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2007.10.29

レンヌのタボール公園を散歩する

 午前中(10月28日)、買い出しをして、WEB版ルモンドを読んで、午後は散歩である。広場、教会、旧市街を、土地勘を再生するために、散策。それから前回いけなかったタボール公園(Parc du Thabor)にて散歩をする。

 この公園は17世紀には、サン・ムレーヌ修道会の果樹園であった。聖ムレーヌは505年からレンヌ初代司教。ガロ=ローマの民衆と、クローヴィスに代表されるフランク族とい権力との仲介者として重要な役割を果たした。

 公園は18世紀後半に拡大、整備された。当時その周辺地帯にブルジョワ階級が邸宅を建設しはじめていたからである。現在もその周囲には立派な戸建てが多い。

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 1860年から1867年に整備され、今の公園となった。面積は10ha。タボールなる名称は、イルラエルの山の名前にちなむという。整備を担当したのは造園家ドニ・ブレール(Denis Buhler:詳細不詳)。温室、オランジュリ、音楽の四阿などを担当したのは建築家ジャン・バティスト・マルトノ(Jean-Baptiste Martenot, 1828-1906)。彼はブルゴーニュ出身だがレンヌに貢献した建築家。県の給費生として、1850年からパリのエコール・デ・ボザール、とくに建築家ブルエのアトリエで学んだ。Muller Soehnee賞を獲得した。26歳にしてルーヴル宮の監督官となる。1858年、レンヌ市長レオン・デ・オルモは彼にレンヌ市建築家のポストを提供した。彼は1895年までその地位にとどまった。数多い作品のなかでもデ・リス広場の2棟の市場建築。これはバルタールによるパリのレアール(中央市場)を踏襲した、鉄とガラスの軽快なもので、当時のハイテク建築であった。この建築家の名前はちかくの道の名前として残っている。才能に対する敬意が日本とは違うのであって、文化財というものの哲学が同じレベルではない。

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 ようするに典型的な第二帝政の公園である。皇帝ナポレオン三世のイギリス趣味を反映して、自由で変化に富んだ構成である。フランス式ではなくイギリス式。公園も公園なら、四阿も四阿である。オランジュリはどうみても16世紀の建築家フィリベール・ドロルムの考案した「フランス式オーダー」(節があったりごつごつしたデザインで、古典古代の柱に比べて意図的に粗野で田園風にした柱)が使われている。じつはルーヴル宮の19世紀増築の部分にもこれが使われている。建築家マルトノはルーヴルにもかかわっていたから、彼がこのデザインを伝えたとしても不思議ではない。さらにえば前述の市場建築もふくめて、マルトノはパリの建築をレンヌに伝えたのであった。

 ナポレオン3世があまり尊敬されていないことから、第二帝政の業績もそんな傾向がある。しかし地方では大植林をしたり、都市では公園を整備したり、今日の言葉でいえば、環境に配慮した政権であった。

 庭園は総じて、思索的、権力誇示的というより、教育的(さまざまな植生を教える花壇あり)、娯楽的(ハイドパークのような楽隊キオスクあり)、癒し的(なだらかにのびる芝生)である。これが第二帝政的なるゆえんである。

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 笑えるのは鳥小屋である。中心に塔があり、下は八角形平面の鳥かごである。プランはパノプティコンであって、自由であるべき鳥が閉じこめられている。しかし中央の塔にはたくさん鶏小屋のドアがあって、鳥が羽ばたく大気の中心であるとでもいうのだろうか。とはいえ、カゴは区分され、世界中のさまざまな鳥が集められ、その解説が付されている。だから動物園でもある。啓蒙機械である。

・・・というわけでコンパクトなレンヌ市内の散策、2時間弱ずっと歩けました。リハビリの成果ですな。

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