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2008.04.03

ミュージアム・イノベーションとノモンハン事件と地球幼年期の終わりについて

M先輩からメールで案内していただいたので、出張ついでにのぞいてきた。シンポジウム「ミュージアム・イノベーション」である。平日の午後なのに日経ホールが満員だった。

ところで大都市圏での移動中の娯楽はとうぜん読書である。それで荻上チキ『ウェブ炎上』ちくま新書2007と、村上春樹『辺境・近境』新潮文庫2000、を車中で読む。

鹿島茂だったか、ITを操るシロートおじさんの振る舞いは若者からみると「縄文時代の人間がランボルギーニカウンタックを手で押すようなもの」(不正確な記憶で書いてます)というようなことを書いてあった。ひとり爆笑した。そこで、せめて弥生時代に進みたいので『ウェブ炎上』などを読むのである。

「炎上」とはウェブ上のバッシングのようなもので、すこし踏み込んで事件、人物、などに率直すぎる感想をかいたので、非難書き込みが殺到し、サイト閉鎖にまで追い込まれる現象である。ひとつ勉強したぞ。IT系の著者にしては、日本語がこなれていて、よくわかる。でも基本的にはローテク時代の構図は、失われることなく、むしろ格段に加速されるようです。流行語、デマ、噂、風評のメカニズムはむしろ古い文献を引用して、ドゥルーズ、フーコーなどの理論を援用しているのでわかりやすい。ウェブ上では既存の構図が桁違いに加速されるということで、わかりやすい。

もちろん旧メディアでも既出だけど新メディアでは新規に概念化しないといけないものもある。「コンテクストマーカー」などもそうだ。だから再定義することで、古いメディアが、再分析されるという効用も大きい。

全体的にはウェブ空間は均質どころか自己分節化を加速させるので、この生態系を分析するとともに、この生態系をうまく成り立たせるのが「アーキテクチャ」に期待される役割なのだ、という主張であると解釈した。

さて日経ホールである。文化庁長官の青木さんの挨拶からはじまった。ヨーロッパを手本にした「文化創造都市」制度がはじまり、最初は横浜市、金沢市などが指定されたとか、ヴァレリーやアドルノの美術館批判、今後の展開としては教育(とくに子供への)重視、遅い情報を担う美術館、アジア展開、などを語っていた。

ルーブル美術館館長のアンリ・ロワレットは、革命期における美術館創設から始まって2001~2003年の制度改革まで話す。来館者数、メセナ、開放性、研究、学芸員養成、芸術家のアトリエ、最近のプロジェクト(イスラム美術分館、ランス分館、アブダビ分館など)などいろいろ語った。とくに興味をひいたのが2点。まずパートナーシップ。日本で話していることもあり大日本印刷とのパートナーシップを指摘していた。突出した技術だけがグローバル社会で生き残れるという教訓である。もう1点は、「普遍的美術館」という2世紀前からの理念であった。つまり万人に開かれる万人のアート、という理念。これがグローバル化になって生かされているのだ、という自慢げな話しであった。

パネルディスカッションでは西洋美術館(西美と略記するようだ)の青柳館長が、国の補助金削減プログラムをおおいに嘆きつつ、西洋モノ文化研究指向、来館者サービス向上、時間軸拡大、オープンミュージアム構想、などを語った。とくにメセナからの支援と、ル・コルビュジエ建築の世界遺産申請のはなしをしていたのが印象的であった。日本人への西洋美術の啓蒙機関というこれまでの位置づけを越えた、新しいネットワーク形成がはじまるであろう。それにしても予算。アメリカのキュレーターには集金能力がもとめられるが、日本もそうなるだろいうという予測。ほんとうでしょうか。日本の大学で、そこまで教えられるのだろうか。

徳川記念財団理事長の徳川さんの話しも面白かった。近世の構造はけっこう生きているのだ。近世文化は、まさにその担い手の子孫たちによって継承されている。ビジネス界から転入してきた方なので、なぜ展覧会をするのか、という素朴な疑問を専門家にぶつけるが、きちんとした回答はなかったというようなお話し。つまり「なぜ美術館?」という問いへの回答が、とうぜんフランスでは自明で、日本ではそうではない。日本はやはり大きな鹿鳴館なのだ。

高階秀爾先生がモデレータであったが、その達観した語りが印象的であった。先生は今、倉敷にある私立の大原美術館の館長である。創設者であった事業家大原孫三郎のコレクション公開の意志、現在の活発な活動状況、地域にいかに開かれ、子供への啓蒙も盛んかを強調していた。ただかつてルーブルにもいた彼は、日本の悲惨な現実についてはすでに達観されているようにみうけられた。そのうえで大原美術館に理想的な場をつくっておられる、という印象である。

最後に文化庁長官が挨拶した。文化庁そのものの予算が削減傾向にあるなか、美術館もそうならざるをえない、という。しかしこれからはアジア指向、アジアの美術館の館長会議が開催されるらしい。さらに建築家にとって耳寄りな話題。これから中国では1000~2000の美術館が建設されるのだそうだ。なにを展示するんでしょうね、というコメント。しかし建築家のみなさん。やはり中国です。

シンポを拝聴してのぼくの感想はふたつ。

まず文化予算の圧倒的格差。いまや日本は韓国にくらべても予算では文化小国である。しかしこのことは数十年前からいわれ続けてきた。そして政府にとってアメリカというよいお手本にして口実がある。これも数十年同じ構図だ。民主主義、民による、アートへと投げ出されそうとしている。しかし日本社会にとってアメリカがほんとうによいモデルなのだろうか?

