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2008.03.09

「象徴としての風景」について

 これはケネス・クラーク『風景画論』の第一章のレジメのようなものである。建築設計演習のための副読本、という位置づけだから、物足りなさそうと思われる人はパスしてください。だいぶ前の岩崎美術出版のものとちくま学芸文庫のものがある。どとらも目を通しましたが、今回は後者を参考にしての要旨です。

 まず古代ギリシアでは、芸術家の関心はもっぱら人間にあったので、風景は対象とされなかった。ヘレニズム時代も、風景はたんに装飾として描かれるだけであった。

 このように古代芸術では風景への関心はあまりなかった。しかし風景を描くその手法、とくにビザンチンの手法、光や空間を描く方法、は影響を与えた。

 中世人は自然を象徴のシステムとして読んでいた、というのがこの章の要旨である。

(1)象徴/感覚 

 中世において特徴的なこと。「象徴」が「感覚」よりも圧倒的に重要であった。

 中世絵画は「象徴」的なものである。万物のかたちをシンボルとしてとらえ、あらゆるものはキリスト教の教えのなにがしかを反映していた。シンボルは、その自然物のありのままの姿とはまったく無関係であった。記号学におけるシニフィアンとシニフィエのようなものである。観念こそ神にふさわしいものであった。

Photo 《カンタベリー詩編挿絵》

 中世人は世界を象徴化して理解していた。花、木、は美しいのみならず、神がなんらかの意志を表明しているものであった。

 それに比較して「感覚」は卑しいものであった。人間の感覚を喜ばせるようなものは、それだけで罪深いものであった。庭園には薔薇の花が視覚や嗅覚に快楽をあたえ、歌や物語が聴覚を満足させる。

 一般的に、農夫や漁民にとって自然は観賞の対象ではなく、生活の糧、生命の危険、などより直截な利害にかかわっていた。

(2)庭園/荒野

 12世紀になって「庭園」が「再発見」された。もちろん聖書にも庭園は描かれているからヨーロッパ人が知らなかったのではない。しかし東方文化に触れることで、ふたたびそれを意識することとなった。

 まず「パラダイス」はペルシャ語に由来する。「壁で閉ざされた囲い」を意味する。十字軍活動によりイスラム文化圏の文化が移入されたのであった。

Photo_2 Photo_3

(左:ケルン派《パラダイスの庭》、右:《一角獣と貴婦人》)

 『薔薇物語』やダンテ『神曲』やスペンサーの『神仙女王』などの中世文学はそれを反映している。あるいはパリのクリュニー博物館所蔵の《貴婦人と一角獣》。これらは〈閉ざされし庭(ホルトゥス・コンクルスス)〉として描かれるのであった。

 庭園と対概念となるのが荒野であり岩山である。庭園は愛らしく、安全である。しかしそこから出れば、自然は、錯乱し、広大で、危険で、畏怖すべきものである。

Photo_4 Photo_5

(左:《荒野に赴く聖ヨハネ》、右:フィレンツェ派派《隠修士の生活》)

 かくしてゴシック絵画では、荒涼たる奇妙なかっこうをした岩山が、人間に敵対的な自然として描かれる。フィレンツェ派による《隠修士の生活》やジョヴァンニ・ディ・パオロの《荒野に赴く聖ヨハネ》などが典型例である。人間にやさしい庭園とは対極的に、荒野や岩山は人間に敵対的で試練を与えるのである。

 クラークはチェンイーノ・チェンニーニを引用している。孫引きしてみよう。「山を描くためによい方便を得ようと願い、これを自然のものの如くに見せかけようと願うならば、ごつごつした、磨きのかからぬ大きな石をいくつか用意せよ。そそて理性が汝に好しと許す通りに明暗を用いつつ、ありのままにこれを描写せよ」。これはプッサン、ゲインズバラ、ドガらの方法の先取りでもあるそうだ。

 つまり自然の描写とはいいながら、観念的なのである。実際の自然を観察するまえに、あらかじめ定型=自然もどき、を制作しておくのである。

 ゴシック絵画に描かれた山岳がこのように想像上のものであるのは、当時はまだ登山の習慣がなかったからである。生業との関係は注意しなければならない。狩猟は貴族のスポーツであり、登山は近代人の娯楽であり、彼らがそれを楽しんだから絵画として描かれる。農民は海や畑や田園の風景には関心をもたない。それらは美しいと鑑賞するにはあまりに生活に密着している。田園はそれ単独で再発見されたのではない。農民と田園は1セットとなって、領主や、近代人=都会人によって、「再発見」されたのである。これはヨーロッパでも日本でも同じである。

(3)中世的な風景概念からの離脱

 典型例がランブール兄弟による《ベリー公のための豪華時祈書》(15世紀初頭)である。中世的な象徴的伝統が影をひそめ、ネーデルラントに特徴的な、事物をありのままに見ようとする姿勢があらわれている、という。

Photo_6 (ランブール兄弟《時祈書》

 さらにクラークは1420年ころに、人間精神は変化し、「光」と「空間」についての初期科学的なとらえ方がはじまったとして、後段における説話展開を示唆している。

(4)まとめ

 現在では建物と景観が「なじむ」ことのみ評価されている。しかしもともと自然は人間と敵対的であった。荒野と岩山はまた、神のシンボルによって満たされていない、その意味で反宗教的、反人間的な空間であった。

 現在の景観思想、風景思想を生み出した根源にあるのが、人間が自然を支配したという歴史的事実である。風景観はその支配が進展するプロセスのなかで変化してゆく。

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コメント

久々のコメントです。
「象徴」と「風景」というのはぼくの設計において、非常に重要な概念であると考えています。
断片的な小さな風景を積み重ねてゆくこと、
大味な風景論ではなく、個人が身近に体験しうる風景。
それが、なんらかの象徴性をもったときに場面は生まれるのだと思います。
リビングのイスとテーブルが食を象徴するように。。
そんな小さな象徴的風景を建築を通して描いていけたらいいような気がします。(いかにも日本的)・・・
だいぶ次元の違う話かもしれませんが。。。

投稿: マコ | 2008.03.09 21:57

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