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2008.05.16

シャンボール城大階段の修復は老舗の修復会社が担当する

2008年5月13日付。LeMoniteurサイト「シャンボール城大階段修復のためのメセナ契約」なる記事。

・・・とその前に、過去写真の紹介。

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1980年代中盤のものの虫干しです。ニコンF2、PC28mm、コダクロームというすごい装備でした。回顧すると。ずいぶん気合いはいってました。今はずいぶん堕落しましたが。

さて記事ですが、まず抄訳。・・・・サルコジ大統領府官房長官エマニュエル・ミニョン(Emmanuelle Mignon)は、シャンボール国有地行政委員会の委員長の立場においても、このルネサンス時代の城館の大階段を修復するため、メセナ協定にサインするであろう。この官房長官が、国領行政委員会を主宰する。

このシャンボール城はフランソワ1世が建てたもので、中央部分の二重螺旋階段で有名。ダヴィンチの影響下での設計とされている。1930年に国の所有となった。年間80万人の観光客がくる。1981年にははやばやとユネスコ世界遺産に指定されている。

シャンボール国有地のプレスリリースによれば、このメセナは「はじめて、歴史的記念碑を専門とする民間企業の参加を、大規模な修復事業にもたらす」。この民間企業とはルフェーヴル社である。1944年に設立、シャンボールとのかかわりは1947年以来である。修復工事はまず、スタディが2008年からはじまり、工事期間は4年の予定。大階段全般だが、とくに196の柱頭がおもなターゲット。

・・・・以上のようなことでした。若干考察すると、16世紀に建設された王城は、18世紀にはポーランド国王のものとなり、兵舎にもなった。ナポレオンは彼の元帥のものにした。所有者はなんどか変わり、時には兵舎や野戦病院にもなったが、基本的には貴族などの個人所有であった。結局、1930年の国有化、そして1947年からのルフェーヴル社の修復工事により、現在のような観光名所となった。

中世の教会建築は19世紀から、王や貴族の不動産はかなり遅れて20世紀から文化財となったことが、ここでもはっきりしている。

なにが決定的な要因であるかを考えてみよう。教会建築にとってはフランス革命が転換期であった。教会組織が、教会堂など施設を維持できなくなった。城館の場合は、第一次世界大戦ではないかと今のところ思っている。このシャンボール城のように個人や一族では維持できなくなり、国有化となったと考えられる。

いわゆる保存や遺産の理論についての説明がときどきおかしいのは、それら理念の発展により政策が展開したとするのが普通である点だ。そうではなく現実(下部構造といっていいかもしれない)が激変し、その結果、制度を変えざるをえなくなり、新しい理念が要請された、ということではないだろうか。

つまり「保存」(都市計画の人は「保全」らしいが)とは、すぐれて近代の理念であるが、保存行為は歴史上いつの時代でも行われていた。この理念と実践の関係をわきまえないと歴史はわからない。遡及主義はいつもこの点で誤りをおかすのではないか。

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