『シドニー!』から北京へのシュルレアリスム的な小旅行
平戸にいってきた。直行バスも、直行鉄道も、直行舟もない。事情があって、車も運転したくない。のですこぶる能率の悪い移動ではあった。でも読書時間は少しふえた。
行きは村上春樹『シドニー!』(上下)、帰りは塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』という組み合わせ。なにも塚原が引用しているミシンとこうもり傘の手術台上の出会いを、オリンピックとアバンギャルドの高速バス内における混在に置き換えたというつもりはない。結果的にそうだというなら面白いね。
嬉野あたりで事故を目撃した。さいわいけが人はいなかったが、車は小破。乗っていたと思われるカップルが電話をしている。
村上春樹『シドニー!』ねえ。8年前はどうしていたのだろう。ちょうど8月をアメリカ観光旅行に費やして、翌年消えてなくなった対のタワーにもちゃんと上って、帰国して、上機嫌で高橋尚子をみていた。才能あふれるコワイモノシラズの人は輝いていたし、そう見てしまう自分は年取ったなあ、と感慨深かった。しかし2008年予定のオリンピックなど、さらには東京(戦前)、メキシコ、ミュンヘン、モスクワ、ロサンジェルスなどを考えると、シドニーは例外的に平和なオリンピックではあった。しかもアボリジニーなどこれまで内部問題とされてきたのを、あえて表に出して、痛みを出すことでトラウマを解消する道筋がついていった。
作家の文章で感心するのはいつも「比喩」である。建築専門家が建築について書くときは、いつも技術的、事実主義的、統計的、である。建築史家も比喩が苦手だ。もちろん機械的な事実が大きな歴史を背負っているということはあるし、それを発見したからこそ書いているのだが。しかし事実をもって語らせるのを中心にすえてきたので、「比喩」能力はかなり退化している。ぼくはこれを鍛え直さねばならないかもしれない、と考えている。
たとえばオーストラリアは動物の宝庫だが、ある動物は編集者のようにフルーツパフェをばかっぽく食べる、であるとか。つまり比喩とは、森羅万象のなかで関係ないと思われたことがらどうしを、関係づける作業でもある。
さらに比喩の例。退屈な開会式で、ブラジルの国歌を聴いたあと、君が代を聴きながらの日の丸は「サイドブレーキを引いたまま、いそいそと坂道を上っている自動車」のようである。そんな自動車見たことないけれどね。これは非現実の比喩。それからマラソンの選手が「まるで映画の『タイタニック』で、傾いたデッキから乗客がずるずる滑り落ちてゆくみたいに」(下巻139ページ)脱落してゆく、だとか。これは無関係の関係のおかしさ、という比喩。
作家はさらに、オーストラリア、イギリス、アメリカの歴史的な関係だとか、アボリジニとの和解のこととか、それからオーストラリアらしさのようなものを皮肉と愛情をこめて書くのである。
そのなかでもスポーツとはそもそもなにか?的な論考も面白かった。もちろん人間の本能である闘争が形式化したものという一般的な理解からはじまって、オリンピック観戦とは「クオリティーの高い退屈さ」(下113)なのであって、そこでは「意味というのは、一種の痛み止めなのです。」(下113)などと展開する。
そしてスペインの哲学者オルティガを引用して、「冒険とは物質界の脱臼であり、非現実なのだ」ということであり「意志は現実そのものだが、欲求されたものは非現実的なのである」。そして「結果的に達成されたものが、どのくらい大きく現実から脱臼しているか、それが問題なのだ」(同176)。
ううむ。「物質界の脱臼」ですか。スペイン人という、大航海時代の立役者の子孫からいわれると納得です。
平戸。史跡をめぐって、坂をのぼって、写真をとって、博物館で図録を買って、人にあって、温泉にはいって、ビール飲んで、寝る。チャンポンはちゃんといただいた。クジラはありつけなかった。
やはり平戸。ここには大航海時代さなかにオランダ人も、スペイン人も、オランダ人も、イギリス人もやってきた。最初は、大航海のあげく船は数隻のなかで一隻、人も例外的に生き残るという、たいへんな訪日であった。これがなければ今の平戸はない。人間は現実が退屈なのでときどき非現実で憂さ晴らしをする、のではない。むしろ非現実が現実をつくってゆくのだ。非現実という名のひろいひろい荒野があって、そのなかにぼくたちは現実という名の城壁を築いて、その内部の町に住んでいるのだ。その外部の広大な非現実からのさまざまな補給がなければ、現実は現実でなくなってしまうのだ。(ぼくもすこし比喩が上達しましたね!)
帰路では塚原史の『ダダ・シュルレアリスムの時代』を読む。320ページほどをすらすら読めたが、それほど頭に残っていなくて申し訳ありません。記憶にのこっているのは、2点。
まずツァラらが考えたのは、言葉を意味から切り離すということ。つまりブルジョワ的正統派文化では言葉は意味そのものであり、両者は完全に調和しているのであって、そもそも両者などと考えることはおかしい。しかし「DADA」という名前そのものが辞書ランダム検索から偶然に選ばれたように、ダダはなにも意味しない、ことが重要なのである。
同時期ソシュールがシニフィアンとシニフィエを切断したように、まず意味にむすびついていないなにか、というものの存在が考えられるようになる。
もうひとつはこうした過去から切り離された前衛運動が、20世紀初頭の政治文化と地下水脈でつながっていたのではないか、という指摘である。ムッソリーニやヒトラーの全体主義におけるプロパガンダには、前衛運動的な表現なしには考えられない手法がある。
しかし1896年という近代初頭に再開された近代オリンピックも、物質界の脱臼だとしたら、そこには前衛的なものもすでにはいっているのであろう。そして商業主義、国家主義、グローバル化という要素の先駆的なものも。それにしても、意味を切り離すこと、は物質界の脱臼、ではないか。
・・・というわけでオリンピックとダダは、高速バスのなかでうまく出会えたのだろうか。
ところでシドニーから平戸だろう。シドニーから北京へ、の「北京」はどこにあるんだ、とおっしゃるでしょう。下をクリックしてください。
オヤジギャグで申し訳ありません。おふざけと受け取られてもしかたありません。
しかし平戸の真実のなにがしかがあります。歴史の道という、特別な場所ですが、そこでも住民はどんどん去っていっています。中華料理店・北京の両側も転居してパーキングになっています。地方都市の典型的な風景です。
6月になったら学生たちといっしょに取り組んでみます。
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