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2007.11.15

【講義草稿】古建築の保存(004)指定と登録について

  ストはまだ続いているようなので、もう一稿。このシリーズはこれで終わり。

 通常、建築関係の教科書などで保存の歴史は、指定制度の歴史として説明される。日本的の定義では、指定されたものが文化財なのでから、指定の歴史が文化財のそれである。ところが一般的にヨーロッパでは、とくにフランスでは指定制度の前史がしっかりしているので、そうはならない。まず思想があり、そのうえで制度が展開することが普通の理解なのだが。(以下では通常の訳語には従っていない)

 日本の学者が、外国の保存、環境、遺産関係の制度や法律などを紹介する文章はじつにわかりにくい。理由は3つあると思われる。

(1)法律の条文解釈にちかいものになっている。もちろん具体例を出していろいろ配慮はされているのであるが・・・。

(2)法体系をあまり明確に書いてくれない。わかりやすい例でいうと、歴史的記念物についての法律は遺産法典のなかにある。マレ地区を保存することに貢献したマルロー法は都市計画法典のなかにある。このほかに環境法典、景観法典がある。もちろん現場ではそれらが有効に使い分けられるのだが、日本人学者は自分のパースペクティブに再編集してしまうものだから、信頼できないまま読んでしまうことになる。

(3)現在の基準を遡及して書いてしまう。たとえば今は「遺産」概念が広まっているから、2世紀前もこの概念が含まれていたという遡及的な書き方をしてしまう。しかし今の遺産概念はすぐれて今のものである。200年前の歴史的記念物はかなり党派的なイデオロギーであった。しかし党派的であるがゆえに、この概念のまさに歴史的な価値(位置づけ)があるのである。つまりMHといっても200年(かそれ以上の)歴史があり、その歴史のなかに現在が位置づけられるという視野が必要であろう。

 MHといっても、19世紀は中世建築のみを意味したが、20世紀初頭に古典主義建築が、1960年代には近代建築も参加した・・・・、ということそのものが、ひとつの歴史となっている。講義においては、学生にまず全体のパースペクティブをあたえなければならない。平板な遺産普遍主義よりも、時代を区別したほうがいいであろう。時代が進展したから、よりあとの時代が対象となった、という解釈ではつまらない。

 さらにいえば将来、建築史を記述するのあたって、この作品が指定されたかどうかを云々するようなことになりかねない。歴史家は独自の価値判断ができなければならないから、そんなことは避けたいものであるが。

 さてMH指定略史である。 

 国が文化財を保護する手法は2種類ある。指定と登録である。指定とはまさに歴史的記念物(MH)として分類することである。登録とはもともとは「MH追加目録に登録する」ことであった。これらは1913年法で規定されていた。現在は遺産法典(Code pu patrimoine:MH,文化財、遺産にかんする諸法律(loi)の相互関係を決め、体系化したもの)によって決められている。

 1888年3月30日法。指定の基準と手続きがはじめて規定された。

 1906年4月21日法。自然景勝地site naturel(訳しにくい言葉である)を指定する原則が定められた。

  1913年12月31日法。MHの指定基準が定められた。同年、ルクサンブール、ヴェルサイユ、メゾン=ラフィット、ルーヴルが指定された。これらはいずれも王室関係の城館であり、様式は古典主義である。すなわち中世のゴシック建築ではない、革命で打倒の対象であった王室の文化が遺産として認められたことに意義がある。つまり指定基準の明確化の背景に、MHの範疇を広げようという意志があった。また、MHを中心として「500メートルの可視性の範囲」という概念を導入。建築だけでなくその近隣が与える印象を考慮にいれた。

 1920年代~30年代。指定対象の拡大。個人所有の遺産、この場合は所有権の剥奪として考えられた。たとえば1926年のアルケスナン製塩工場。16世紀から18世紀の、ルネサンス建築と古典主義建築も対象になった。たとえばサンロ=ジュヌヴィエーヴ教会、1920年。そういえばさっきみてきたサン=シュルピス教会も1915年ころであった。さらに19世紀の折衷主義建築。パリのオペラ座。古い軍事施設。「登録」の制度もこの時期に整備された。

 1930年5月21日法。1906年法にかわるもの。建築遺産と景観遺産の手続きを同様なものにした。また指定あるいは登録されたMHを含む区域が、自然景勝地のようなものとして指定されうる可能性を生み出した。これは人工物と自然の制度交換である。

 1943年2月25日法。1913年法の改訂。

 戦争と高度経済成長時代には建造物の破壊が進んだ。

 1962年のマルロー法で「保護区域 secteur sauvegardé」(保全地区、保護地区などさまざまに訳される)が制度化された。ただこの法は都市計画法典の一部をなすのであって、遺産法典ではない。

 1960年代以降、MHに20世紀建築も含まれるようになった。エッフェル塔。ロンシャンのノートル=ダム=デュ=オー教会。サヴォワ邸。ノートル=ダム=デュ=ランシー教会、サクレクール教会。鉄構造建築も。ラブルーストのサント=ジュヌヴィエーヴ図書館(1988年)。1980年代からは産業遺産。モニエ・チョコレート工場。など。

 現在、指定は14000物件、登録は30000物件。

 指定の窓口は地域県である。しかし指定する主体は国である。

 19世紀と20世紀の違い。19世紀は、MH=中世建築というイデオロギーが支配的であった。20世紀は、MHを脱イデオロギー化することがなされた。21世紀は汎遺産主義という状況になろう。それは超イデオロギー化なのか新イデオロギーの成立なのか。

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