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2008.03.23

「世界の終り」を生きること

ぼくたちは生き、そして死ぬ。そうだろうか?ひとつの生のなかに、生と死がある。ぼくたちは生(せい)を生(い)き、そして死を生きるのだ。そして逆説的に、死を生きることこそ、本当の生なのだ。

死者たちのため、その子孫として、生きるのではない。死者たちの生を再発見する。そしてそれを生きるのだ。

ウェルギリウス『農耕詩』第2歌では、葡萄とワインの神様バックスへの頌歌であるとともに、葡萄やオリーブの栽培法、塩分を含んでいたり養分の濃いなどさまざまな性質の土地の耕し方、などを書いている。農耕詩の全体が、田園のなかで農業に専念する農民たちが知るべきノウハウを書いた技術書のような体裁でかかれている。しかしもちろんこれは単なるマニュアルではない。

その背後にウェルギリウスの理念がある。それは田園生活の理想化ということなのだが、田園が理想化されるのは、現実の都市生活が矛盾にみちたものと感じられてかただ。しかしこれはよくある都市/田園のシンクロニックな対比ではない。そこには古代ローマが共和制から帝制に移りゆくその時代の変化をあらわしている。だから都市/農村のコントラストは、共和制/帝政でもあり、過去/現在でもある。農地没収という事件がカギだと解説には書いてある。この固有の事件は、しかし普遍的な構図をもたらす。過去の牧歌的な幸福な田園生活はすでに失われた。その通底するトーンがぼくたちを『農耕詩』読解に引き込んでゆく。

しかしこれは農夫たちへの頌歌でもある。「おお、自己のよきものを知るならば、あまりにも幸運な農夫らよ!争いの武器から遠く離れて、彼らのために、最も正しい大地はみずから、地中からたやすく日々の糧を注ぎ与える」(小川正廣訳・第2歌458-460行)。

彼らは争いからは遠い。この争いとは、ローマが遠征し、征服し、属州を増やしていったことであり、政治抗争であり、内乱であり、王国や国家のなかの紛糾であり、すこしでも富める者になろうとする競争であった。しかし農夫たちは、帝国の支配拡大にも、それによる王国の滅亡にも、貧富の格差にも心を動かされない。

「彼はただ、枝になる果実を、田園の土地がみずから進んで快く生みだしてくれる実りを摘み取り、冷酷な法律も、狂騒の中央広場も、国民の公文書館も目にすることはない」(同499-502行)。そしてこのような生活をかつてローマ人は営んでいた。そしてそれが今は失われた。「人はまだ、戦闘喇叭が鳴り響くのも、硬い鉄床の上で、剣が打ち鍛えられる音も聞いたことはなかった」(同539-540行)。戦いの時代はまだであった。

戦いとは他国との戦いであると同時に、空間を征服する戦いであり、フロンティアを消滅させる戦いであった。「しかしわれわれは、広大な平野の走路を走り尽くした。今やもう、汗煙る馬どもの首を馬具から解き放つときだ」(同541-542)。馬と馬具とは、移動の手段であり、ここでは空間の征服を象徴している。現代に置き換えれば、自動車、ジェット飛行機、インターネット、ケータイを意味している。それを置いてみよう、という。不可能だとわかっていても。

ウェルギリウスは生きようとする。「かつて古のサビニ人」や「レムスとその兄弟」たちや「黄金のサトゥルヌス」のように、田園での牧歌的生活を。しかしそれらはローマの七つの丘が城壁で囲まれたのちとなっては、回復不可能なことなのだ。農民たちは土地を没収されてしまったのだ。

・・・・「世界の終り」とは人類の完全なる滅亡ではない。もし最後のひとりまで死んでしまえば、世界の終わりを書き記す人も、その事実を確認する人もいなくなってしまう。死ぬのはいつも他者である。

村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、またしても息をのむようなパラレルワールドが描かれる。現実の世界に生きている主人公と、その主人公が脳の内部につくりだしたヴァーチャルな世界が、交互に描かれ、物語は展開する。さらに「世界の終り」のなかでは、主人公そのものが、主人公/その影、というかたちで二重化され、対話が始まる。

ひとりの人間を分節化し、構造化するのはある意味で神話の世界である。そう、内面は統一されてなくともいい。現代人がひとつの神話であるように描かれている。しかしそのなかで小説家は、とても率直な独白をそっと挿入する。それはひとりの人間の語りとするととても素朴なのだが、しかしこのフィクション、神話のなかに置くと、大きな意味をもつように感じられる、そんな書き方である。

