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2007年12月の6件の記事

2007.12.20

救急車について

 霊柩車について書いた建築史家がいた。なるほどそれは意匠が華やか展開される対象である。生の世界から、あの世への移行、つまりトランジショナルな状況というのはデザインが展開される格好の舞台であるのは事実だ。

 それにたいして救急車は合理性だけである。あるいはそのサービスをめぐって社会的な批判などがされたりする。デザイン的に工夫がないのは、道路輸送車両法で規定されているからである。白だけである。青、赤などの帯がはいる場合がほとんどだが、消防本部ごとにちがう。ともあれ合理性に支配され、画一的であるのは、救急車というものがあくまでこちらの世界に属するのだ、という社会的合意があるからである。そのなかで帰らぬこととなる人がいたとしても。

 救急車はかなりスタンダード化されていて、商用ワンボックスカーをベースとした2B(ツーベッド)タイプと、マイクロバスをベースにした3Bがあるが、日本ではほとんど2Bである。

 地方自治体ごとに、その消防本部が次年度にどのタイプをなん台必要かなどの内容を決定し、議会が年度計画を決定する。決定されれば、消防本部は登録された販売業者に入札公示する。競争入札である。落札した販売業者は自動車メーカーに発注する。公共事業に似た発注方式であるが、談合などの不祥事はほとんど発生していないという。

 救急車は医療サービスにおける不可欠の一部なので、都市計画などの分野で、病院の広域配置計画などにからめて、研究している人がいる。ただそれでなん人もの研究者を養えるほどではないようだ。

 救急車は今は民生用であるが、もともとは軍事用であった。19世紀初頭のナポレオン戦争で負傷兵の搬送に使われたのが最初だとされている。近代戦はロジスティクス=兵站が根本なのだが、それが動脈とすれば、負傷兵搬送は静脈であろう。都市物流をロジスティクスと称する場合もあって、都市を運営するのも戦時体制的というわけか。テロにより都市内が戦場と化すのが21世紀であれば、救急車の役割は伝統どおりというブラックな話も成立するのである。

 これほど大切な救急車であるが、ギーディオンの『機械化の文化史』のなかでもほとんど触れられていない。どなたかいい文献を教えて下さい。

 それはともかくぼくは救急車とけっこう親しい。学生のころ過呼吸症候群というものに2度ほど陥って、そのたびに救急車で搬送された。ただ当時はこの症候群についての情報が一般的でなく、一度は酸素マスクをつけらてしまい、症状はますますひどくなった。つまり血液中の酸素濃度が高すぎることで毛細血管が収縮し、血行不良となり、手足がしびれ、意識が遠のいてゆく患者に、さらに酸素を吸引させるのである!この時点でぼくは『海辺のカフカ』のナカタさんになってしまったと思われる。 

 最近では神経が圧迫される疾患で、2度ほどお世話になった。自分でもわかるが、自立できない身体というのは、スーツケース3個以上のたいへん重い荷物である。眠った子供でも重いのだから、固まったおじさんは超重いぞ。それを搬送するのにさまざまな道具があるというのも初めて知った。横たわって固まってしまった身体を、その姿勢のままで、すくい上げるように運ぶ担架とか。建築をやっているから、エレベータがそれをちゃんと勘定にいれているのは知っていたが。ともかくもそこが救急医療行為のための道具がコンパクトにかつ調密にセットされた医療カプセルであるとどうじに、患者の身体性をも反映しているこを実感として知ったのである。

 人間の身体性によって決まってしまう基本数値というのはよくある。エレベータのない階段だけの建物高さは、20メートルていどが限度である。それ以上の高さになると人間は引きこもってしまうそうだ。そういえばパリで7階エレベータなしのアパルトマンに8カ月生活したことがあったが、9カ月目があったなら引っ越したであろう。

 話は変わるが、ナントやボルドーの、フランス大西洋側のひとびとが、かつて奴隷貿易をやっていて、国家としては謝罪したので歴史的過去のなったにもかかわらず、そのことにいまでも良心の呵責を感じ、トラウマとなっている。奴隷船のプランに、奴隷たちがどこまで高密に運べるかということを示した有名な図面の、オリジナルと思われるものをボルドーの博物館で見た。人間の専有面積をミニマムに計算し、機械的に総床面積にあてはめた、なるほど非人間的なものだ。しかし悪魔的に前提を変えてみるとすれば、作図者が横臥を人間的扱いと考えていて、それでこれだけ収用できるスタディとしたら?人間を数値化するということは合理主義としては必要なことだが、当の分析者の責任があとあとごまかしようなく証拠を残してしまうという例かもしれないと思った。

