構造形式の発展としてとらえる合理主義的な歴史観。ジュリアン・ガデの、記念碑的な建築を、軸線、副軸線をつかって、要素とその構成として構築する設計の方法論。

これらが「合理主義」と簡単にくくられるところに問題があろう。つまり日本の建築批評で、合理主義というのは冷たい機械論的な合理主義として誤って解釈されており、ほんとうに西洋での合理主義の広さや深さはまだ理解されていない。あるいは、合理主義というレッテル貼りで問題が解決したかの達成感をあたえてしまうことの誤りがある。

そうではない。

デュラン、ヴィオレ=ル=デュク、ショワジ、ガデらが考えたのは、個々の建築の上位に位置する「メタ建築」があるはずだ、ということを大前提とした点である。

だからヴィオレ=ル=デュクが「スタイル」をいうとき、それは個々の識別のための差異化のためのスタイルではない。それは統一をもたらす原理はなにか、という問いである。そしてこの意味での「スタイル」は19世紀の折衷主義という通俗的な理解をはるかに超えている。

こうしたメタレベル、体系性が19世紀に確立されてしまった。20世紀の近代建築家たちは、基本的にはそれらを徹底的に活用したのであって、彼らの過激な言葉は別の次元に活路を見出そうということであったのではないか。

だから、

19世紀の歴史的建築の研究→メタ概念としての建築→近代建築運動

と考えるのが正しい。

だから西洋では、歴史的建築の研究、古建築保存の研究、文化遺産の研究が、建築理論を深化させ、それが近代建築を生んだ。つまり、ショック療法としてきわめて短絡的に言い換えると、「保存がモダンを生んだ」のである。だからヨーロッパの建築博物館では、ゴシックと戦後建築が並んでいてもなんの違和感がない。

しかし日本は事情が逆だ。古建築はすでにあって、それを破壊しつつ登場したのが、近代建築である、と理解されている。だから歴史にとって近代は敵、保存にとってモダンは敵、となる。両者の共通の基盤となるべきメタ概念が、それこそ歴史的に構築されなかった。だから今後もこの構図が支配的なものと思われるであろう。

「モダニズム建築」の困難はここにある。この日本のみで通用する和製英語の概念は、普遍性をあえて求めないことに、提唱者の意図がある。つまり歴史的建築(社寺など)、近代建築(擬洋風とか)とは異なる、「モダニズム建築」。それは前者たちと「異なっている」ことに意義があるように機能を決められた用語である。

普遍性への道は、決定的に閉ざされている。致命的だ。

なにが懸念されるか。

ひとつは歴史的建築、近代建築、「モダニズム建築」といったものの根底となる建築概念を構築しようとしない結果、構築されないということであろう。構築しようとすれば、構築されるであろう。それは歴史的概念とは、事後的な編集であり、創意であり、創成だからである。しかし構築されないことで、ヨーロッパなどの建築概念に対して、まったく自己主張できない、存在感の薄いものとなるだろう。それは日本における批評の不在、といったものとなろう。

もうひとつは、建築(史)の自律性が失われることであろう。個別研究の堆積となり、いろんなことに活用されるであろうが、そこには歴史観の所有者としての建築史家・建築理論家の立場は脆弱になるであろう。

「モダニズム建築」が、歴史上のある建築群を囲い込む概念になって、セクト化、建築遺産の寡占化が進行するであろう。

おそらく近未来の建築学生が卒論や修論を書くときになって、これは近代でしょうか、モダニズムでしょうか、わかりません・・・、なんて頭を抱えることになるだろう。ぼくはそんな悩みが生産的とは思わない。ぜんぜん。

様式判定は総合的でむつかしい。とくに19世紀以降のものは基本的にはリバイバルであり、折衷主義であるから、ごちゃごちゃにまぜたものを識別するようなことは、普通の学生はやらないほうがいいくらいである。

・・・とまあ未来は悲観的だ。博愛主義のぼくとしては困りますが。

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