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2008.05.08

建築オタクも死んだか?

岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』(新潮新書2008年4月20日)を読んでみました。オタクの死とは昭和の死であり、時代は変わった、ということがけっこう格調高く書かれていました。「ウィキペディア」上での定義を参照するなど、ぼくもそうしてますが、時代ですね。ともかく時代のドラスティックな変化を語っています。現代建築の歴史とも関連もありそうなのです。

ぼく自身はオタクを自称するほど上等ではありません。必要とされる勤勉さも実績ももちあわせていない。だからほんとうは語る資格はないのですが。ただ同世代の書き手の説明は、ほんとうによくわかる。

ぼくは世代的に、「おたく」なる用語が登場した頃をよく知っているつもりです。ちなみにぼく的初出は、「カワイイ」は1973年、「おたく」が1980年すぎ、「ウソー」も1979-81年ころでした。あくまでぼく的に、ですが。最後のものは、はやばやとすたれた。ともかくも男子が「おたく」化するのを見ていた女子が、「カワイイ」と肯定するか「ウソー」と否定するか、というわかりやすい構図であった。(昨今は「カワイクナイ」といわれバッサリ切り捨てられる)。

だから『建築キーワード』(1999)の監編集をしたとき、当時まだ若手であった森川嘉一郎さんに「サブカルチュア」なる項目をお願いしました。間接的にしか彼のことを知らなかったのですが、しかも今だに直接会っていないのですが、ぼくなりのインスピレーションだけにもとづいて判断しました。当時すでに地方勤務も長い状況で、アキバのことなど感覚はありませんでしたが。

岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』ですが、SFの隆盛と衰退という流れときわめて似ているということで、オタクの滅亡を説明しています(もっともぼくはオタクとの類推で、ああSFってそうだったんだ、とわかったのですが)。それによると1980年以降、第一世代のオタクは「貴族主義」であり、白眼視され、差別されても、自分は自分、わかってもらえなくとも、内面はしっかりしている、という態度だった。M事件でさえ、オタクの知名度を上げるという効果をもたらした。第二世代は「エリート主義」で、すでに海外から認められているので、国内で迫害されても、オタクが理解できないのは鎖国的、後進的、と逆襲することができた。この違いはかなり断絶的だが、貴族主義でもエリート主義でも、岡田さん流にいうと、オタクたちは同じ「大陸」や「共同体」や「文化」に所属していた。つまり迫害される人びとがつくる感性の共同体であった。

しかし第三世代の「萌え」オタクたちには、この「共同体」がなりたたない。旧オタクはじつは、興味の対象にしたがってさまざまに細分化され、しかし同じオタク大陸に生息しているという共通意識があった。しかし新オタクにとって「わたし」と「アイデンティティ」しかなく、自分と異質なもの、異質なオタクとの共存という概念がなくなって、「共通文化」も「相互理解という幻想」もなくなったので、オタクは「死んだ」ということらしい。

あらっぽくいうと「オタク」は負の共同体であった。それがバネであった。しかしその負性がなくなったのです。そして求心力を失った。

こうした変化は、オタクからマニアへ、と言い換えられつつ、社会的背景、つまり昭和の死、が語られる。つまり日本人は、子供のままでいたくなった。大人になりたくなくなった。で回顧してみれば、日本の子供文化ってそうとうハイレベルであった。世の中は、将来に希望をもてない時期がこれからも続く。がんばって大人になることに、なんの意味がある?そんなことを日本人は考えるようになっていて、それが第三世代オタクの登場をうながす、というわけです。岡田さん自身は、貴族主義的オタクで、このオタクは大人以上の自負をもっていた(理解されなくとも自律する)だけに、率直に衝撃を述べています。

さてこのわかりやすい、そして普遍的であるように思える図式を、建築界に投影してみましょう。

建築界のオタク第1世代(貴族主義)は、もちろん藤森照信先生たちです。彼の70年代の路上観察学、看板建築(学会で大顰蹙だった)、などというのは、逆説的貴族主義ともいえます。1977年に新建築社から出版された近代建築再考3部作は、いわゆる近代化のための建築に異を唱えて、様式建築、擬洋風建築といったまがい物視されたものを再評価するというベクトルをもっていました。この時期の建築史研究には、これまで評価の遡上にのせられなかったものを対象にしようという、おおきな流れもありました。しかし「落ち葉拾い」と揶揄もされました。こんなところが第一次オタクとの相似性です。建築のそれをサブカルチュアとまではいえませんが。

建築界のオタク第2世代(エリート主義)は、今の40歳前後の方がただと思います(個人差ゆえにきっちりと世代区分できないので象徴的な数字をあげたまでです)。歳をとると自分より若い世代のことをあれこれいうのは、はしたないとわかってきますので、一般的にのみいうと、彼らは、岡田さんの図式どおりに、どちらかというと選良主義的、やや被迫害者的、共同体指向的、です。学会的、正統的なものとは違うんだ、という自己主張をもちつつ、ハイレベルなことを論じる。思想的には浅田彰やニューアカの影響下にあります。