 つまり奴隷ひとりの床面積と、ぼくのを運んだ担架の面積はさほど変わらない。これは『夜と霧』のなかの逸話であったが、被収容者が横たわっている寝室は、その写真だけを見た者には地獄であるが、被収用経験のある人からすると、強制労働を免れた天国である、といったことである。

 重さに戻って、宅急便の荷物の荷重は20Kgまでで、スーツケースていどである。これは運ぶ人間が腰痛にならないですむ上限ということであろう。

 身動きできない身体になると、荷重60Kg+α(人によっては100Kg超)となるわけで、それは通常のシステムを超えた、特注のものが必要となる。そのための救急車だといってしまえばそれだけだが、昨今では必要もないのに呼ぶ事例が全体の40%超にもなるということも聞いたことがある。お互いのために濫用に注意いたしましょう。

 ただ救急車に搬入されたときのあの安心感。自分の身体を医療に引き渡したというまな板の上の鯉感覚。あれが濫用のもとなのでしょうか。少なくとも人びとには好評である、ということでしょうか。

 

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2007.12.16

構造主義についての個人的で稚拙な回顧など

 あくまでノスタルジーとして書くのだけれど『アカデミーと建築オーダー』のあとがきで、これは1960年代の構造主義的な発想を建築史でやってみたのだよ、というようなことを書いた。われながらあきれるばかりに時代の子であったが、なにしろ思想についてのぼくの理解そのものもあきれるほど幼稚ではあった。そして今もやはりそんな程度であることに三度(みたび)あきれるのであるが。

 でも構造主義は終わったのではなく、ある意味で幼稚化しつつ、無自覚的に、普遍化しているともいえる。卒論の季節なので、学生の仕事を見る機会が多いのだが、その図式主義にそれは顕著にあらわれている。建築は空間であり図式なのだからこうした構造主義の残滓はほんとうに顕著である。目下の学生たちが取り組んでいることだから具体的にはいえないが、ある部屋のある/なし、集合住宅の中庭タイポロジーの時系列的な変化、歴史家と批評家の関係など、ほんとうはその示差的な規準が、結局のところ深層でなにに対応しているかをいわないと意味はないのだが、学生は分類した時点でほぼ満足してしまう。

 でもまあ分類は人間の基本的な悟性能力のひとつなのであって、それができるところまで育てたということは、教育者の役目をはたしたということであり、それはそれでよいのだが。

 レヴィ=ストロースが親族の基本構造についての分析でいろいろ述べている。さまざまな地域や時代の親族は、表層的には多様だとはいえ、その基本構図はきわめて単純で普遍的である。しかし親族は固定的ではない。なぜなら人間は誕生し死ぬのだから、そのうえで親族を継続させるために、女を交換し(近親相姦はタブーだから)、贈与というシステムを考案した。

 こうした構造主義の正しい理解というものをぼくも書物で学んだ。親族をあくまで継続させるために、ダイナミックにいろいろ交換だの贈与などくたびれることをしつづけなければならない、ということである。だから構造とは、こうしたダイナミズム、変化(進歩、循環、往復などさまざま)しつづけることの構造である。物理的なフリーズ状態ではないのである。

 建築は凍れる音楽などといわれ、フリーズの象徴とされる傾向がある。しかしそれがダイナミックなものである、すくなくとも揺らぐものである、と発想を逆転させることにこそ構造主義の貢献があったと思いたい。

 たとえばピラミッドやカテドラルなど立派な歴史的建造物は、人民の財力と労力を搾取して建設されるものだが、その制度や搾取は困ったものにせよ、これは最終的に個人所有には収まらないものだ。最終的には神に捧げられるにせよ、こんどは神が人びとに与え給うのである。強制労働とは強制贈与であるなどとすれば、モニュメントもけっこうレヴィ=ストロース的に説明できそうである。そこには交換があり、循環があり、ダイナミックである。それらの巨大建造物は、経済的な合理性や採算性を超えているからこそ意味がある。それらは贈与なのである。

