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2007.11.11

展覧会のハシゴ

土曜なので午前は仕事して、午後は美術館をはしごした。

■まずアルベール・カーン美術館(ブーロニュ=ビランクール)。

 アルベール・カーン(Albert Kahn, 1860-1840)は銀行家であり、投資(南アフリカの金・ダイヤモンド、中国鉄道、日本の台湾開発)で大もうけをした。

 そこで彼はさまざまな団体を創設して慈善事業に乗り出した(1898-1931)。学生が世界旅行をするための奨学金を出した。また世界各地の文化を記録しようと写真とフィルムの撮影をさせた。写真はステレオコピー4000点、カラーフィルム72000点。フィルムのそれは18万キロメートルで、100時間分あるという。かれはそれを「惑星アーカイヴ」であると考えていた。

 彼はグローバルな視野をもっていて、世界各地にはいろいろな文化があって、それを写真などで記録することで、相互の認識と理解が深まるという、素朴な理想主義をいだいていた。

 1909年には日本にもやってきた。フランスが組織した資本家グループの一員としてであった。渋沢元治(栄一の甥)にも会ったらしく、元治の写真を展示していた。(明治維新に資金提供した銀行家などと紹介されていて、これは困ったことである。)

 ブーロニュ=ビランクールに豪邸を構えた。エドモン・ド・ロートシルト(ロスチャイルド)の邸宅の隣であった。その庭を、イギリス風庭園、日本式庭園、フランス式庭園などたくさんのテーマ庭園により構成して、地球のミクロコスモスとしようとした。

 1928年の世界恐慌で破産した。セーヌ県はその資産を買い取った。それはさらに1964年にはオ=ド=セーヌ県にものとなった。現在の美術館と庭園はそれをもとに1986年に設立された。

 常設展のほか「マグレブの色:アルジェリア、モロッコ、チュニジア、1910-1931」をやっていた。これが目的でいった。

 1920年代のマグレブの写真は東方旅行のノスタルジー的興味があって楽しかったが、おもしろかったのは映画である。「惑星アーカイヴ」の一部を編集して作成されたものであった。

 フランスは、植民地政策にカーンの写真活動をかなり利用して、記録をとらせていたようだ。カーンもまた有力な銀行家であったから、政治的コネクションとして利用したことも考えられる。だからカーンは、諸民族の相互理解という理想があったが、実際の活動のなかでは、政治に利用されたというわけである。これがこの映画の主張であった。

 1931年の植民地万国博覧会の鮮明な映像があって、これだけで見てよかったと思わせるものがある。

 ほかの印象的な映像としては、モロッコの軍隊が7月14日の祭典でシャンゼリゼを行進したり、現在パリにあるモスクが建設されたいきさつなど、植民地の状況がいかなるものかがわかる。

 「惑星アーカイブ」のなかでは、さまざま人種のポートレート(動画と静画)を写したフィルムがあって、これを博覧会で上映しよういう計画があったそうだ。さすがにこれは差別的で民族の品種区別のようだということで、禁止された。

 また当時フランスが拠点としていたアルジェ、ラバトのフランス都市の光景があって、1920年代の都市の動画はまことにおもしろい。超近代都市なのである。フィルムはタブーにも踏み込んでおり、ラバト郊外に建設された売春街の映像もあった。この面でもフランス式がアフリカに広がったそうである。

 リヨン・アフリカ宣教会の怪しげな宣教師がアフリカ各地で宣教する様子も撮影されていた。この宣教会についてはよくわかっていない。子供を当時の世界基準以上働かせていたり、いろいろ国際機関から批判されていたそうだ。今フランスではあやしげないわゆる人権団体がチャドの子供たちをさらったかどうかで、大問題になっているが、なにかそんなことを思い出させる。

■それからシャイオ宮の海洋博物館。スエズ運河の工事現場を撮影した写真家エメ・デジレEmé Désiréの展覧会である。

 資料によれば150万人のエジプト人が動員され、コレラで12万5000人が亡くなったとある。さぞやたいへんな工事であったろう。

 しかし写真にうつされた光景は、まったくそれとは異なっていた。写真家はそもそも人間には興味がなかったのである。しかも当時の写真はかなり長時間露出であり、労働者が動けばすべて映像から消えてしまうのであった。労働者の施設も小規模な都市となるはずであるが、それほど大規模なものでもなかった。

 そればかりでなく、工事のほぼ完全な機械化が始まっておいた。石炭で動いていたという当時の工作機械はなかなかおもしろかった。写真家はそれに関心があったのである。パノラマ写真もあり、運河がもたらす風景の変化にも興味があったようだ。

 しかし世界戦略を変えた大土木工事も現場でみると、殺風景である。

 これになぜ興味をもったかというと、19世紀であったので多国籍民間企業がおこなった、からである。つまり20世紀なら公共事業であるはずだ。しかし民間企業であり、株式であったので、やがてイギリスが株を買い占めて乗っ取ってしまう。つまり今日のグローバスな状況などというものは、今がはじめてではないのである。

 機械化、株買い占めなど、きわめてドライな大土木工事であった。

 それはそうと、海洋博物館そのものはきわめて充実した常設展であり、ヴェルネの絵画、ガレー船、巨砲時代の戦艦、原潜などの模型・・・などの充実したワンダーランドであった。子供のころに見ておけば人生がかわったかもしれない。

■ルクサンブール美術館でジュゼッペ・アルチンボルドの展覧会である。

  6時台のいちばんすくであろう時間をねらったが、子供連れが押し寄せ、たいへんなことになっていた。

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 彼はまずミラノ大聖堂のステンドグラスの図案家としてキャリアを開始する。展覧会ではこのミラノ大聖堂の写真から始まって、同時代の文献、美術工芸品、文献、ドイツ語圏で伝統的なブンダーカマー的諸例など、彼の背景や同時代現象をたんねんに紹介するものであった。

 プラハに移ってからの活動はぼくがいまさら説明するようなことではないが、ポートレートを静物の組み合わせとして描く手法であるとか、ポートレートのテーマも四季とか四元素(水、風、火・・・など、土はなかったが)など、考えてみればかなりオーソドックスなものであった。シンボル、アレゴリーが重層的に描かれる芸術のなかで(彼にはアレゴリーに詳しい詩人が専属でアドバイスしていたらしい)、具象はその極端までいけば抽象に反転するのではないか、と思える。ここでは抽象と具象はコインの裏表であって、切り離せないものである。

■ハシゴが終わって。

アルチンボルドから帰宅する途中で「無印」パリ支店の前を通る。違う惑星である。今日は早起きして、泳いだし、仕事もしたし、展覧会も見た。夕食はポトフである。よく眠れるであろう。

 

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