洞窟について、あるいは『ねじまき鳥クロニクル』
前の投稿ではアブー・シンベルの神殿における積石造/石窟造の対概念について言及した。すこし補足したい。
ルクソールについてもあとで触れるが、その石を積み上げた神殿もまた、中庭、多柱室、至聖所という部屋の並びがみられる。これはエジプトの神殿建築では普遍的なものである。しかし至聖所の空間はそれ以上に、他の宗教建築でも類例がみられるという意味で、より普遍的である。つまり明らかにそれは洞窟として建設されている。現実には石を積みあげたものであるにもかかわらず、「洞窟として」建造されている。
もちろん中庭、多柱室、至聖所という形式は地上に構築される建築の形式である。石窟神殿はその形式を、岸壁に彫り込んだものである。しかし地上の建築の形式が、そもそも石窟に由来しているとしたら?そこに建築の循環論法が成立しているのではないか。
もちろん実証主義的歴史観にたって客観的にどちらが原型であるという指摘もできよう。専門家でないぼくにはその指摘はできないにしても。しかし最初の神殿建築が、積石造であるにせよ石窟造であるにせよ、もし最初の建築家がそのモデルとして異なるものを選んでいたら?そこまで踏み込めば、「原型」は不可知である。
そうした原型遡及理論はそれほど興味をいだかせない。古代において建築がすでに成熟し、建築家がそれなりの理論をもって建造した時代になにがおこっていたか。それは積石造と石窟造とがおたがいにメタファーとして意味を付与しあう相互関係である。
このことが建築の本質ではないか。ある建築は、異なる建築のメタファーでありえるということは、そしてそれらが相互関係にあるということは、建築を規定する初源的なあるいは基定的なものはない、ということだ。だとしたらロジエの原始的な小屋も、ル・コルビュジエのドミノも認識論的な誤りである。そうではなく建築が成立する構図があるとすれば、それは多元的なウロボロスの蛇なのである。
そうしたなかで、そうはいっても個人としてなにか出発点から始めるしかないとしたら、どういうアプローチが可能であるか。
ぼくがアブー・シンベルを見学したのが1988年。とりたてて運命の符合などをとやかくいうつもりはないが、その4年後に村上春樹が『ねじまき鳥クロニクル』を出している。
この小説のなかではなんども井戸が描写されている。最初は旧日本軍兵士が外蒙古兵とロシア兵に井戸になげこまれ九死に一生を得たエピソードとして。二回目はその体験談を聞いた主人公が、思索のために近所の井戸に降りていって、あるトラブルから脱出するのに苦労する話。第三は、プールで泳いでいて突然、井戸のなかにいて啓示を得るという幻想を体験する話として。
その幻想として逆転する井戸が体験されている。つまり井戸の底に落ちた主人公は、世界の底にいることになる。しかしあるとき「じっと開口部を見上げていると、いつのまにか頭の中で上下の位置が逆転して、まるで高い煙突のてっぺんからまっすぐ底を見下ろしているみたいな感じがした」(第2部予言する鳥編、文庫本版353頁)のである。
それは神聖なるものの発生であろう。いやそればかりか神聖なるものを根拠にして空間を反転させているともいえる。エジプト神殿は洞窟として設計されている。そしていちばん奥に神が設置される。するとそこで逆転がおこる。世界のいちばんの奥は、いちばんの頂上なのである。まれに太陽光が洞窟の奥まで射し込むとき、末端まで光が届くという現実は反転し、神が太陽を呼んだという構図が発生するのである。
プラトンによる洞窟に比喩によれば、その奥はイドラの世界であり、仮象が支配する世界である。この比喩は光の直行という仮説上になりたつ。しかし光が逆行することもありとしたら?
おそらく、客観的には存在意義が薄いと判断されるかもしれない生身の弱い人間が、世界のなかで存在意義をみいだすとすれば、なにかを反転させなければならない。
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