 これなどは遺産理論の背景に隠れている理念なのであろう。いかにもフランス的だ。構造人類学の権威を生んだフランスで、文化財理念が展開するのは当然であろう。つまり贈与せよ、贈与せよ、贈与せよ、とささやき続けるのである。すると文化帝国主義における略奪の行為は、略奪品を価値あるものとして大切にするのだから、やはり強制的贈与とすべきか(これは素人の暴論ですね)。

 起源の問題はどうか。親族の起源はとどのつまりアダムとイヴである。でもこれを宗教的説話として信じるということと、ほんとうに自分自身の問題としてそれを信じることとは、すくなくとも近代人にとって、違う。

 構造主義の教えは、その起源はわからなくてよくて、親族を存続させるメカニズムがあり、それが構造なのであるが、この「親族」と「構造」はニワトリとタマゴであって、前後してではなく同時に現れたのであろう、ということだ。つまり起源はないのである。

 だから18世紀的な建築起源論は、起源があるはずだという前提から導かれた観念論であって、その前提をとらなければ、立ち現れない。だからぼくたちは、前提に対応した観念論というかたちで、敬意を払いつつ、カッコにくくるのである。この発想から、なにかをリプリゼントする建築などという課題にたいしては、仕事ほしさに参加はするかもしれないが、心理的には距離があるような気がする。カミュを歴史のなにおいて批判したサルトルを、未開の思考と同様と揶揄したレヴィ=ストロースは、歴史という神にかわる超越を否定したのであったが、この蒸気抜きでかなりの人びとの気持ちが楽になったはずである。

 さてポストモダンの時代には、建築はひたすら差異を表すものとされた。さらにつぎには複雑系の理論を体現するものとされた。タイプ、起源、表象といったものは固定的なものとしてだれもかえりみない。しかし様々な意匠がある種の平衡状態をもたらしている。これはNYのMoMA的なキュレーターシステムによる操作の結果ではもやはないであろう。

 現代は建築家たちがたいへんインテリジェントになってお利口さんになっていて、このポスト構造主義を自覚しあるいは無意識に展開しているようでもある。ぼく自身は及びもつかないようなお利口さんの建築家たちが大勢いて、彼らは世界を安定させるために、なにかを展開したり循環させたり反復させたりしつづけているのではないだろうか。

 ぼくは最近思うのだが、こうした状況を描くには、批評や構造分析ではダメなのではないか。ついでにいえば常套的な歴史叙述も。ワイズマンというアメリカ人が書いた20世紀アメリカ建築の本も批判精神がありつつ客観的で、学ぶことは多いのだが、分類がいきとどいた歴史である。よく書けているだけに、そのことの限界もある。しかし局所における力の流れをうまいパースペクティブで描いたコースハースの『デリリアス・ニューヨーク』や、比較できるかどうか知らないが伊藤ていじの『重源』などのほうが、世界が存続していけるそのからくりをよく説明しているような気がする。

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2007.12.14

欠落について、あるいは村上春樹『東京奇譚集』を読んで

 ・・・部屋の奥はどうなっているかわからなかった。行き止まりになっているのか、延々とつづいて外に出るのかも、わからなかった。カーブして長々と続いているので、部屋と呼ぶにもすこし抵抗がある。廊下にも思える。キリコの絵をまっさきに連想した。

 現場にいって見たのではない。写真をとおして見た、というより写真家による解釈そのものを見たのかもしれない。マッキントッシュの黒い椅子は、背後のカーブする白い壁をなんとか固定しようとしているようだ。小津安二郎ばりのローアングル。キリコの絵が建物の背後にひそむものを示唆しているように、この写真は奥になにかが隠されているのを語っているようだ。未来ではなさそうだ。むしろ過去。あるいは不安。

 しかしなにかが示されていない、隠されている、というのは書き方の問題だろう。受け止める奥の壁がないということは、欠如、欠落のひとつの表現なのである。つまりテーマとしての欠落(そのもの)。

 などいう叙述をたいして文才もないぼくが試みる。伊東豊雄の《中野本町の家》を思い出しながらである。

 空港バス、ロビー、機中と移動しながら村上春樹の『東京奇譚集』を読む。

 これらは欠落の物語りである。

 自分がホモセクシュアルであることに気がつき男性性の一部を欠落した男と、乳ガン検査に不安をいだく女、手術によって乳房を除去した男の姉、という欠如のシンメトリー。おたがいになにかを欠いていると分かりあえたとき、姉と弟は10年ぶりに和解する。

