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2007.10.30

レンヌと「市の建築家」(続き)

 レンヌはいいですね。大学の都市である。人口の三分の一が学生である。だから町並みは古くとも、雰囲気は生き生きしている。レンヌ大学出版会も充実している。ケンブリッジ、オックスフォード、ハーバードに喩えるのは大げさだが、ベルギーのルーヴァンには肉薄しているかもしれない。しかしクレープだけはどうも・・・。

  ・・・・ところで「市の建築家」は今回の目的ではないが、どうも気になりはじめたので調べて見よう。

 そもそもレンヌ市に行政職としての「市の建築家」職が設立されたのが1800年。革命とともに生まれたと考えられるが、経緯や背景は今後の課題である。以下、その略式リストである。

 フィリップ・ビネ(在任1800-1815):アカデミーの学校で修行をし、イタリア留学も果たし、当時の大建築家ゴンドゥアンのもとで医学学校建設の助手を務めた。1790年頃からブルターニュの公式エンジニア。

 1815年にビネが殉職(仕事中に亡くなったらしい)すると、リシュロ、シュセ(ボザール出身)、ゴイエ、ド・ラギャルド、アドルフ・ジロ(1823~)、マキシミリアン・ゴドフロワ(1827-28)らが担当するが、長続きせず。

 シャルル=イジドール=ウスタシュ・ミラルデ(1828-43):1819年にボザール入学、1824年にその第一部学生、師匠はヴィニョーラやパラディオにかぶれた人であった。

 イポリト・ビネ(1843年以降、短期間在職)

 レズファシェ(1944年前後):当時超一流建築家であったデュバンの生徒であった。

 ヴァンサン=マリ・ブレ(1845-56):地元出身。1822年に若くしてパリにわたり、1824年にボザール入学。1930-32年にローマ留学。

 ジャン・バティスト・マルトノ(Jean-Baptiste Martenot, 1828-1906、在任1856-1895):パリのエコール・デ・ボザールで学ぶ(建築家ブルエのアトリエ)。

 エマニュエル・ル・レ(Emmanuel Le Ray、1859-1936、在任1895-32):パリのエコール・デ・ボザールで学ぶ(どの建築家のアトリエかは調査中)。商業館など担当。

 以降は調査中。戦後は、「市の建築家」職はないのでは?

 市の建築家は、公共建築の管理維持、美的に優れた建物の建設、最新の建設技術の提供、衛生施設の設置、などに配慮した。つまり自身で公共建築を設計するほか、建設業者の建設する建物について監視する役割をもになっていた。彼らが設計した建物の少なからずが今、歴史的建造物として指定されている。

 公共性のある建築に関わるいっぽうで、個人の建築家として、民間の仕事を引き受けることもあった。ときにはそれが問題視されたが、事実としては、個人住宅など優れた作品をのこしている。

 これらの建築家は、基本的にはパリのアカデミーやボザールで修業し、イタリア留学を経験した者もいる。しかし地元出身の建築家も少なくない。

 こうした状況はとくに中央集権的ともいえないであろう。なぜなら17世紀、18世紀は宮廷から派遣された建築家が直接設計したからであった。地元建築家もいたが、その設計はそのままでは実現しなかった。それを考えれば、19世紀は、教育はパリが独占したとはいえ、ブルターニュ出身の建築家がレンヌあるいはブルターニュの建築を手がけるという状況であった。彼らは基本的には、パリ的な古典主義あるいは折衷主義の建築家であり、パリのモードを地方にもたらした。しかしそうしたなかから、地方独自の建築表現をめざすリージョナリズムが生まれるのであった。19世紀において地域の自立性・独自性を確立するためには、こうした地域における集権化が必要であった。

 それはともかく、都市が形成される過程で、その行政のトップに建築家が継続して存在したということを忘れてはならない。今日、まちづくりは集権的になされるのではない。しかし遺産として生きている伝統的な都市は、建築家をトップとする体制のなかで形成されてきた。それはいわゆる自然発生的に漫然と美しい町並みができたのではない。そうして集権的にできた都市を、今は、民主的ガバナンスで維持するということであろうか。

 いずれにせよ地方都市における建築行政の歴史というのはよい研究テーマであろう。

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