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2007.11.30

東方旅行(038)1988年1月6日(水)アスワン周辺

 1988年1月6日(水)はアスワンを拠点にショートトリップを2往復である。20年前の旅行紀は、自分で書いたものなのに、生き生きとした経験は浮上しない。やはり感動が薄かったのであろうか。

 なにはともあれまず、アスワン発アブー・シンベル見学のツアーである。15L。ほかに6人のツーリストがいた。もちろん知らない人びとであった。沙漠のなかを乗り合いタクシーでひたはしる。蜃気楼はじつに劇的である。タクシーで沙漠のなかを進むが、タクシーを中心として半径300メートル以遠はすべて蜃気楼による海である。走っても走っても半径300メートルの砂の島にいる。運転手を信頼しているから気がおかしくならないだけである。

 アブー・シンベルそのものはまあまあ、という評価をさせていただきました。まあまあ、です。ナイルは南から北に流れ、太陽は東から昇り西に沈む。この自然の直交座標がエジプトのランドスケープと宗教を支配している。この神殿は、ナイル川の湾曲点に位置し、川にむかう崖にあった。日の出の方角を向いており、入口上部には太陽神ラー・ハラクテの像がある。

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 砂岩の岸壁からほりだしたもので、内部はテーベの神殿の平面に対応している。というか積石造であれ石窟造であれ平面形式は普遍的である。広間(=中庭)、正方形の多柱室、広間、至聖所、という順に、奥へ奥へと進んでゆく。至聖所にはテーベのアモン・ラー、へリオポリスのラー・ハラクテ、メンフィスのプタハ、そしてこの神殿の建設者ラムセス2世のそれぞれの座像がある。

 アスワン・ハイダムの建設で水没しそうになったのを、ユネスコが救済し、それが今日の世界文化遺産という制度となっていることはあまりにも有名である。その移築の話をするのも冗長というものだ。

 ここで思索を巡らすとしたら、こうだ。建築には積石/石窟というカテゴリーがある。後者はさほど多くないが、ペトラやアジャンターなど感動的な遺跡がある。この対概念でこの移築を解釈することは面白い。石窟神殿だが、それは積石建築の写しである。石を積んでつくったのではなく、穴を穿ったのである。しかし移築のために、クレーンでつり上げられるよう最大20トンのピースに裁断され、高い位置の敷地に積み上げられる。すると積石造となって再生された。・・・・といったいきさつはもちろん知っていたので、現地にゆくと、洞窟にはいってゆくスリリングな感覚はまったくなかった。悪知恵もこまったものだ。それでもここは、朝日が神殿内に差し込むのを体験しようと、1年のある日をめざして観光客はやってくる。

 つぎにアスワン発フィラエ。これはタクシーを呼んだ。島にゆくのに舟、これはけっこう値がはった。しかしベリー・グッドという評価をさせていただいた。ここにはプトレマイオス朝時代とローマ時代の神殿がある。

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 エジプトの聖地となったのは比較的遅いようだ。前4世紀ごろである。通説によると、フィラエはエジプトとヌビアの境界地帯にあるので、ここに聖地を建設することは、プトレマイオス朝やローマ帝国にとって政治的にも宗教的にも(ということはとりわけ戦略的に)重要であったようだ。 エレファンティン島には古い宗教があったが、フィラエはそれにかわってイシスとオシリスへの信仰が見られた。この島の洞窟にはオシリスの聖遺物が納められており、この洞窟が毎年の洪水をもたらす源であり、つまりエジプトの豊かさの根源なのであった。またイシスと子ホルスも、ヌビアでも崇拝されたいたという。このイシス神殿がこの島の主役である。長いアプローチ柱廊が印象的だ。

 この神殿はキリスト教の時代となっても信仰のよりどころとなっていたという。最初のダムができるまでランドスケープと一体となった聖地であったという。

 エレファンティン島には紀元前1408年建立の神殿がある。しかし現実にはなにもない。ヌビア人の村落があった。神殿の遺跡のすぐとなりには、ワラまじりの日干しレンガでできた住居の遺跡がある。石と日干しレンガ。神と人の差、階級の差、ほとんど文明の差である。

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 しかしこのように濃い一日をすごしながら、なにゆえ無感動なのであろうか。 

 宿泊はRosewanホテル。

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