 サーフィンをしているときに鮫に襲われて片足を(そして命を)失った少年、息子を失ったその母親、その喪失によってそもそも母親としての愛情が不足していたことに起因する心の欠損。彼女は欠落を追い求めるように、働き、旅する。

 夫が失踪してしまった夫人、記憶と体重を失った当の夫。しかし彼らがそれらを回復したときに興信所の人間がみせる、冷ややかな祝賀と同情。

 『日々移動する腎臓のかたちをした石』は、小説家の書く物語のなかの小道具であったが、それがつきあっている女との関係のなかで、つまりメタストーリーのなかまで入り込んでしまう。この石はなにかの情念の実体化なのだが、それは移動し、戻り、消える。そうしたなかで男はその女が「本当に意味を持つ」女であったこととし、そして「彼は身体のどこかでキリエの欠落を感じ続けることだろう」。欠落こそが愛であり意味であるかのように。

 『品川猿』に名前を奪われた女は、自分の名前をときどき思い出せなくなった。猿は捕まり、盗みを白状した。女は自分の名札と名前を回復し、その欠落を埋めもどした。しかしそのとき母親や姉からは愛してもらえなかったことをはじめて自覚する。知ってはいた事実と正面から向かい合うようになる。名前の欠落は、べつのそれ、愛情の欠落となって現前する。しかし女にとってそれは辛いがむしろ良いことであった。

東京奇譚集 (新潮文庫 む 5-26) 東京奇譚集 (新潮文庫 む 5-26)

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 この短編集のなかで「欠落」は、対称構造、入れ子構造、階層構造、置換構造、などさまざまな構造化された姿で描かれる。欠落こそが吸引力をもつとか、欠落こそが人間を人間たらしめるとか、世界を活性化させるゼロ記号だとかいった、ヒューマナイズした説明はどうでもいい。むしろ欠落そのものが主人公であって、その展開がさまざまであることが淡々と描かれている。

 ゆえに生身の人間がいだく欠落感が伝わってくる。ぼくの共感は、描かれた人物たちの心の傷や、痛みや、悲しみなどによってもたらされるのではない。欠落という関係性のうえに人間たちが立ってしまうそのプロットのありようである。そしてこのプロットは、じつは作家の技巧性に、つまり物語の産出方法論に依存するものであろう。劇中劇、メタストーリーといったからくりこそが人間性を描きうるということである。

 だいたいそんな印象をいだきはじめたところで、はたと気づいた。学生のころ伊東豊雄の《中野本町の家》の写真を見てうけた衝撃は、それが原因であったのだ。ぼくはいわゆる内向の世代論との共振を想像していたし、戦後社会の夢や理想の喪失といった大きな物語との平行も考えたことがあった。しかし《中野本町の家》が示している欠落、あるいは欠落感は、あるべきなにかの欠落ではなく、まさに欠落そのものであった。

 やがて出版された書物のなかで、その施主の背景などを知ることとなった。しかし上記の欠落は、そうした背景の表出と考えてはいけない類のものである。それらの相関を考えることは彼らにたいへん失礼なことでもあり、ぼくの本意ではない。つまりこの住宅に示された欠落は、だれにでも共有できる欠落であって、その意味で「そのもの」なのである。

 ・・・などということを琵琶湖上空あたりで考えていた。このあとすこしまどろみ、気がつくと主翼のスポイラーが立っていた。もうすぐ着陸である。

 

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2007.12.12

暴投ピッチャーさまへ

 拝啓

 レクチャー「空間のことば」へのコメント、神妙に読みいりました。一般市民としてのご反応ですが、暴投と称しながら、思慮深き方によるコントロールを優先したご発言にように読みとりました。

