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2007.11.09

パリのシャイオ宮に新設された建築・遺産都市は新たな建築の神殿となるのだろうか?

 昨夜、シャイオ宮にいって展示をみてきた。一階の旧フランス記念碑博物館のコレクションはほぼそのままだが、その上階に近現代建築のコレクションが追加された。

 知らない人のために補足説明すると、一階は中世建築のコレクションである。とくに教会堂の正面入口(フランス語でポルタイユと呼ばれる)上部のタンパンの彫刻や、そのほかの建築の部分の原寸大レプリカが置かれている。展示室から展示室への境界が、このポルタイユであるので、教会の門をいくつもくぐりながらつぎつぎとコレクションを見てゆくことになる。

 もちろん鋳型で復元したものだけでなく、木造屋根組の模型などもおかれている。

 上階の近現代コレクションはあらたに追加されたものである。18世紀の証券取引所、19世紀のサント=ジュヌヴィエーブ図書館(ラブルーストの傑作)からはじまり、ヌーヴェルのアラブ世界会館、コースハースによるボルドーの住宅まである。

 最重要の扱いはル・コルビュジエによるマルセイユのユニテ・ダビタシオンの復元である。これは森ビルでの展覧会による復元とはまったく次元の違うものであった。つまりRCのフレームにユニットが挿入されていることを示すため、RC躯体そのものが復元されていた(とはいえ素材そのものは違う)。つまり今の言葉でいえば、スケルトン・インフィルというコンセプトそのものの模型化である。内装も、素材、色、洗面台などの細部まで、かなりオリジナルに忠実であった。そして吹き抜けの広い窓からは、この近現代コレクションの展示室そのものが俯瞰されるようになっていた。コルの窓から、近現代史を一望するのである。

 それらのなかでロンドンのクリスタル・パレスは外国勢のなかで大きな扱いをうけていた。完成状態の模型ではなく、工事途中のそれである。だから馬が建材を運搬していたり、現場でどのように部材を引き上げたりするか、ロープで仮固定している様子、などを示した現場模型なのである。これはかなり詳しい考証のいることで、さすがである。

 総じて、模型の見せかたにポリシーがあり、よりくわしく、はっきりしている。

 シャイオ宮のこの展示には思い出がある。それはなんと24年前である。1983年秋、留学してパリについてそうそう、日本建築史学会から依頼があった。このフランス記念碑博物館のコレクションの配置を確認してほしい、というのである。展示物をすべてノートして東京に報告した。建築史学誌ではそれをふまえて大岡實先生がシャイオ宮の紹介し、あわせて日本における古建築博物館を創設する提案と『日本古建築博物館建設の提案』を書かれた。具体的な展示方法まで提案されていた。シャイオ宮については飯田喜四郎先生がチェックされたようで、飯田先生からは、自身が留学していたころと配置はまったく同じで、感慨深い、というようなコメントをあとでいただいた記憶がある。

 『建築史学』創刊号、1983、pp.96-102を参照されたい。

 飯田先生と同様、ぼくも感慨深い。時代は変わった。

 大岡先生は、フランス歴代大統領が文化政策に個人寄付まですることを紹介している。フランスの文化政策の偉大さである。しかし今日では国家がすべてをカバーするのではなく、グローバル化政策を展開し、財政もまったく新しくなっている。

 展示についても、配置はひょっとしたらそのままだろうが、細部は違っているものもある。レプリカ技術が進み、現物にふれなくとも、写真をデジタル処理してかなり高精度な鋳造ができるので、この技術を応用した模型もある。ラベルにそういうことが書かれていた。

 ・・・しかし最大の変化は、近現代コレクションが追加されたことである。公式の文書などのなかで、このコレクションで800年のフランス建築が一望できることになっている。いわゆる古建築=伝統的建築と近現代建築をまさにひとつの概念で一望できるという視点は日本にはないものである。

 ただし16世紀から18世紀は扱いが小さい。このことも意味を明らかにするには精査が必要だが、即物的に解釈すればいわゆる古典主義はフランスにとって重要ではなかった、ということであろう。

 ではフランスにとってなにが重要であったか。中世と、近現代である。それらは彼らの意識では連続している。

(1)ゴシックを中心とする中世建築。

 中世建築についてはヴィオレ=ル=デュクの功績が大きいことは周知である。しかし中世を理想化する考え方はシャトーブリアン、ユゴーのころからの流れである(ぼくの印象としては、ゴシックは王党派の芸術であった)。だからヴィオレ=ル=デュクは最初からこの大枠のなかにいた。それで修復、研究、執筆、設計などをするのだが、彼を合理主義の系譜に位置づけたり、近代建築の先駆者として認知するのはことの一面にすぎないと思われる。彼は近代建築運動に大きな影響を与えるのだが、それは鉄の使用であったり、構造合理主義的な、あるいは機能主義的な側面をとおしてであったり、とされる。しかしこれらは彼の側面であるにすぎない。

 ぼくの解釈である。ゴシック・リバイバルにおけるゴシック解釈を俯瞰しているとわかることだが、ウォルポールにとってゴシックは古典古代にとはことなる奇怪なものであったり、ピュージンやラスキンにとっても古典古代、近代とはちがう徳のある時代がゴシックであった。彼らは固有のゴシックを考えた。しかしヴィオレ=ル=デュクは、ゴシック建築の合理性は普遍的にどの建築にも応用できると考えた。つまりゴシックは建築のための普遍的モデルとなった。この点を強調したい。