「私の人生の輝きの九十三パーセントが前半の三十五年間で使い果たされてしまっていたとしても、それでもかまわない。私はその七パーセントを大事に抱えたままこの世界のなりたち方をどこまでも眺めていきたいのだ。(村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』文庫版・後半p.331)

「世界の終わり」のなかで、主人公は自分の影とも別れをつげる。影をなくしてしまうとは、じつは自分の本質とも別れを告げることだ。それに別れをつげて彼は「世界の終わり」のなかで生き続けようとする。なぜなら「ここは僕自身の世界なんだ。僕は僕自身を囲む壁で、川は僕自身の中を流れる川で、煙は僕自身を焼く煙なんだ」(同p.345)。人はどんなに自分をねじ曲げて生きようとも、そのねじまがりそのものを生きなければ誠実でなくなってしまう。

生(せい)のなかで「世界の終り」がどのように生(い)きられるか。ウェルギリウスが、本来のローマ人からの決別を哀愁を込めて書き綴ったように、村上は本来の自分、本来の生ときっぱりと別れること、そのことが主人公の「公正さ」(同p.334)なのだという。

「世界の終り」とは、見知らぬどこかではない。それは生きなければならない。生きられなければならない。それを生きるということは、どんな事態なのだろう。「僕はテーブルに両肘をつき、手のひらで顔を覆った。・・・・僕はその暗闇の中で、海に降る雨のことを思った。広大な海に、誰に知られることもなく密やかに降る雨のことを思った。雨は音もなく海面を叩き、それは魚たちにさえ知られることはなかった」(村上春樹『国境の南、太陽の西』文庫版(下)p.299)。雨の一粒一粒は無名で、知られることなく、海面を叩き、そして海に溶けてしまう。一滴は、一滴の貢献しかせず、飲み込まれる。しかしそれはウェルギリウス描く農夫が、曲がったスキで大地を耕す、その際限ないような繰り返しではないか。

「世界の終り」とは、べつに空想の物語や、奇想天外なSFや、サブカルでもなく、現実としてぼくたちの目の前にごろんところがっているものだ。もちろんどこでも見えるというものでもないが。たとえば古代、中世、近世といった歴史の各層が残した痕跡が見えるところ。遺跡でなくとも生きられた都市のなかにもそれは目撃できるであろう。

カルタゴの古代遺跡や、クラック・デ・シュバリエの中世十字軍遺跡、いや奈良や京都でもよい。それらを建設した人びと、そこで生きた人びとはもういない。だから現存するとはいえ、遺跡は、消失、不在、空白、喪失などを指し示すために存在している。いや遺跡そのものがそんなことを考えているのではない。ぼくたち観察者がそこに不在というものを感じるのだ。「世界の終わり」とはそういう類の不在の象徴なのだ。

遺跡は目の前にころがっている。だからそれは現在に所属している。しかしそれを過去のものとしてみるにはイマジネーションが必要である。世界はすでに終わっており、その終わりのあとで、自分はここに登場した、というやるせないほどの不在感、欠如感である。

ヴィオレ=ル=デュクという19世紀の古建築修復家の保存手法はしばしば間違っているといって批判されてきた。南仏のカルカソンヌでは、瓦ではなく北ヨーロッパ的なスレートというふさわしからざる材料で修復したことで非難された。

ヴィオレ=ル=デュクはゴシック教会の構造を、ひとつひとつの石材に分解し、それら相互に作用する力の流れを解析し、ひとつの構造体がどのような力学システムからなるかを考察した。リブは支持体であり、皮膜は被支持体である。機能主義的にそう分析した。そしてこれが過度に事実主義的、機能主義的、合理主義的であるとして批判された。

しかしこれは批判者こそが過度に機能主義的であったにすぎない。

いっぽうでヴィオレ=ル=デュクの「様式」概念もまた批判された。ひとつの原理からなるさまざまな要素をむすびつける統一性だ、という理念が批判された。折衷主義者である、と批判された。ふつうは彼はフランス合理主義の伝統を汲む、理性の人と位置づけられていたから、その彼を折衷主義者とよぶのはとても意図した揶揄なのだ。

しかし彼は事実主義者ではなかった。彼は修復は、過去の復元ではなく、理想的様式の完成であった。13世紀の職人や建築家ならこうするであろうとう想像でもあった。しかしそれは中世人たちが未完成のままのこした過去を、完成させようという、死を生きることでもあった。だから後世の改造を改めて当初のオリジナルな姿にもどすことに満足せず、オリジナルそのものが理想の70%だとすると、それを100%にすることが修復と考えた。