 あまりに本質的なご質問ゆえに、答えを躊躇しておりましたが、これから逃げるわけにもいかないのも事実です。一歩でも先に進めるつもりで書きます。

 ぼくも記憶で書いているので、不確かだった点もありますが、たしか会場での二つめの質問は正確には「建築に何が可能か?」ではなかったかと思い出しました。

 この問題提起は、1960年代に建築家・原広司さんが出したものです。残念ながら学生時に購入したこの図書は紛失していて再確認できませんが、基本的には、近代化という国策+時代の大きな流れのなかで、建築家ができることを問いかけています。おなじ問題意識から彼は、70年代に「均質空間論」という論文を書いています。つまり建築の、ホール、諸室、居間、寝室といったそれぞれの「部屋」(ぼくなりの表現です)は固有のものですが、しかしそれが坪単価いくらという経済のことばに換算されると、すべて数字に一元化される、そして均質「空間」化される、という論旨です。じつは、この理論がぼくのレクチャーの骨格を形成したものです。

 生々しい具体的な「部屋」であっても、それらは均質な「空間」としてカウントされる、という点に近代のアポリアがありました。

 原広司先生のお弟子さんにあたる山本理顕さんはちがうアプローチをしています。彼は建築のプランが、社会の構造を反映しているどころか、すでにその構造そのものである、と考えます。教室を並べた学校建築は先生が偉いという学校組織であろうし、フレキシブルな多目的教育スペースでできた学校建築は、生徒の自主性を尊重する学校組織です。そして彼は学校建築と学校組織は、どちらかが先にできて他方を形成するのではなく、同時にできる、と考えます。また建築プランぬきにして、社会のプログラムは考えつかないはずだ、という主張で一貫しています。

 これはぼくの用語に置き換えれば、「空間」ではなくあくまで「部屋」が決定的だといっているのです。「部屋」ということばで、ぼくたちは世の中を考えています。

 ここで興味深いのがドイツの現象論哲学者ボルノウの『人間と空間』です。彼は窓、玄関、屋根といった建築の部分の現象学的な意味を説明します。そこで興味深いのは、この書はドイツ語で書かれており、邦訳「空間」の原語はRaumですが、このことばには「空間」と「部屋」のどちらをも意味するのです。

 空間と部屋を区別したのはデカルト的な観念論ですが、ドイツのゲルマン的伝統のなかでは、むしろ方法論的にそれらをあえて区別しないということでしょうか。ぼくは哲学の専門家ではないので、これはかなり暴論でしょうが、建築側の利益になるような誤解をあえてしてみたくなります。

 たとえばアメリカの建築家クリストフ・アレグザンダーは今日の言葉でいえば市民参加のための空間言語といったものであるパターン・ランゲージを提案していました。これは今ではとくに名指ししなくとも、さまざまなまちづくり等に浸透している方法論です。環境を形成するさまざまなものを名付け、市民が共有できるようにする。これは環境をさまざまな擬似的な部屋に分解して、考えを共有することを意味しています。

 おそらく近代的な方法論で、空間/部屋という切断が生じたのにたいし、その切断があることそのものは否定できないにしても、その切断を使わない方法論によって実践する、というのが近代を乗り越えるための方法論であったようです。

 山本理顕さんは建築=社会である、だから建築家は建物と同時に社会をつくっているのだ、と考えます。これは部屋のベースとして空間がある、という思考方法をあじめから拒否しようとしているのです。ボルノウもRaumはRaumであるのです。

 しかし空間/部屋、社会/建築といった切断をあえて認めない方法論からなにが帰結するか?それは建築が目的にして手段である、建築の目的は建築である、というトートロジーが生まれることになります。

 建築の目的は建築そのものである、ということは哲学的に考えるとたいへんむつかしい。しかし歴史上では、ピラミッド建設は雇用創出のための公共事業であった、フランス革命時代の公共事業は革命の主役のひとつであった労働者に仕事をあたえて経済を活性化することであった、など、建設事業は目的にして手段なのです。

 現代日本で、建設産業のパイは小さくなりながら、建築学生はむしろ増えていることは、就職、雇用の観点からすると論理的ではないものの、建築そのものが目的である、ということをうすうす意識している若者が多いということを意味しているのではないでしょうか。

 これが有望な解決法となるとは思いませんが、たとえばmakoさんのご指摘ももっともです。つまり隈研吾さんがいう住宅本位制論にあるように、これまで消費意欲が建築産業、住宅産業のエンジンでした。それで経済は活性化される。しかし今の若者が歳をとっても、上の世代ほどには強力な消費者にはなれないのはどうしても事実です。ですから彼らは消費者ではなく生産者になるのです。建築家指向というのはそれに符合するとしたら?それは消去法的な解法です。それしかないとしても。