こうした図式は『建築キーワード』のときに考えていましたが、今回の岡田さんのオタク本ですっきり再整理していただいたような気がしました。

これを機会に、戦後史の再考、昭和の終焉なるもの、近現代建築史再考、などのために、ついでに、ぼくなりの補助線をいくつか引いておきましょう。

(1)転換期としての1970年代

これは大澤真幸が『戦後の思想空間』でも指摘していたことですが、理想と夢の時代がおわり、虚構の時代がはじまった。この社会的説明はしごく簡単で、ようするに都市型消費社会がはじまったということです。ぼくは1976年の『ポパイ』創刊がもっとも象徴的な出来事だったと思う。カタログ雑誌、つまり都市型消費社会をこれほどよく象徴するものはない。情報も発信するほうも、受け取るほうも虚構と知りつつ、虚構であるがゆえに、それを楽しむという構図が生まれました。『カサ・ブルータス』はこの流れですので、おじさんはむしろ驚きません。むしろ若者のおじさん化に、雑誌がつきあってくれています。

あるいはこれは政治と革命の時代が終わり、経済と消費のそれがはじまった。オタクはそれにみごとに対応している。ぼくは、オタクとは全共闘活動の代替ではなかったか、とさえ思っています。

環境法、景観法なども団塊世代が定年退職まえに権力をつかみ、積年の恨みをはらし、本懐を遂げたということなのです。部分的挫折をした70年代思想の復讐なのかもしれません。

オタクの貴族主義、エリート主義はとにかく頑張った。もっとも単独で頑張れたというのは幻想で、アメリカの傘の下にあったわけですが、高度経済成長以降モーレツに(若い人、モーレツ、ってわかりますか?)頑張ってきた日本人には、実感として、日本単独で頑張ってきたし、そうした自負があったのです。しかしバブルがはじけ、グローバル化。日本は単独でがんばってもだめで、パラサイトするしかない。どうするんでしょうか。

(2)集団主義/個人主義の振り子的往復

建築界には世代の循環構図があるように思えます。いちど『建築雑誌』で話しましたが、たいして重要視されなかった。つまり、あたりまえなことに、団塊世代と団塊ジュニアはよく(すこし、かな)似ている。とくに共同体指向という点で。

団塊世代は、議論が好きだ。いかにお互いに傷つけあおうとも、激しい議論をとおしてコミュニケーションが成立しうると考えていた。傷つけあうことはむしろコミュニケーションの証しくらいに、元気に考えていた。ジュニアたち(世間でいう団塊第二世代とはすこし数字はずれている気がする)も、こうしたセクト、感性の共同体、を目指す。もちろん親の代のように激しい議論はもうしない。しかしあうんの呼吸、アイコンタクトで信号を交換し、感性を共有できるかどうかを確認し、一緒になにかする。ついでにいえば、現在の建築論壇は、団塊世代がバックアップして団塊ジュニアたちを盛り上げているふしがある。

しかしぼく自身は谷間の世代なので、この世代の率直な感想を書いてみよう。共同体が好きではないのである。あさま山荘事件や、内ゲバの犠牲者たちを考えざるをえない。活動的な先輩を尊敬はするが、同じ事はできない、したくない、という思いで共通している。だから個人の裁量のおよぶ範囲というのをよくわきまえ、自分の我をとおせる範囲でとおす、という態度である。これは隈研吾さん、妹島和世さん、青木淳さんには顕著にみられると思う。だから彼らは、他者からの批判にたいしてもある意味で毅然としていられる。だからといってわがままなのではない。これもまた貴族主義的オタクといえなくはないけれど、共同体ではありません。しいていえば建築そのものが共同体、というスタンスです。

(3)建築界の第3世代は?

ラウンドナンバーが象徴的機能を果たすかどうか知りませんが、たとえば1980年生まれは、2010年で30歳。彼らは、バブル経済も実感としてわからない。将来は暗い、と子供の頃から教えられてきた。大人になりたくない、「わたし」でいたい、共同体はいらない、という世代、であるらしい。もうおじさんは実感としてはわかりません。あくまで学者のいうことを信じるならば、です。しかしいよいよ彼らが登場してくる。

おそらくそれは団塊/団塊ジュニアという超世代連帯による支配がそろそろ終わりつつある、ということなのかもしれない。そのドラスティックな変化は、2010年でなくとも、もうそろそろのはずです。傍観者にすぎないぼく自身にとっては対岸の火事ですが、万が一視界が良くて、火が見えれば通報くらいはいたしましょうか。

・・・ということで、そろそろ仕事の時間なので、やめます。建築界の世代概念はあくまで理念型であって、数字そのものではなく、象徴、といえるようですが。ともかく気がつけばまた続きを書きます。

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コメント

ぼくは80年代生まれですが、「モーレツ」の意味はわかります。
それと、先生は火の手があがれば通報くらいはするとおっしゃいましたが、たぶん僕らは火のおこし方(もしくはその意味)を知りません。
そして、おこしたとしてもそれは自分の環境をよくする「あたたかい焚き火」のようなものになると思います。
だとすれば、神をあがめるための業火のおこし方を古文書で研究するのもいいのかもしれません。

投稿: mako | 2008.05.08 20:41

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