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2007.10.20

【書評】『藤森照信建築』TOTO出版、2007

 TOTO出版から『FUJIMORI藤森照信建築』(写真:増田彰久)が送られてきた。著者謹呈とある。藤森照信先生、TOTO出版様、ありがとうございます。今日届いた。今日、書評を試みる。

 プロジェクト集にして作品集である。作品集としてはこれまで設計した建築がほぼ網羅されているようだ。プロジェクト集としては初出もあるようだ。推測形なのは最近うとくなっているたけである。個人的にぼくが好きなのはやはり熊本県立農業大学校学生寮の食堂であり、その柱が林立するさまも、見開きページで紹介されている。

 プロジェクトである「土塔」や「東京計画2107」はかわいい黙示録である。つまり後者は、地球温暖化して水没した東京の再建計画である。既存の東京は、東京タワーもふくめ水没し、巨大サンゴ礁とかす。このサンゴはCO2を吸収するのみか、石灰として建材となる・・・。そこで建設される白い、もっこりした異形の超高層は、ぼくなら手塚治虫のSF漫画とタッチがにていることに気づく。輪廻観がどこかにあり、文明は形を変えても、どこかで生き残るのである。

藤森照信建築 藤森照信建築

著者:藤森 照信
販売元:TOTO
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 ところで論文「人類の建築をめざして」では衝撃的なことが書かれている。藤森先生の卒業設計「幻視によってイマージュのレアリテを得るルドー氏の方法」である。これは当時すでに産業排水によって危機的なまでに汚染されていた仙台の広瀬川を救済すべく建設された橋施設である。その造形は時代を考えるとかなりセンスのいいものであり、アーキグラムの影響を告白しているように、機械にインスピレーションを得たものである。しかしそれだけではない。その配置図の書き方が、まさにルドゥの水車番の小屋や、ひいてはショーの製塩工場などのそれによく似ている。それは書き方をまねただけでなく、ルドゥの本質をよく見抜いているように感じられるのである。

 ルドゥはフランス革命前から成功した売れっ子建築家であった。貴族やブルジョワのためにパリに立派な邸宅建築をたくさんつくった。またショーの製塩工場のような、当時専売であった塩を製造する、施設もつくった。また入市税を徴収する都市門もたくさんつくった。だから彼はすでに体制的な、人民を抑圧する側にたつ建築家であった。革命においてギロチンにかけれらなかったのが不思議なくらいである。そのルドゥは革命ののち、自分のそれまでの建築やプロジェクトをかなり強引に改作し、演出し、さらに新規にプロジェクトを作成して『建築』なるまか不思議な書物を刊行するのである。

 ぼくはこの著作は、事後的に自分の革命性をこれでもか表明し、さらには後世に自分の名前がどうのこるかを最大限考えた、一種の奇書だと思っている。革命の時代に革命的でないことは死に直結するし、革命的であることを証明することは死活条件であった。そのためにルドゥはそれまでの世俗的な成功を、ことごとく読み替えてゆくのであった。それは自分自身にたいしては一種の裏切りであっただろう。

 そのロドゥのプロジェクトを真似て藤森先生が卒業計画を作成したことはとても示唆的なことである。ぼくがこの『FUJIMORI藤森照信建築』をぱらぱらめくりながらしだいに確信を深めていったのは、藤森先生が建築を設計するということは、ルドゥの建築書に相当するとすれば、藤森先生はそれまでのなにを逆転させようとしたか、という疑問である。

 それは建築史研究である。彼が歴史研究の延長として設計しているのではないことは自明である。これまで蓄積した自身の歴史研究に、ある種のトラウマを感じ、そのトラウマの深さに驚愕するがゆえに、最大限、逆の方向に振れようとしているのである。

 彼は節目節目で、日本全国を旅し、さらには世界を旅して建築についてのある世界観を獲得して、それを設計に反映させる。その方法は、歴史研究のそれではない。あきらかに、文献、先行研究のスタディ、といったオーソドックスな建築史研究の方法論の外に出ようとするためである。

 しかし一見したところでは、路上監察学の延長で、世界のエコ建築を視察し、云々といったように、建築史研究の延長であるように見える。実際、さまざまな知見の集大成として設計があるように指摘する人物もいある。しかしそのままの延長にようでいて、それを脱構築し、読み替え、違うものに再編している点がルドゥ的なのである。

 「過去と現在の誰の建物にも、青銅器時代以降に成立するどんな様式にも似てはならない」ことが彼の設計基準である。つまり歴史の完全否定である。そしてこの点が、第三者にはもっとも理解しづらいのである。つまりルドゥにとって革命以前の世俗的成功がなんとかして否定して書き換えたい対象であるなら、藤森先生はいかなるトラウマや悩みを自身の建築史研究にたいしていだき、それとは違うことをしようとするのか。ぼくには今、それを説明できないが、そこに重大ななにかがあることは感じることができる。

 ぼくは藤森建築の魅力は率直に認めるし、歴史に残るか残らないかはしらないが、時代を代表していることも認める。しかしそれ以上に、彼の建築史そのものへのトラウマを感じるがゆえに、その逆の振れとしての藤森建築にことの重大さを感じるのである。

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