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2007.11.20

自著『建築キーワード』のこと

 はしたない自慢話ですが。

 学生からいわれたのでネットをのぞいてみた。なんと土居義岳監著『建築キーワード』(住まい学体系99)住まいの図書館出版局、1999、にプレミアムがついていた。定価\3990のところ、中古で\9799~\10500である。

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/479522143X/ref=sr_1_olp_1?ie=UTF8&s=gateway&qid=1195527502&sr=8-1

 IT関係に圧倒されている建築分野、建築のなかでも実用ではなく思想や理論に関係があるさらにマイナーな領域、この変化の激しい時代に8年前、しかも前世紀、という不利な条件でなかなかの評価である。

 発行部数が万単位の藤森照信先生とはちがって、ぼくの本はマイノリティに熱い支持はうけるが、部数は稼げない。だから単価で評価されるというのは、もうそれしかないのである。

 このキーワード集は『言葉と建築』の発想の展開でもあったが、種明かしをすると、ぼくの留学体験である。ヨーロッパの国立図書館で昔の建築書をあさっていると、17世紀のころから建築辞典というものがある。しかも18世紀、19世紀と展開してゆくと、それは広辞苑の版ごとに語数が増えるといったものではなく、根本的に知の体系が違ってくる。

 そういう意味で、現在の建築がいかように言葉の群れから成立しているかというのを、理論的というより、確率分布的あるいは量子力学的に描いてみよう、と考えたのであった。そしていつの日か、ちがうバージョンの言語体系を描かなければならない、と。

 ぼくはこの発想を1980年代からいだいていて、90年代にまとめたのであった。フォーティがおなじ発想で、しかし御本家のヨーロッパ人だからより包括的に、似たタイトルの文献を出したのは『言葉と建築』のだいぶ後であった。フォーティからの翻訳も労作ではあるが、一言。言葉は生き物であり、それによって建築は成り立っているとしたら、大切なのはやはり批判精神である。スタティックな体系ではなく、言葉を躍動させるのは、構造ではなく力、力とは批判精神である。翻訳者たちはフォーティへの敬意はあっても、批判精神はあるのだろうか。

 ただぼくもすこし発想がかわってきた。言葉の体系はあるにしても、ひとつではないし、単層的に考えることもない。複数並列、ヒエラルキー構造、トランプのカード、いろいろな形態が形態が考えられる。言葉を使う脳も、ギアチェンジできるであろう。これはグローバル化が英語単独に収束するわけでもない、ということにも対応しているだろう。

 言葉のツールも大変化したが、その帰結はまだ不明である。IT化、ネット化(WEB2.0)など。いわゆる梅田望夫の「ロングテール」理論(『ウェブ進化論』ちくま新書、2006)などはまさにマイナーな建築史や建築批評にとってありがたい理論だと思ったものだ。しかしぼくのような後発マイナー人間にとっては、いきなり未来にいくというより、過去の再整理の作業がたくさんあるぞ、という感じである。

 つまり言葉=コミュニケーションの本質なのだが、語りかける相手は、目の前の対話者だけとは限らない、ということだ。1対1の会話においてさえ、第三者への伝わり方に配慮して言葉を選ぶものだ。つまり不在者、あるいは他者一般をつねに考えざるをえない。このことは文献であろうが、ブログであろうが、基本は同じである。そしてこうした不在者とは、社会学者の言葉を借りれば第三者の審級ということかもしれないし、それがさらに抽象度を上げれば神である、ともいえる。さらに情報公開の時代になれば、私たちが残す言葉はすべてだれかに伝わってしまう。ブログはその訓練としてよく機能する。

 つまりコミュニケーションとは、本質的に、人間を超えて、神との対話なのであろう。

 私たちはほかの人間と対話するとき、いつも神を媒介としているのである(このことはある思想家が指摘していたはずだが、だれかは忘れた)。それが人間と動物の違いなのであろう。

 さて『建築キーワード』にもどって反省と懺悔。

(1)多くの執筆者と個人的面談のないままの監修作業であった。しかし1対1で、メールのやりとりで、修正などをお願いした。ネット時代でなければ不可能な作業であって、数十人相手に、やりとりしたメール数は1000をはるかに超えた。この手法もまったく過渡期的なものではあるとはいえ、ウィキペディアへの過渡期であって、作業は1998年ということを考えればなかなかのものだったのではないか。過渡期的というのは、ウィキペディアはかなり編集主体をなくしているが、建築キーワードには主体がはっきりしていた。

(2)商魂は必要である。プレミアムはうれしいが、絶版なのである。頑張りすぎて売れるほど出版社が損をする文献となってしまった。それにもかかわらず出版していただいた住まいの図書館出版局に感謝します。

(3)感謝の念を忘れてはいけない。出版社もそうだが、編集者・江田修司さんのご恩も忘れがたい。1982年に建築技術社の『建築キーワード50』の執筆に参加したときからのおつきあいで、住まい学体系100冊の最後を飾る3冊のうちの一冊を担当させて頂いた。ありがとうございます。土居も最近は殊勝になりまして、こんどは人さまの可能性を伸ばすことにも貢献したいと思うようになった、今日このごろです。

(4)8年たって評価が高いということの意味。まず優れた文献であったこと(自慢してごめんんさい)。選ばれた言葉の体系がいまだに有効であるということ。つまり、時代がまだ動いていない、ということ。しかし50年たったらまさに世紀の変わり目を鮮やかにえがく文献になれば、いちばんうれしいんですが。ぼく自身、50年前、60年前の文献のほうが気になります。

 

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