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2007.11.10

屈折した遺産論

 フランスかぶれなので、かぶれついでに遺産概念を。

 ぼくは文化遺産のことを遺産ということは、かなり本質をついていると考えている。フランス建築史のひとつの方法論だが、死後財産目録をつかって資産のなかの家具や壁紙や建物そのものから、現存していない建築の平面やその生活ぶりを再現するのである。フランスの文化遺産の考え方も、まずは目録をつくって情報化することが基盤である。すると個人資産と社会(文化)資産も同じ発想で管理されていることが想像できる。

 文化遺産のことも、遺産相続の遺産のように考えてみるとおもしろい。

 なにはともあれ、日本にもどると、いまは年金問題である。これは老人問題である。つまり膨大な個人資産をもっている老人たちが、年金問題から自分たちの老後に懸念をいだいて、消費を渋っている。だから経済が活性化されないのである。

 彼らに遺産を残すことが求められているのではない。資産をできるだけ消費して、そのことで後の世代に幸福をわけてほしい、といっている。つまり資産をそのまま右から左に平行移動して遺産としてわたせ、ということではないのである。お金は回転しないと社会は活性化されない。

 ぼくは文化についての「遺産」への注目も、同じような構図があるのではないかと考えている。ヨーロッパという遺産先進地帯では、そのままの凍結的な保存ではなく、活用することで後の世代のための活性化となるようになっている。

 活用とは物理的な転用だけではない。文化として活用するということは、現物、それについての情報、から新しい世代が新しい価値観を創造し、その対象物についての新しい解釈を示すことである。そのことによって付加価値がつくことである。

 昨今の遺産ブームで懸念されるのは、とくに若い世代が、文化遺産の価値が条例や条約によって機械的に判断されると思いこみ、新しい解釈が可能であるという当たり前のことが忘れられつつあることである。条項の機械的適応なら、それは単純再生産か縮小再生産であって、将来への展開はないであろう。それは文化ですらなくなるであろう。

 手前みそだが、歴史観を批判的に構築してゆく、それを個人個人がやっていく、ということが遺産という幽霊に振り回されない道であろう。

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