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2008.03.31

平戸の年表

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平戸の略史
1191年。栄西、南宋から平戸島に帰着。平戸滞在中に禅宗を伝え、茶畑を作った。
1225年。松浦党の一族持(平戸松浦氏祖)、小値賀から平戸に移る。館山(松浦史料博物館裏山)に館を築く。
1550年。ポルトガル貿易船、平戸に入港。
1550年9月。フランシスコ・ザビエルが平戸で布教する。
1561年。宮ノ前事件。
1562年。大村領の横瀬浦が、ポルトガル船の貿易港となる。
1584年。スペイン貿易船が入港。
1587年(天正15年)。豊臣秀吉の九州征伐。松浦鎮信(しげのぶ)は、北松浦郡、壱岐を安堵される。
1600年(慶長5年)。関ヶ原の戦い。松浦氏は東軍。徳川家康より6万3000石の領地を安堵される。松浦藩の成立。
・第1大藩主は鎮信(しげのぶ、1549-1614:法印、平戸松浦市26代当主、平戸藩初代藩主として1587-1600)。久信(2代藩主、1600-102)。三代藩主は隆信(たかのぶ, 1592-1637、平戸藩第三代藩主1603-1637。)

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1609年。オランダ商館が設置。
1613年。イギリス商館が設置。(1623年閉鎖)
1615年。イギリス商館長リチャード・コックス、九州(日本本土)で初めてサツマイモを栽培する。(当時の沖縄にあった琉球王国では、1605年初めて栽培されたとされている)
1620年。三浦按針(ウィリアム・アダムス)、平戸で病没。
1637-1638年。島原の乱。
1639年。長崎出島からポルトガル人追放(布教、植民地化を阻止するため)。
1641年。オランダ商館、長崎の出島に移転。平戸での南蛮貿易の終わり。

1880年。猶興書院(猶興館高校の前身)、開設。

1977年4月4日。平戸大橋開通。平戸島と本土がつながる。

行政区域
1871年。廃藩置県で平戸藩が廃され平戸県となり、さらに長崎県へ併合される。
1889年4月1日。町村制度施行により、以下の各町村が発足。北松浦郡平戸町・平戸村・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村・田平村・南田平村・生月村・大島村。
1925年4月1日。平戸町と平戸村が対等合併し、新町制による平戸町が発足。
1940年4月17日。生月村が町制施行。生月町となる。
1954年4月1日。田平村と南田平村が対等合併し町制施行。田平町が発足。
1955年1月1日。平戸町・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村が対等合併して市制施行。平戸市が発足。
2005年10月1日。周辺の大島村・生月町・田平町と対等合併。新市名は平戸市。この結果、長崎県から村が消滅。

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松浦史料博物館
国の登録有形文化財。
江戸時代初期:平戸藩藩主・松浦家の館。
1893年。松浦詮(あきら)が「千歳閣」(謁見・応接の間)を建設。現在の史料陳列室。
1950年。松浦家当主陞、敷地と屋敷を平戸市に寄贈。
1950年10月:現資料館が開館。

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平戸城
松浦鎮信(法印)は豊臣秀吉の九州征伐に加わり松浦郡と壱岐の所領を安堵された。
1599年(慶長4年)。安土桃山時代末期。松浦鎮信(法印)が城を建設。
1607年(慶長12年)。完成間近にもかかわらず火を放ち城を破却。理由:江戸幕府からの嫌疑を免れるため(豊臣氏と親交が厚かった)。あるいは嗣子久信の死。
鎮信、「中の館」と呼ばれる居館を構え、平戸藩の藩庁を建設とする。1893年に松浦私邸が建設され、それが1950年に松浦史料博物館となった。
1702年(元禄15年)。鎮信(天祥・4代藩主)、築城を幕府に願い出る。
1703年(元禄16年)。築城、許可される(きわめて異例)。理由は、将軍家との姻戚関係。あるいは東シナ海警備の必要性。
山鹿素行の軍学に沿って縄張り。鎮信(天祥)は山鹿素行の弟子。素行と全国スタディをし、資料を収集、山鹿流軍学による縄張りがなされた。素行を平戸に迎えるという希望はかなわなかったが、素行の子、高基・義昌の兄弟が藩士として迎えられた。築城は義昌が指導した。
1704年(元禄17年)2月着工。5代藩主棟による。
1707年(宝永4年)完成。 天守はなし。二の丸に建てた3重3階の乾櫓が、その代用。
1871年(明治4年)。廃藩置県により廃城
1872年。建物解体。狸櫓、北虎口門(搦手門)、は残され、現存。
1962年(昭和37年)。模擬天守及び復興の見奏櫓・乾櫓・地蔵坂櫓・懐柔櫓が建設。天守内は、松浦党などの資料館(国の重要文化財の環頭大刀(亀岡神社蔵)も展示)。現在の城跡には、亀岡神社境内、亀岡公園、市民グラウンドなどの施設がある。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(90番)に選定。
2007年(平成19年)6月~。全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始。

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聖フランシスコ・ザビエル記念教会
正式にはカトリック平戸教会。
平戸市・松浦市・北松浦郡地区における主管教会。
1931年(昭和6年)4月。現在の教会堂が建てられた。
1971年。献堂40周年。聖フランシスコ・ザビエル(日本に初めてキリスト教を伝え、平戸にも三度にわたって布教に訪れた)の像が建立。「聖サンフランシスコ・ザビエル記念教会(あるいは聖堂)」とも呼ばれるようになった。
2006年。献堂75周年。ルルドの泉が建設。
*「ルルドの泉」。ルルドとはフランスの町。スペイン国境に近いところにある。1858年に村に住む少女が、聖母マリアの出現を目撃した。それより奇跡の起こった村として、巡礼の対象となった。

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