« シャトーブリアン、パリ外国宣教会、長崎の教会という三者の意外な関係 | トップページ | 【書評】J.-P.コフ+A.バラトン『ヴェルサイユ庭園の本当の歴史』PLON, 2007 »

2007.11.07

シャイヨ宮の建築・遺産都市でシンポジウム/建築の実測記録とは真実性をとらえられるものなのかどうか

 シャイヨ宮の建築・遺産都市でシンポジウムがあったのでのぞいてきた。「建築実測図面---終わりなき真実性の探究」である。11月5日と6日開催であった。図書館がよい、アーカイブがよいの傍らでのぞいたので、一部しか聞けなかったがそのさわりである。

 シャイヨ宮の新しい建築ミュージアムの開館を飾る企画であり、ヨーロッパ各国から研究者が集まった。なんとなく演出過剰ではあったが、ブラマンテの話や、グッドイアの物語はよかった。

 relevé en architevtureを、建築実測図面と訳すのはすこし強引だが、要するに設計図ではなく、実際に存在する建築を観察し計ることで描かれた図面である。

 まずは要約から:

(1)最近のレーザー測量装置、ITなどハイテクの発達により、現物にきわめて忠実な実測ができるようになり、建築史はまったく新しい時代にはいった。

(2)これまでの実測図面は、忠実性という点では、かなり劣る。

(3)しかしそれ以上に、これまでの実測図面、それを集めた建築図面集、は忠実ではないというより、理想的建築の姿を描くために、意図的に現実よりも美化され、理想化されてきたのである。実際は傾いた壁を完全に垂直だとする、実際は88°しかないのに90°だとする、実際は若干カーブしているのにまっすぐだとする、云々。

(4)高度な現実忠実性、しかしそれでも実測はある選択であり、現実のすべての情報を再現するのではないいじょう、理想化はさらに別の次元でなされるであろう。

(5)だから真実性の追求には終わりがない、のである。

 建築関係者にとっては常識だが、設計図と実際の建築はぜったい一致しない。今回のシンポジウムの前提は、それだけではなく、これまで建築史の研究が前提としてきたさまざまな実測図面もまた、実測者の主観と目論見により、かならずしも現実には一致しないし、そのことは最近のテクノロジーの発達でますます顕著になってきた、という点である。

 「まったく新しい時代の始まりですね」という意見さえあった。

 建築史の専門家としては喜ばしいかぎりだが、あらたに勉強もしなければならない。

 ローマ大学のサピエンツァ建築学部教授Tancredi Caruncho教授は、ブラマンテのサンタ・マリア・デラ・パーチェ教会について、工事資料、業者領収書、詳細な実測調査の結果、建設がひとつの設計図によって一気になされたのではなく、業者ごとに部分部分を発注して、段階的になされたことをつきとめた。イオニア式柱頭もひとつひとつ異なっており、それぞれ違う彫刻家が彫ったものであることが証明された。つまり一貫したプロジェクトとしての建設がルネサンスではじまったという通念が否定された。またヴィラ・ジュリアーナでは中心軸がわずかに曲がっているし、ファサードもすこし曲がっている。図面では、これが一直線、そして直角になっているが、これは先入観からくる理想化である。実際は曲がっているのはなぜかというと、アプローチの方向にあわせたかららしい。

 ローマ大学工学部教授Guiseppina Enrica Cinqueは、ヴィラ・アドリアーナの最近の復元作業の紹介であった。ピラネージの時代からその復元図面は多いし、文学的復元もおおいが、信頼性はまったくない。コンピュータ、レーザー、X線などさまざまな専門家の方法を結集して、この10年で格段に精度の高い復元図が可能となり、新発見もあった。このヴィラはけっこうビオ・クリマティクであり、床下暖房、床下冷房、風向きを考えた水盤に配置など、最新のエコ建築でもあったらしい。おもに様式の展開を根拠に再現する建築史家にたいし、テクノロジーの粋を集めて復元する彼女のプレゼンは、圧倒的な拍手で歓迎された。

 それにたいしパリ=ベルヴィル建築大学のJacques Fredetは、市井の建築を、「解剖学図面」で分析するのだが、ローマ派の圧倒的存在のまえに、わざと卑屈な感じでしゃべるのであった。写真、ITなどとんでもない、時間をかけて観察し、理解を展開させながらフィールドノートをつけるのだ、という主張である。しかし木造の大梁や小梁がいかに配置されているかをしめした平面図、ハーフティンバーの壁(パリの場合、プラスターなどで隠されていることが多い)の構造を示したスキャン立面図など、なかなか楽しめた。ひとつの都市建築(1階は店舗、2階以上は住居という典型的なもの)が、ここは16世紀、ここは18世紀、ここは19世紀なのだよ、と紹介しながら、でも市井の通常の(すばらしい=エクストルディネール、に対して、普通の=オルディナール=オーディナリ)建築なのだから、ハドリアヌスの別荘にはひけめを感じているのである。

