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2008.02.23

東方旅行(041)1988年1月9日(金)テーベにて(2)王家の谷

 今日もルクソールからテーベにかよう。レンタサイクルを利用、「王家の墓」見学である。犬にもおぼえられてしまい、吠えながら追跡される。

 篠原一男がいっていた、窓のまったくない、黒の空間を思い出す。プラン的にはかなりにている。しかし違うのは、ファラオの墓には柱があるということだ。外部のまったくないこうした自律的な空間にとっては、柱があり、それが背後のわずかな空間を隠し、そのことによって経時的な体験をうながすということが、顕著な特質となっている。

 セティ1世の墓。修復中で入れず。このファラオは紀元前13世紀に統治した。セティとはセト神に捧げられた、という意味。

 セト神は砂漠と異邦の神。力、戦争、嵐、偉大さなどを象徴している。下エジプトの支配者であった。オシリス神の重要性が増してくると、この兄オシリスを殺害する悪役をになうようになる。セトはホルスに復習され殺される。これは上下エジプトの統一を神話としたものである。第19王朝になるとセトは復権し、「セト神によるファラオ」としてのセティ1世が即位する。

 ラムセス9世(BC1156-1136)。第20王朝の8番目のファラオ。王家の谷が盗掘の嵐にあったので、安全対策などを講じた。彼の建設事業はよくのこっている。ヘリオポリスの太陽神殿の建物群。またカルナックのアメン神殿の第7パイロンもこのファラオによる。

Ramses_ix_2 

 ラムセス9世のミイラは1881年、デル=エル=バハリえ発見された。しかしその墓は古代にすでに知られていた。壁画にはローマやギリシアのものが残っている。「スポイト状」トンネル形式の墓で、すでに伝統的なものであった。彼の自分の墓を、偉大なるラムセス2世の対面においた。

 ラムセス3世(統治1186 to 1155 BC)。平面図と断面図は、奥に奥にすすんでゆく地下空間を示している。しかしぼくのパースからわかるように、食い違い、階段、などをつかって、奥行きそのものを分節化している。

Rameses_iii

  トトメス3世(BC1504-1450)の墓。ファラオの生没年はフレッチャーに準拠しているが、これは情報源によって異なる。トトメス2世と側室イシスの子として生まれるが、ハトシェプストが女王となったので、その没後やっと王になった。この墓は1898年発掘された。トトメスとは「トート神の造ったもの」という意味である。ハトシェプストの陰に隠れていた時期に高度な軍事能力を身につけ、エジプトの領土を広げた。

 これも奥に奥にではあるが、ひとつの軸線上に並べるのではなく、ランダムな角度で異なる部屋が連結されている。前室のは柱が2本ある。右のものが軸線の回転をもたらしている。

Thoutmosis_iii

 ぼくの手書き平面図はかなり精度が高い。とくにコンベックスで計ったわけではない。建築修行の成果であった。

 セティ2世(在位BC1203-1197)の墓。19王朝第5代ファラオ。

Seti_ii

 Amenophis2世。軸線が90度、回転している。この運動をもたらしたのが、2柱の間の、右の柱であることは明らかだ。

Amenophis_iii

 以上です。 

 長い東方旅行のなかでも、今日は一枚も写真をとらなかった数少ない日。移動日だから撮影しなかった日はいくつかあるが、たくさん遺構を拝見しても撮影しなかったのは今日だけではなかっただろうか。

 それにしても赤外線測量器はおろか、ローテクな定規も巻尺もつかわず、ちゃんと平面も断面もとらえている。たいしたものだ。20年もたつと別人ですな。

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