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2007.11.24

身体性から建築にアプローチすると・・・

  建築とはその全貌はぜったいにわからないものである。人間もまた、意識の奥に無意識があって本人さえ自分を理解していないように・・・。とは大げさにしても、モノとして目の前に建っている建築もまた自明ではない。

 少しまえの投稿でも話したが、西洋の教会堂などで、壁が垂直ではないとか、平面がすこしカーブしているとか、そんな端的なことが暴露されたのは、19世紀末に建築写真がとられるようになってからだ。それまでは壁も柱も床もすこしずつ曲がっていることはうすうす気づきながら、観念論者たちはそべてを理想化して、正規化して、正確な3次元造形物と解釈していた。それが彼らにとっての真実であった。真実とは事実ありのままではないのである。

 ここでは、壁はまっずぐ垂直であるはずだとするのは「精神」であり、実際は曲がっているけどね、とするのは「身体」であるとできよう。建築には根深い心身二元論である。

 次の喩えで、藤森照信先生の建築である。その建築は身体性にあふれているように見える。さまざまな次元の手作業の痕跡をこれでもかと残している。茶室の躙り口をまねた、身体をかかめて入らせる入り口をつくる、・・・。

 藤森先生はじつにさまざまな次元で身体性の人である。思い出話からいうと、亡くなった村松先生の代講でまだD学生であった彼が、辰野金吾を語った光景を今でも思い出す。辰野はなにかコンプレックスがあって、それを得意の相撲で埋め合わせようとした。そんな話をするときの彼の喜色満面がやけに印象的であった。

 そして彼自身も、内外の建築見学において建築と相撲をとって勝った負けたをきそうのであった。しかしぼくの解釈では、この建築と相撲をとるというのは、たんなる比喩ではなく、たとえばヴェルフリンの初期の建築理論において「建物と観察者の身体の共鳴」というようなことが中心になっていることを考えれば、すこぶる奥が深いのである。つまり建築の解釈は、言葉や理論ですることと、身体のレベルですること、に分かれている。

 そこに建築の身体性を考える手がかりがある。

 ぼくの考えでは、建築の身体性とは、慣れ親しんだスケールや、材質感や、手作業の痕跡といったことではない。前述の、茶室の躙り口のことではない。不思議の国のアリスのような、身体が巨大化したり縮小したりするマジックでもない。子供と大人はもちろん身体感覚が違うであろうが、そのことではない。

 藤森先生の建築思想のなかに、有史以来の建築様式のさらに以前にあるもの、という考え方がカギである。つまり既知のスタイルとは、言語化できるということである。言語化できるということは理解した、理解できる、ということである。ヴァナキュラーが意味をもつのは、たんに知られていないということではなく、言語化以前である、ということだ。

 路上建築学やさまざまな建築観察によって、建築の知識を蓄積することはされたであろう。しかしぼくが想像するのは、理解と同時に、理解できないものをたくさんため込んでいるのであろう、ということである。言語化できまいなにか、が蓄積されている。もちろん言語化できないものが、時差をおいて言語化されてもいいのであるが。

 ここが建築見学の醍醐味である。理解ということが、非理解との対比によってなりたっている。そのことがある意味性とほかの意味性との関係を成り立たせる。見学とは、理解を蓄積するとともに、それと同量かそれ以上の非理解をため込んでいくことでなければ、意味がない。

 あらたに竣工した建築を見て「デジャヴュ=既知感」を感じることがある。これは、いま見ているものなのに、すでに見たような気がするが、その過去性をうまく説明できない、という現象である。ぼくはそれが時間性の問題とは思えない。つまり観察者が、未来から現在を過去形で見ている、というような解釈はしない。そうではなく、新築物件が、自分のなかに非理解として蓄積されたなにかに共鳴した(似ていた、正反対であった、意味のつながりがあった・・・)ということなのである。

 言語化されるというのは文字になりデータになり、メディアが存続していれば永遠の存在になる。しかし非理解のものは、過去のある時期というものに登録されて、そのまま固まってしまう。「既知感」とはこの、過去にとどまっている非理解を発掘することなのであろう。

 個人的なことでいえば、最近やっと専門のフランス建築などを現地に出張して勉強できるような状況になったのだが、たとえば18世紀の古典主義といったものでさえ、ひとつの完成品の背後におおくの予備プロジェクトがあり、それぞれがパラディオ、ヴィニョーラ、アカデミーのどれかに準拠しているはずであるが明確でもなく、ましてや完成品は妥協の産物である。結局、建築はゆらぎとしてしか存在しない。建築はこうでもありえたし、ああでもありえた。ルールが厳しいはずの古典主義でさえそうなのである。

 そうしたものの解釈は、部分的な理解を積み上げるしかない。そして重要なのは、その積み上げ方そのものに、ある論理が求められるのだが、その論理は分析者が内面化させるものであって、知らず知らずのうちに「建築」を構築しているのである。それはヨーロッパ人が、曲がった壁をあくまで完全にフラットだと信じ込んでいたような構図と、ほぼ同じであろう。 

 ここでふたたびいえば「精神」とは理解であり、言語化である。「身体」とは非理解であり、非言語化である。じつはどちらもすぐれて「脳」の作業である。そして情報化社会、データベース化文明でしぶとく生き残るのは、こうした生産的な意味での非理解、言語化以前のもの、情報化以前のもの、を蓄えることだ。それが身体性である。そうした場合、身体とは、それらを貯蔵する倉庫であり場所である。

 さてぼくのような、建築を教える教師は、昨今のせちがらい状況のなかで、パッケージ化された知識を効率よく学生に教えることを求められる。そういう作業にも従事しつつ、もちろん心のなかではアッカンベーをしている。教えられることの、さらにそのむこうに理解できないものの存在があること、それを示唆することが教師という職業の醍醐味である。

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