 もっとも、近代建築運動が革命であったとするギーディオンには絶対反対のようで、工事明細書のレベルで建築がほんとうに変わるのは、パリでは第二次世界大戦のあとだ、という主張である。まあそうでしょうね。よくもわるくもパリは伝統的であった。

 マドリッド工科大学教授Javier Giron Sieraによれば、W.H.Goodyearは、建築写真の専門家であったが、1870年にピサのサンタンブロジオ教会の柱の傾きに注目し、フランスの中世建築などが、柱も、壁も、垂直方向に傾いており、これは視覚補正によるものという説を公表した。これは建築写真というメディアが投げかけた大問題であった。これはフランスの学会ではまったく受け入れられなかったが、彼と親交のあった、建築史家A.ショワジだけはこの理論を認めた。そればかりかショワジは1903年の『建築史』のなかで、ギリシア神殿を視覚補正の観点から分析したばかりでなく、これまで歴史的建造物の実測図面は、過度に規則的なものとして描かれており、実際は、壁はまっすぐでないし、身廊もなだらかなカーブを描いているし、柱も垂直からはころんでいることを認識すべきことを説いたのであった。

 視覚補正というようなことはルネサンスから理論としてはあったが、写真というテクノロジーにより新しい現実性を帯びたばかりか、「ほとんどの建築はじつは歪んでいるのだ」というあられもない事実を見せつけた。写真はまさにその役割を果たしたのだ。

 教訓:西洋建築史の図面は、実際以上に、規則正しいものとして(つまり線はまっすぐ、角度は90°)描かれている。実際は、まっすぐでも、直角でもない。これを過度の「理想化」「規則化」と呼ぶことにしよう。

 古代史・考古学の専門家Anne Moignet-Gaultierもまたギリシア建築の実測図面における過度の規則化を指摘しており、「明快さ」と「正確さ」は違うとした。つまり過去の実測図面はほとんどが、明快さのために、現実の姿からむしろ離れていったのであった。

 バンブルク大学の専門家Frank Bekerもまた、タケオメーターなどレーザー装置による実測の有効性をいいながら、手による実測の重要性も忘れない。

 リエージュの大学教員Serge Paemeは、写真のパースペクティブ、オプチック補正をして、斜めからとった写真を正対してとったように補正する技術を披露したが、それにとどまらず色、テクスチュアまで再現することで、石積みのモルタル目地の細部、壁画のタッチや筆の幅までの情報が伝わるような、ハイフィデリティの実測を展開する。

 ミュンヘン大学のAlexander von Kienlin教授も、虚空写真、各種レーザー計測器での実測を披露した。

 ・・・・・パラディオの建築四書や、ピラネージが描く古代ローマ復元図などがかなり空想がはいっている。また18世紀にギリシアにわたったヨーロッパ人も、ローマ大賞を獲得してローマなどに留学した建築家の実測図面も、多様な現実からの特定情報の選択でしかなく、現実そのままではない。

 しかしヨーロッパの建築書はそういうものとして見なければならない。建築書は、記録でもないし、設計図でもない。現実の建築とは異なっている。しかし現実の建築とは違っているだけではく、それを超越し、ある理想を描くことがそもそも目的なのである。だから書物こそが建築なのだ。たちえばルドゥのそれは典型的なものだ。

 現実を理想化するという意識の作用は終わりがないであろう。客観性、事実性を編集するには強い観念性が必要であり、それこそが建築史を建築史たらしめているものである。

|

« シャトーブリアン、パリ外国宣教会、長崎の教会という三者の意外な関係 | トップページ | 【書評】J.-P.コフ+A.バラトン『ヴェルサイユ庭園の本当の歴史』PLON, 2007 »

Paris」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/8788263

この記事へのトラックバック一覧です: シャイヨ宮の建築・遺産都市でシンポジウム/建築の実測記録とは真実性をとらえられるものなのかどうか:

« シャトーブリアン、パリ外国宣教会、長崎の教会という三者の意外な関係 | トップページ | 【書評】J.-P.コフ+A.バラトン『ヴェルサイユ庭園の本当の歴史』PLON, 2007 »