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2008.04.01

美しい日本は団塊世代のために?

エイプリルフールだからというわけではありませんが、お笑いを一席。

いわゆる団塊世代はぼくから見ると、偉いお兄さんお姉さんたちです。年上だし、人数も多いのでいつも圧倒されます。

大昔に読んだ本に、いいだもも『戦後日本史』とかいうものがあって、風刺的でありながら肩の力が抜けた感じでした。そんな戦後史もいいかも。

そんなわけで戦後日本史ですが、お兄さんたちを主人公とするとよく書けてしまうので、ほんとうに驚いてしまいます。ここでは建築、保存、について書きます。

まず誕生。世代だから幅があります。一般的には1947年から49年までの生まれの人びとです。中間値をとって1948年とします。二月革命の100年後なんていうわけではありませんよ。

お兄さんたちはまず努力家で、お勉強がよくできました。だから国は大学をたくさんつくってあげました。さてここで建築との関係です。別件で必要があってすこしまえに調べました。たまたま九州としましょう。九州の建築学科はすべて戦後に設立されました。前身が戦前のものもありますが、最初が熊本大学(1955年)、鹿児島大学(1955)、九州大学(1954)、九州芸術工科大学(1968年)、福岡大学(1964年)などです。九大で代表させると、第一期生は1935年生まれ。ということはその定年退職はなんと2000年、ということになります。つまりこと人材供給については、地方はまだ第一サイクルがやっと終わったばかりなのです。

ちなみに大学の学科は設置年の世界情勢によってその性格がきまります。1886年設立の東大建築学科(旧造家学科)は国家的造形としての当時のヨーロッパの折衷主義を背負っていました。1909年設立の早稲田大学建築学科はアールヌーボー的な個人的痕跡を優先させるものを求めました。1920年設立の京都大学建築学科はアールデコを当初は背負っていた形跡があります。

そして戦後に誕生した地方の建築学科は高度経済成長と開発を背負っていたとおおざっぱにはいえます。ですので昨今の大学改革は、その設置された状況の初期化にちかい大きな意味をもっています。

話しが脱線してすみません。

ともかく1948年生まれのぼくのお兄さんたちは、順調なら1967年に大学に入学するのですから、経済成長とベビーブーマー大量入学という二重のプレッシャーで、たくさん大学をつくったのでした。

よくいわれることですが、戦後の日本史はお兄さんたちのためにある、といわれるとほんとうに納得してしまいます。

たとえば1970年に、旧国鉄は「ディスカバージャパン」キャンペーンをはじめます。これはアメリカの「ディスカバーアメリカ」にならったものですが、ちょうどお兄さんたちが卒業するころです。ひょっとしたら卒業旅行として、あるいは社会人になって給料がもらえるようになって、学生時代に我慢していた国内旅行をするのでした。時期は若干前後しますが、当時テレビでやっていた富田勲の《新日本紀行》のBGM、ほんとうに目頭があつくなります。

でも彼らは、急速すぎる近代化を批判し、明治時代の近代建築の歴史的重要性を認識し、伝統的な価値を守ろうとするひとびとでした。当時は先進的な自治体で景観条例が制定され、まちなみの保存がはじめられたころでした。建築保存が、点から線へ、そして面へと展開していました。この潮流のなかで、お兄さんたちは古い町並みや、農村や、漁村をサーベイしました。また海外に留学し、ヨーロッパの先進的な保存思想を日本にもたらしたのでした。

旅行好きな人びとでした。『地球の歩き方』は1979年ごろの創刊だったと思います。そのときお兄さんたちは31歳ですね。バックパックを背負って、気軽に海外旅行するというお手本を示してくれました。

ここから話しはとぶのですが、1972年にいわゆる世界遺産条約が成立し、翌73年から発効します。しかし日本が批准するのは遅く、1992年でした。お兄さんは44歳です。働き盛りですね。さらに1996年に文化財保護法が改正され、登録制度ができました。このときは48歳。20代からとりくんできた保存が、政策として開花しはじめました。

そして最近では、2004年に景観法ができます。これからは地方自治体がその権限をつかってまちなみを守り、よい景観をつくっていけます。このとき56歳。お兄さんたちが定年をむかえるので社会は2007年問題はたいへんだ、などと大騒ぎをしました。でもいちおうソフトランディングしそうです。年配の方がたの雇用も順調のようです。海外での雇用もあるとききます。

特筆すべきはこうした景観法など(環境法もあります)が、いわゆる団塊ジュニア世代に仕事などのいろいろなチャンスを与えているという構図ができています。伝授されたのは思想だけではなく、仕事、チャンス、などもそうです。たいへんよい巡り合わせです。まるでだれかがきっちりと設計したみたいです。

お兄さんたちが定年退職したのちの人生は、なかなか魅力的です。介護機能付きマンションも多くなります。頑張ったおかげで、制度は整備されたので、美しい日本はそこそこ実現され、蓄えたお金で旅行を楽しむことができます。しかも20歳代では「ディスカバージャパン」であったものが、なんということでしょう、60歳代では「世界遺産」になったではありませんか。『地球の歩き方』世代の老後の、ひとつのかたちではあります。美しい日本=団塊世代のポスト還暦、なのです。世代に思想というものがもしあるとすれば、彼らは若い頃に主義として主張したものを、しっかりと手にしたのです。

もちろんそれは国策です。これからの20年は団塊世代の個人資産をいかにうまく運用するか、です。それが不幸にも仕事がないお兄さんたちの息子や娘たちの直接の生活費に消えてしまっては、お金は循環しません。でも文化遺産やツーリズムなどのいいことに使い、それが仕事と雇用を生み出すことで、若い世代の人びとがいきいきと働けるようになります。そんなことを偉い人は考えているんだと思います。

でも残念なことがあります。お兄さんたちが若い頃に感銘をうけた現代建築がつぎつぎに取り壊されていることです。2010年からでないと、60年代建築は登録できないのです。しかも10年かかってやっとすべてをカバーできます。でも間に合うのでしょうか。

もちろんこうした制度設計は多世代的になされるものです。団塊のお兄さんお姉さんたちだけのものではありません。しかしお兄さんたちを主人公に置いてみると、ほんとうによくできているので、感心します。

でも特定の世代だけを指標にしていると、困ることもあります。いままで頼りにしていた方がたがいなくなると困ります。だから今20歳代の人は、ぜったいに、ポスト団塊を考えないといけません。まあ、ぼくたちでさえ、そうなのかもしれません。日本では食えません、という状況に拍車がかかるのでしょうか。

とうわけで1948年生まれのお兄さんお姉さんたちが還暦を迎える2008年から15年くらいはひとつのパラダイムが続く時期になるはずです。10年は短すぎる、20年は長すぎる感じがしますが。そのあいだ、ぼくら弟妹はやはり圧倒されながら、団塊ジュニアからは追い上げられ、谷間世代を続けるだけです。いいかげん慣れましたけどね。

おあとがよろしいようで(よくないか)。

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コメント

父を刺し、母を犯せとはどこかで聞いたせりふですが。
すばらしいお兄さんとお姉さんも、刺し、犯さなければならなくなったのは時代のせいか、はたまた・・・
どちらにせよ、僕らは子供なのでお兄さんとお姉さんに美しい日本を教えられているようです。
(・・・・僕らにとってはお兄さんとお姉さんは父と母か)

冗談ですが・・・

投稿: mako | 2008.04.01 22:54

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