 以上の説明で「建築に何が可能か?」という剛速球にたいしては、せいぜいファウルチップかもしれません。しかしまずとっかかりとして、こんなことを考えてみました。

 もっともニート、ひききこもりの問題など、検討項目はまだてつかずです。暴投ピッチャーさんからのコメントを期待しつつ、ひきつづき考えてみたいと思います。

                                   敬具

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2007.12.06

公開講座「空間のことば」をしました

 水曜の夜は公開講座をした。テーマは「空間」。4回シリーズものでぼくはその最後、「空間のことば」を担当した。ほぼ同じメンバーでやっており、3年目である。建築を市民有志にたいして説明するのであるが、よくもわるくもこちらは専門家である。ことばのえらびかたには注意が必要である。

 きのうのメニューはこうであった。5構成。

 (1)ミースの均質空間。レイクショア・アパートメントとファンスワース邸を例にとって、高層住宅と週末住宅が同じ構想であるなどと説明する。均質空間のアナロジーとして、大都市に於ける「群衆のなかの孤独」「ダス・マン」「透明な自分」などをとりあげる。また均質空間はニュートンの絶対空間であり、座標軸がどこまでものびてゆく感覚、などとこれまた比喩的表現を弄する。

 (2)集中式空間。これは15~16世紀のミラノとローマを舞台に、フィラレーテ、ダヴィンチ、ブラマンテが集中式空間を推敲した有名な歴史の一頁をとりあげた。集中式であることの比喩的表現として、均質空間的なものがあるとして、それを認識する人間はその身体によってどうしても特権的な一点=中心を設定してしまう。だから時間軸とは逆だが、理論的には均質性と中心性は相互補完的なのである、と屁理屈を弄する。

 (3)日本の20世紀における空間概念の違い。岸田日出刀の『過去の構成』、堀口捨己の茶室研究、丹下健三が戦前戦後に展開した一連の軸線建築、浜口隆一の「建築意志」視点による空間=日本的なもの、という理念などを説明した。つまり西洋をいちど咀嚼した近代日本人が、その意味で西洋化した視点から日本の伝統を再解釈する、それが空間=日本的なものという視点の確立である。しかしこれは均質空間、集中式空間の連続上だと力ずくの結論を披露する。

 (4)バロックの空間。ベルニーニのサン・カルロ・アレ・クワトロ・フォンターネ教会はご存じのとおり楕円ドームのかかった典型的なバロック建築である。しかしエイブラムス叢書に掲載された有名なスケッチにあるように、その平面は円、楕円、正三角形、長方形といった幾何学的な補助線からなる。現実の柱や壁やそれらによってもたらされた結果である。この結果をもたらした純粋幾何学は、アプリの背後のOSのように不可視でありヴァーチャルである。これを平明に言い直せば、「部屋」と「空間」は違う。アーキテクトは部屋をつくるまえに空間を設計しているし、空間は現実の部屋を超越しているともいえる。

 (5)空間から「間」へ。西洋的な空間概念を学習した日本人は、つぎに日本固有の「間」の概念を再発見する。それは構法的、間取り的な意味をもった「間」でもあるが、時間の間と空間の間は同じでるように、日本においては空間と時間は未分化であった。さらにヒモロギにみられるように、キュービックな軽量仮設工作物で指示されたちいさな空間は、それそのものではなく、そこに憑依する霊的なものによって意味をもつ。ここにヒモロギを部屋に例えると、部屋は霊的なものによって拡大し、ほかの場所に関連づけられる。

 このように幾何学的なもの、即物的なものを超えようとする人間的な指向性が、空間という概念を生むのである。だから空間は部屋を超える、という結論。

 話がややこしくなるのでいわなかったが、カーンの「ルーム」は意図的に超越性を禁じ手として別の超越をたてようとするもの、ドイツ語の「ラウム」はあある意味で、部屋と空間を同一視するゲルマン的視点、といった位置づけがなされようか。

 (1)~(5)の内容はすべて既製品であるが、時間軸を無視して順番を変えて、西洋と日本のパラレルストーリーとして述べてみた。まあ大成功ではないが、ちゃんとお話にはなっていた。

 会場からの質問は超本質論であった。

 建築を学ぶ、知る、考えるためにはやはり、どこか本質的なものに依拠しなければならないのではないですか?それはなんでしょうか?

