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2007.11.16

パリでパラディオに出会う

 ストは終わらない(現地11月15日)。土曜日の空港への移動さえ心配だ。公共交通がまだ動かない万が一の場合を考えて、タクシーを予約する。ネット+カードで簡単にできる。便利になったものである。

 今日も今日とて、水泳、買い物、書籍の日本への郵送、炊事、洗濯、掃除をすませ、収集した資料に目などをとおす。仕事もしているのである。しかしどうも集中できない。パンテオンの空間によって精神を浄化してもらおうと、散歩にでかける。オデオン座のとなりにある書店から数冊日本に送ってもらう。

 ところがパンテオンは、ストのあおりをうけて早めに閉館だという。ぼくは間に合わなかった。さらに気がついたことに、拝観料をとるようになっていた。1200円ていどである。まあそのくらいの価値がある建築だが、映画一本とくらべると割高感は否めない。もっともあれだけの建築だから、メンテを考えればよいことかもしれない。拝観料の使い道など情報は透明なのだろうか?

 パンテオンの正面に、5区の区役所がある。そこでパラディオの展覧会をやっているらしく、次善策と考えて拝見する。とはいっても、弟子スカモッツィが編纂したパラディオの作品集を展示しただけだ。ようするに本をばらして各頁を並べただけ。もっとも区役所レベルのことと考えると上出来であろう。

 やはりスカモッツィの責任であろうが、図面になにかが欠けている。寸法に気をつかったそこそこ正確な再現というのみであって、まるでパラディオの「念」が伝わってこない。それよりずっと前のセルリオやドロルムの建築書は、図面の精度はまったくいい加減だが、その不正確な図版をとおして理念が伝わってきたものであるが。

 それはそれとして、あらためてパラディオがヴィラを神殿として建設したということなのである。このことの重要性はすでにアッカーマンが指摘している。パラディオはあえてそうしたのである。ウィトルウィウスのデコルム理論によれば、いや近代の建築タイポロジー理論にてらしても、神殿の様式を住宅につかうことはおかしい。

 パラディオは住宅でありながら、古代の建築オーダーをつかったポーティコをつくり、神殿のように設計する。古代神殿の形態をまねて住宅を建てるのではなく、そもそも古代において、神殿こそが住宅をまねたのだ、と主張する。つまり彼は、論理を転倒させるのである。

 しかし実際は、神殿のように住宅を建設していることにはかわりない。神殿もどきである証拠に、内部はヴェロネーゼによるフレスコ画が描かれ、そこに描かれたバッカス(ワインの神様はブドウ栽培の守護神となる)、ヘルメスらは住まう家族の肖像画と混交している。住人は神話的世界と一体化し、そのことで自然を支配する。自然を人間化するのではない。人間が神格化され、そのことによって自然と一体化するのである。第二の転倒である。

 ヴィツェンツァ郊外のロトンダであれ、マゼールのバルバロ荘であれ、農業経営の拠点であり、ランドスケープ的にも自然と一体化している。しかしこの一体化はきわめて抽象的な次元のものだ。前者は丘のピークにあって東西南北を指示し、後者は丘の中腹にあって、丘の中腹の水源をシンボライズし、平地と丘のエッジを指示している。

 いすれにせよパラディオは、通常の住宅設計の外部で、構想していた。

 現代の日本における住宅設計を考えてみよう。私見によれば、近代において先輩たちが蓄積した遺産を食っている状況ではないかと思う。才能ある建築家は多い。瀟洒であり、趣味がよく、写真写りもよい。しかしこれらは住宅を模倣する住宅である。そこには外部がない。外部がないから意味の転倒も起こりようがない。外部がない、ということは閉塞状況ということだ。しかし幸か不幸か、日本がこれから膨大な個人貯蓄をゆっくり食いつぶしつつ、なんとかやっていけるように、この閉塞は長引き、しかもけっこう温室で居心地がいいのである。

 ・・・それにしてもスカモッツィは凡庸であるぞよ。彼は結局、パラディオの内部にとどまっていたのだろう。こんな迫力のない図面をかいてしまって。師匠の偉大さが周知となったのはバーリントン卿のおかげでしょ。といいながらパラディオが偉大なのは、イギリス人、アメリカ人、フランス人、日本人にとってであって、肝心のイタリア人にとってはどうかわからないが。いまやパラディオは外貨獲得装置である。

 というわけでスト下、やけに自転車の多い市内をフラヌールする。駐輪公害までもうちょっとですな。エチエンヌ・ダオの最新CDなどを買う。夕刻のブルバール・サン・ジェルマンはなぜか年末の日本のような雰囲気。ストなどある問題が共有されると、この街はなぜかいつもとは違う雰囲気につつまれる。仕事話が終わらないサラリーマン。杖つく老人。重装備のポリス。無邪気な小学生。はしゃぐ外国人。物乞い。それぞれの人生、それぞれの仕事、それぞれの休息、それぞれの幸せ、それぞれの悲しみ・・・。帰宅。午前中に仕込んだポトフが・・・おいしい!

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