村上春樹流に、のこりの7%をだいじに抱えて生きようとした、ともいえるだろうか。

なぜヴィオレ=ル=デュクは「様式」を理想化し、事実とは異なることでもあえてそうしようとしたのか。

それは彼が「建築」を信じていたからである。

子供向けの説明のように書いてみよう。建築の神様がいたんだ。神様は、中世の建築家たちに自分にとっての理想的な館を建設させようとした。ゴシックとは、構造的にうまくできていて、窓も大きく光がたくさんはいって、天井もすごく高くて、地上にいながら天国が想像できるようなものだった。でも神様は、人間たちなんだ、と考えた。人間だから、完全なことをさせてしまってはいけない。だからよくできたゴシック建築だけど、そうだな、93%くらいのできで、いちど終わらせてしまおう。中世の世界は、とりあえずこれで終わりにしてみよう。そう考えたんだ。「世界の終り」さ。

神様は700年してから(神様にとっては一瞬のようなものだが)、残りの7%が残念になった。だって神様の頭のなかには100%ができあがっていたから。だから神様はヴィオレ=ル=デュクを遣わして、ゴシック建築を完全なものにしようとした。この建築家=修復家は残りの7%のことをほぼ理解していた。しかし彼はやはり人間だったので、不完全だった。どこが不完全だったかというと、他の人間たちに分かってもらうすべを知らなかった。だから評価もされたけど、さんざん誤解されたのさ・・・・・

ヴィオレ=ル=デュクは、固有のゴシックということを超えて、建築そのものことを考えていた。それはゴシックの拡大でもあり、建築の再構築でもあった。

だから彼は近代建築運動におおきな影響を与えた。彼が合理主義者であったからではない。建築概念を根本的に考え直したからであった。だからフランスだけでなく、イギリス、ベルギー、アメリカ、ドイツの近代建築運動におおきな影響を与えた。

この事実は日本人にとってとても大切だ。日本人は、伝統と現代とは違う、保存と開発は両立しない、歴史家と現代建築家は対話できない、そんな子供のようなことを考えている。しかしフランスにおける歴史的街区保存を可能ならしめたマルロー法のアンドレ・マルローは、歴史と現代をいかに接続するかということを考えていた。おなじように、ヴィオレ=ル=デュクは、中世ゴシック建築を徹底的に理念化することで、近代建築の礎を築いた。つまりまず19世紀に建築保存があって、そののちに近代建築運動が起こった。そしてまさに保存から生まれた理論が、近代建築の骨格となった。この歴史的ダイナミズムが日本にはまったく伝わってこないのである。そして近代を批判するために保存を考えるという、日本の常識=世界の非常識、が続いている。

ヴィオレ=ル=デュクが「建築の神様」からのご神託を聞いたかもしれない。ぼくなりに言い換えれば、彼は死んでしまった中世人の残りの生を、可能性としての生を生きようとしたのだ。だからそれは死を生きようとしたことでもある。それは死者のデスマスクを忠実に再現することではない。死を生きるとは、ある意味ではとても創造的なことなのだ。

それはここの個別の建築を超えた上位概念としての「建築」があるということを、信じようとすることだ。

ヴィオレ=ル=デュク自身の言葉を借りるとすれば、それは「様式」であり「統一体」である。ゴシックは、フライング・バットレス、リブ・ヴォールト、尖頭アーチの三点セットというのではない。それらが有機的に一体となった統一体なのだ。

この統一性の概念は、彼のようにたくさんの教会堂建築をサーベイしないとわからない、特権的な視点にようにも思える。だからここで喩え話をしよう。ひとりの人間を描くときに、○○国人で、××語を話し、宗教は△△で、性別、身長、体重はこれこれで、性格、嗜好、職業は・・・といくら属性を列挙してもその人間の本質には到達できない。それはひとつの人格として、統一体として、面前で見なければわからない。建築もまた、指標や属性の羅列では、つまりデータベースからただちに再構築できるものではない。それは統一体なのだ。

その「統一」は機械論的に判断できるものではない。いくつかの指標を満足すればOKというものではない。すべての統一体は、有機物的であり、生まれ、死んでゆく。

ヴィクトール・ユゴーは「あれがこれを殺す」といった。パリのノートルダム大聖堂を指し示しながら。しかし殺した、死んでしまった、では終わらない。ましてや文献が石に書かれた言葉を殺した、などという半端なものではない。古代ローマにおける農地没収のように、教会堂はカトリック教会組織から没収された。そこで世界はいちど終わっているのだ。文明は「世界の終り」を生きる。死を生きるのだから。

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プログラムをモジュールに分割するときには、システムの頻雑さを最小限に抑えるために、モジュールの関係が階層構造になるように設計するという方針で作業を進めます。 [続きを読む]

受信: 2008.03.27 00:58

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