 これにたいしては10分以上かけてあれやこれや説明した。ぼくも学生のころは建築道などいうものがあって道は極まると思っていたのですがね・・・・でも、そうではなかった。構法ひとつ、建材ひとつとっても無数の選択肢があり、かつ日進月歩であり、今日の仕様は来年には旧式です。シックハウス、アスベストだって降ってわいたごとく(あくまでごとく)問題化される。だから道を極めるといいうより、つぎつぎとフレキシブルに対応してゆくことが大切・・・・。

 きょうぼくが説明した均質空間も、じつは現実なんですよ。たとえば不動産の証券化によって、ある建物のある量の床面積を株式として保有したとします。でもこの床面積はかくかくしかじかの部屋のことではない。どこでもありうる一定面積です。それが可能なのは、床そして空間が均質だからです。ミースが美学的に考えたことが、経済的に実現しています。WTC、東京の超高層、福岡で建設されつつある超高層、いずれにもあてはまります。グローバル化はこの均質化を強力に促進しています。

 これからの学生にとって建築をやることの意義はなんですか?

 超難問!大学の浮沈にかかわるようなことをぼくに聞かないで、という反射的発言をやっと飲み込む。

 建築をやっていくということは社会との関係を自分なりに構築するということんですよ。今ニートなりひきこもりが問題になっていますが、これらは社会との関係を構築することに意義を見いだせない若者たちです。しかし建築の平面を考え、構造をえらび、建材をえらび、施主や工務店や行政となんども打ち合わせをするのは、即物的なものづくりをこえて社会との関係を構築しているのです。建築産業そのものはダウンサイジングしているのに建築設計を志す若者はむしろ増えているということは、彼らがそのことをちゃんと理解しているのだろうと希望をもっています。

 また下流指向論が指摘しているように、若者は資本主義的な等価交換の考え方で自分の労働を売ろうとしている。ですので苦労に見合う喜びがすぐ得られないと、あるいはわずかに不足すると、すぐ拒否してしまう。しかし本来労働モチベーションとは、社会の発見のため、共同体の幸福のため、あるいはむかしなら国家建設のためといった超越的なものへの貢献というエトスが必要です。

 もし労働と賃金の交換を、商品を貨幣で等価交換することと同じであれば、付加価値が生まれず、付加価値を搾取して未来に投資することもなくなってしまい、資本制は内部から壊れるかもしれません。労働の喜びというのは、それが(ときには不在でるかもしれない)他者とつながっている、ということを感じることにあるのではないでしょうか。

 歴史的そして社会的に決まっていることですが、建築設計は営利ではないのです。ですので付加価値により社会に貢献するという理想主義がシステム的に生き残っています。建築家をこころざす多くの若者は、そのことを自覚はしていなくとも、うすうすしっているのではないでしょうか。

 なぜ建築なのか、といった本質論を一般市民の方からされると、じつはたいへん困ってしまいます。ある意味でキャリアが終わってから総括として出すべき回答のようなものだからです。それを考えるために建築をやっているようなものですから。だから質問を正面から受け止めざるをえないし、逃げてはいけないのですが、正直に自分の答えの限界をも指摘する誠実さもいると思われます。

 でもまあ結論としては、建築について取り組むにあたってにおける、すがるべき本質はなにか、という超剛速球的な質問に対しては、こう答えなおそうかな。ぼくもそれを求めて建築を始めたのですが、それを考えるためにはいったん回答を保留して、迂回に迂回を重ねて、時間をかけて考えるべき難問なので、さまざまに迂回することを自分の仕事にしたのです。でも中途半端な回答を安易に出してしまうとそこで仕事が終わってしまうので、問いかけることそのものを続けているのです。といったところが本音でしょうか。・・・・回答になっていませんね。

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2007.12.03

パラレルワールド

 ある科学者がいて、まだ若い助手であったとしよう。かれは教授から実験をいいつけられていた。その中身はここではどうでもいいので、あたかも19世紀的に薬品AとBを試験管の中で混ぜて化学反応させ、物質Cと水を若干の熱を発生させるたぐいのものであったとしよう。この実験は気温と湿度に依存するので、その記録も大切だ・・・。しかし結婚から数年して倦怠期を迎えていため、昨晩夫婦喧嘩してしまったのだが、その記憶がとつぜん沸騰してしまい、試験管の振り方をまちがえたばかりか、試験管を落として割ってしまった・・・・。