 フランス(建築)文化帝国主義のコアにゴシック建築があり、それが普遍的モデルとされ、さらにはそのコレクションがシャイヨ宮にあり、さらにそも目前にエッフェル塔がそびえている。結果なにが生じるかというともはや自明であろう。それはミュージアムの神殿化である。

 これも周知であるが、そもそもミュージアムは神殿である。18世紀に近代的なミュージアムの構想が練られたとき、それらは美の女神に捧げられる神殿として構想された。それからドイツ的な、分類をプラン化する機能主義的な時代がくるのだが。

(2)産業革命以降の近現代建築。

 古典主義と19世紀の折衷主義は冷遇されている。19世紀でも、クリスタルパレスや、鉄骨ボールトをつかったラブルーストの図書館は扱いが大きい。それからコル、ジャン・プルーヴェ、ポンピドゥ・センター、ヌーヴェルとつづけば、新機軸を打ち出してゆく豊かな創造性という面を強調したコレクションである。

 中世建築も、石造技術が飛躍的に進歩し、職人がさまざまな創意をこめて彫刻したじだいであった。そういう視点から見れば、中世と近現代はあっさりつながってしまうのである。

 別の視点からみると、中世と近現代の結合はとても唐突であるかもしれない。しかしその唐突さをならしてしまう、より上位の視点がある。建築の神格化である。

(3)美(建築)の神格化とは?

 通説にならって、19世紀の首都はパリであった。都市改造と大胆な建設技術の適用があった。パリのボザールが世界中の建築家を養成した。20世紀の首都は、メディアならロサンジェルス、建築ならニューヨークであった。後者MoMAのことであり、キュレーティングにより建築の動向が決められる時代となった(インターナショナルスタイル、建築家なしの建築、デコン、ポストモダン、ライトコンストラクション、すべてそうである)。21世紀は?シャイオ宮の新しいミュージアムは、パリがふたたび建築世界の首都になるという立候補宣言である。

 こうしたグローバル化のなかにおける世界戦略は、具体的にはそろばん勘定であって、いかにコレクションがあっても、その活用、運用ができないとミュージアムは成立しない。ボブールにこもってはやっていけないことはポンピドゥセンターの館長もいっていた。ルーブルも大衆化しただけでなく、中東の産油国や日本にも支店をもたなければならない。日本は居直って、コレクションなしの美術館をつくった。あうんの呼吸というべきである。

 グローバル化するなかで象徴的中心が必要である。新しいシャイオ宮のコレクションはかなり偏っていると思われるが、ともかくも800年の歴史を内包することで、その超越的、象徴的な中心であろうとしている。コレクションも必要だが、なにより場である。中心となりうる場を指示するという、場所の指定、その行為、が意味を持つのである。

 建築の神格化、神殿化という発想がある国でないと、グローバル化には対抗できないであろう。フランスは革命のときに宗教と芸術を入れ替えたと思える。芸術は、世俗社会の宗教である。フランス革命にはじまる、記念碑、文化財、遺産の歴史はそのことを念頭におかないと理解できない。大多数の日本の専門家は、制度論としてしか理解しようとしないので、よろしくない。建築がいかに神格化されているか、これは文明の問題として再考しなければならない。

  いい喩えではないかもしれないが、拝金主義者である。彼らは、他人を信用しないことになっているが、彼らこそがもっとも人間を信じているそうだ。つまり貨幣の価値を信じるということは、自分以外にも他人があるいは人間一般というものがあって、彼らが貨幣を信じている、だから自分もお金を信じている、という了解の上に成り立っているからである。だから貨幣を信じることは人間を信じることだ。他人もお金が大事、だから自分もお金が大事、である。このときお金は、ソフィストケートされた物々交換、等価交換ではなく、まるで神様のようなもの、いわゆる超越的なものになっている。個々の貨幣、紙幣、商品ではない、その背後のお金一般というものが、神様のようなものだそうだ(文化人類学的な発想をする経済学者によれば)。

 建築もまた、個々の建築という発想にとらわれていると、良い建築と悪い建築、指定される建築とそうでない建築に分類される。これでは抽象度、超越度、神様に近づいた程度、が弱い。

 自戒も込めていうと、日本人が書く建築史はすべて、近代化トラウマにもとづくルサンチマンの歴史である。そこからは超越的建築観は出てこない。

 ・・・さて24年前もシャイオ宮には子供たちが見学にきていた。骨折した手をギプスでおおっていた小学生が、引率の先生に「ここにいてもいいのよ!」などと乱暴にからかわれていた。周囲は中世の石造建築のレプリカだらけであったからだ。今日、さらに多くの子供たちが押し寄せ、建築模型見学でなぜこれほど高揚するのか不思議なくらい楽しげである。

 日本では浮世絵システムによって建築アーカイブは外国にもっていかれ、現物は取り壊され、近現代は伝統ではないと差別され、遺産は蓄積されず、とんでもないことになるであろう。日本はこれから衰退する(すでに衰退している?)。そのことを確認できた一日であった。

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