つぎにロワレット館長が自慢していた「普遍的美術館」という理念。彼も「啓蒙主義の時代だったので」というし、欺瞞視する人もいるだろう。しかしこの文化帝国主義はシステムとしてよく機能するし、し続けるであろう。つまり芸術はある意味で超越的なものとなった。だから貨幣、資本、が超越的なものとなっているグローバル社会のなかで、アートはそれに釣り合う超越としてよく機能している。それを日本的文脈で箱庭的に文化、教育などと言い換えた時点で、ぼくたちの認識から本質が欠落してしまうように思える。

宿に戻る。大手町で急行に座れたので、今度は村上春樹『辺境・近境』を読む。なぜこの本かというと『ねじまき鳥クロニクル』でノモンハン事件を題材にしていたので、その取材記を読みたかったからである。

村上春樹は小学生のころノモンハン事件の写真を見て、なぜかトラウマになってしまい、今回の取材旅行で、さんざんの苦労の旅のはてに、それが解ける、というおおまかなストーリーである。もちろん細部の描写がそれぞれ味わうべきものなのだが、ここには書かない。面白かったのは、国境の両側にある戦争博物館の話し。博物館そのものが戦勝記念モニュメントなのだが、悲惨さの記念碑でもあること。それから旧戦場にそのまま放置されている不発弾や戦車などの、戦争の痕跡、いや戦争=鉄そのものである。近代戦争は鉄の交換であり、先方により多くの鉄を送りつけた(砲弾をみまった)ほうが勝つというあられもない真実である。

彼はそこに旧軍の前近代性をみる。旧軍は前近代的であった。200キロメートル以上を、完全装備のまま、平気で行軍させる。もちろん兵站、ロジスティクスという発想もない。前近代/近代の戦いは、大戦のまえに日本/ソ連(ロシアではないことが重要)というかたちでなされていた。

日本は明治維新のときに、ヨーロッパ的な近代的国民軍をつくろうとした。しかしすぐにはうまくいかなかったので、過渡期的折衷案のつもりで、武士道的軍隊とした、ということは国史の常識である。また日露戦争の成功イメージはあまりに強烈であったので、反省の機会が失われた。

おなじようにユベール・ロベール描くルーヴル改造案に象徴されるようなフランスの普遍的博物館という理念に対応しているのは、そして日本の美術そして建築を支えてきた理念はじつは文明開化のみであり、以降、それを凌駕する大文字の理念は設計してこなかったとしたら?ぼくたちは終わりなき文明開化を生きつづけるのだ。アメリカ的な民営化システムのもとでフランスのような洒落たアートをするのだ。

駅につく。駅と駅前の再開発をしている。今どきのガラス張りのエレベーターシャフトと、取り壊しされている途中の鉄骨骨組みが隣り合わせだ。ぬめっとしたガラス。無骨な鉄骨。ひとつは表象。ひとつは国家としての鉄。世界の象徴である。

駅前のプールでリハビリ水中歩行をしながら今日を振り返る。

村上春樹描く近過去の戦争。しかし現代日本の美術館も同じ状況ではないか。兵站=補助金はどんどん少なくなる。国家はノルマは課すが、ロジスティクスはきわめて細い。自給自足を強いられる。美術館、博物館のみなさん、もう仕送りはしませんから、自活してください。ほらアメリカのお兄さんたちを見習えば、きっとうまくいきますよ。・・・でも問題は、日本はじつは前近代でずっとやってきて、いまさら近代にワープできるのか、そしてアートの超越性などというようなものをほんとうにグローバルな枠組みで受け止められるのか、ということだ。30年後にも日本という悪場所は語り続けられるであろう。

『辺境・近境』のなかでは「イースト・ハンプトン 作家たちの静かな聖地」も書かれていた。作家は人里はなれて住みたがるものだ。

そこでアーサー・C・クラークのことなど思い出す。『地球幼年期の終わり』は、人類の上に、神以上の超越が到来したというような話しだ。西洋のユートピア思想が背景にあると思う。人類は七段階の発展をたどるのであって、いまは4段階だ、などという語りである。劣等人類だと指摘されているようでいやだが、超越を信じることのひとつの形である。日本人が苦手なのは、この類の超越である。日本人にとってのとりあえずの超越は「世間」であろう。ウェブ炎上、カスケードの危機、ウェブ生態系のアーキテクチュアが語られるのも「世間」という上限のなかではないか。そして今の美術館、博物館も旧軍における兵士のようなものかもしれない。彼らは日本的「世間」に縛られつつ、機械化された近代的敵軍のまえに曝されたのだ。そして世間/グローバルはもっと解離しているのだが。

なぜA・C・クラークを思い出したかというと「イースト・ハンプトン」を極端にすれば「スリランカ」になると連想しただけなのだが。ぼくも作家たちがロングアイランドや植民地の島で優雅に執筆するようなことをしてみたいなあ。でも無理だねえ。ぼく作家じゃないし。・・・・というところで今日はもうやめよう。宿でビールでも飲んで、際限のない連想ゲームをストップさせようか。

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