 さてここで薬品の身になって、AとBからCと水ができるのは必然的プロセスである。しかし試験管を振る助手は、薬品たちにとってどうでもいい。ただマニュアルどおりにやってくれればいい。しかし今度は助手の身になってみると、いちど失敗して、教授の嫌味をがまんして実験をやり直すことが直近のすべきことだ・・・。

 さてこのようにひとつの「実験」ストーリーでも、必然のプロセスは、薬品の系と、助手の系に分かれる。そのクロスするところが試験管を落として割ってしまうという事件である。

 あたりまえのことだが世界は複数の系の網の目である。

 パラレルワールドが文芸のしっかりしたジャンルであることくらいは知っている。いわゆるタイムマシン問題、つまり過去に旅して過去を変えてしまうと現在の自分が消えてなくなってしまうかもしれない、というアポリアは、違う世界の過去にいったことにすればいいらしい。などということである。

 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』は正真正銘のパラレルワールドものとはすこし違うかもしれない。しかし世界をいくつかの必然性のプロセスにわけ、それらは個々別のものとして展開しながら、突如交わってしまう。それが現実にはありえないことながら、それに読みいってしまうのは、ぼくたちが世界の本質的な成り立ちをうすうすわかっているからである。つまり必然性の系がたくさんあって、それらが交差して偶然を生みだし、それがふたたび必然性の系のなかにとりこまれる。

 仕事をやめ、女房に逃げられ、井戸にこもってしまうのは究極の引きこもりである。しかしその洞窟の奥に違う世界が展開され、それが現実の世界と不思議な、しかししっかりと結びついた関係をもつということで、小説は進んでゆく。

 小説のなかで主人公は、首吊り屋敷の井戸にはいり、その壁をすりぬけてあるホテルのある部屋で、逃げた女房かもしれない女性と会う・・・。パラレルワールドへ旅立つのである。

 パラレルワールドとの関係のとりかたはこうした超常現象だけではない。それはメタストーリーの展開としても実現される。間宮中尉が井戸に投げ込まれたり、べつの日本軍中尉が捕虜をバットで撲殺する死刑執行を命じられたり、皮むきボリスとのつきあいがあったりすることは、主人公が井戸にはいったり、バットとナイフの決闘をしたり、義理の兄との葛藤、といったことで繰り返される。

 ごていねいに「想像をしないこと」を命じる登場人物が、陰画として登場する。強制収容所で生き延びるには想像する、という行為をしないことだ。しかし想像するということは、パラレルワールドを構想することであり、それが人間というものであある。

 ここで唐突に思い出すのだが、1990年代以降の現代建築のテーマであった「主体の消去」である。主体の消去といっても、べつに建築家が優柔不断になるとか、なにも決定しないということを意味しているのではない。決定のプロセスに不断に他者が到来するということである。しかしこの場合、その「他者」が別の主体であったら、結局のところ主体が入れ替わっただけになってしまう。

 だから不断に到来するのは主体になろうとする他者ではなく、他の必然性の系であり、他のストーリーである。だからストーリーの網の目としての建築、それが主体の消去ということであろう。

 建築史は歴史叙述としては脇役的存在にすぎないのであろう。しかし通常の、つまり大文字の歴史叙述は、時代精神なるものを主人公として想定し、それが展開する物語として構想される。つまり一本の数直線のように構想されるクロニクルである。典型的な、超越的な歴史は、クロニクルに立ち戻るのである。しかしむしろ建築史は、とりもなおさず建築を扱うからには、そんな一本の数直線として表象されるわけにもいかないのではないか。

 それは時間を逆転させてもいいし、建築家の側からみたり、施主の側からみたり、それらを混在させてもいいかもしれない。理念の自己展開と、建築家の恣意が、整合しないで併置されてもいいかもしれない。あるいは違う時代、違う場所がいっしょに論じられてもいいかもしれない。結局のところパラレルワールドが、かならずしも違う時代の違う場所であることもなく、あるひとつのストーリーであるかのごとくであったものが、複数のストーリーであったもいいのであろう。そうした論じ方が、建築を語ることを豊かにしてゆくのではないかと空想する。

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