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2007.10.22

ラプソディ・イン・人間ドック

 人間ドックである。

 一泊二日。泊まりにするのは仕事からの逃避である。今年は事情から10月だが、ふつうは6月に受診する。年度で一番忙しい時期にお休みするというわけだ。

 地元のWクリニックはPETツアーも受け入れる設備のととのったところで、のんびりしたところが癒される。

 待合いでは大リーグ中継。松坂大輔がリーグ優勝のかかった試合でなげる。そういえば8年前、彼が横浜高校のエースで、甲子園の準決勝で投げた試合をおなじ場所で見たな。なぜかぼくは横浜を応援している。大輔は、まだまだ未完成という状態で15勝するのはやはりすごいというべきか。

 病院だから「爽快」だの「日経ヘルス」などおいている。後者はファッション雑誌のような装丁である。日本人は回虫を駆除してしまったのでアレルギー体質になった。清潔すぎることに起因する病である。病気は病気を呼ぶ。しかし衛生も病気を呼ぶのであった。

 病院の待合いにおいてあるので多いのが、経済誌である。壮年患者が多いからであろう。2011年は、九州新幹線完全開通で博多で流通大戦争がおこる。

 内視鏡検査は眠くなる薬でマウスピースをくわえたところで意識がなくなり、気がつくと2時間たっていた。そのあいだ体のあちこちにファイバースコープを挿入され、のぞかれたわけだ。何年かまえ、異質なものを受け入れること、これぞ人生などとほざいて、知り合いの建築家に爆笑された。しかし意識がとぶのはよくない。来年からは、ちゃんと目覚めていて自分の内蔵を見ることにしよう。

 いまや人間ドックもリゾートである。去年は名古屋からきたペットツアーのおじさんと世間話をしたな。

 ボストンを観光旅行したとき、日本人医師と世間話をしたが、メディカル・シティなるものがあって、テキサスにあるそれなどにはアラブの石油王が自家用飛行機で乗り付け、快癒するとビル一個を喜捨してゆくのだそうな。福岡の某医師もそんなことを語っていて、福岡は温泉もあり、海の幸も豊かで、アジア各地とも近いから、人工島などメディカルシティにすればいいのにねえ、などとのたまわっていた。実際、熱心な有力者がいたのだそうな。そういえば伝統的な温泉での湯治など、まさにメディカル・リゾートですな。

ぼく自身はここ数年、地元の都市型リゾートホテルとして有名なSHに宿をとっている。そこにはプールがあるからである。今年はリハビリを兼ねて泳ぎ、水中歩行をする。明日は糖負荷検査である。だからといって血糖値を下げておくために泳ぐなどと、いじましい努力をしているのではない。リゾートとしての位置づけだからである。

 近代スポーツ水泳は、プールと切り離せない。プールはすぐれて20世紀的都市施設である。それが国民教育、国民皆兵システムと表裏一体なのはさんざん指摘されたとおりだ。しかしその遺産によってスイマーの健康は維持される。フランスの公立プールでおもしろいのは、そのロッカーである。プールのあるホールからすべての扉が見えるよう、まさにパノプティコン的に設計されている。公立プール、中程度のホテルのプールは、みごとに衛生施設的である。アクアブールバールというレジャー施設でさえ遊び心がなく、日本人の目からは興ざめである。前に言及したレンヌの公共プールなど、水の神殿といった設計で、もうすこし楽しめば?といいたくなる。それを考えればロサンジェルスのホテルのプールはじつに脱力していてよかったな。

 ここSHホテルのプールは、90年代的エスニック趣味であり、すでに古めかしい。そろそろなんとかしないとねえ。日本には銭湯文化がありながらプールが社交の場になるということはあるのだろうか。SHにはプール、ジャグージー、ミスト、サウナとひととおりそろっていながら、ここが古代ローマの公衆浴場に近づけるというような可能性はまったく感じないのだが・・・。

 リゾートきどりだから、ツーリズムということでいえば、ヨウコソニッポン、美しい日本、観光大国日本、などというのはすでに敗北宣言ですな。つまりヴェネツィアのようになりたい、ということである。中東の産油国がオイル枯渇を見越してリゾート都市建設をやっているように、日本では基幹産業の弱体化を視野に入れて観光産業を国策としたいようである。がそれは第二のヴェネツィアであり第二のフランスである。フランスは立派だが、経済的にはもう四苦八苦である。しかもそれらには文化財や観光資源の総量ではたちうちできっこないのに大丈夫であろうか。伝統文化よりもアニメやオタクやB級カルチュアがむしろ牽引力がありそうだ。

 日本が観光大国になって、近隣の大小の国々から来日する観光客が落とす外貨で暮らす日がくるとしよう。経済的にはよろしいでしょう。しかしマスツーリズムということは文化的理解の絶望的に浅い人びとが大挙して押し寄せることを意味する。それなりの対処が必要だし、それがなければ亡国の産業となる。それはすでにヨーロッパではかなりまえから発生している現象である。ルーヴルが大衆ミュージアムになってからかなりたつ。ここはまだ国策だからいい。しかし静かな住宅地にある教区教会に、毎日数十台の観光バスが訪れ、それらはほとんどが異教徒で、教会内で奇声を発するといった事態である。地球は、人類はどうなってしまうのだろう。日本はそこまではいっていない?

 観光のコアに文化をもってくるというのは文化の死である。文化の死であるから「遺産」なのである。ぼくは昨今の「遺産」ブームには期待していない。それはこれからの新しい文化を創造するものではなく、むしろアマチュア化を促進するものだからだ。しかも日本において遺産とは現代とは切れたいわゆる伝統文化であるからだ。現代建築と過去の遺産が、広い文化という枠組みでしっかりつながっているヨーロッパとは決定的に違う。50年の試練を経て残ったものだけが文化である、という論法がまかりとおっている。では最初の50年は文化ではなかったというのだろうか。この発想は英知をそそいで今の建築やそのほかの作品を創造している人びとを愚弄しているばかりか、そもそも文化の根源はなんであるかという点を誤解している。それは文化の自己否定となるのに、この矛盾はそのまままかりとおっている。文化は、創造的行為の蓄積であって、淘汰の結果ではないのである。

 それはともかく、旅行をするならフランスである。しかも車で、とくに行き先を決めず、地方をゆくのである。そこは建築史を専門とするぼくは恵まれている。なにを見ても研究対象である。8年前、在外研究員としてフランスに滞在した最後の日、お世話になったフランスの建築家夫妻と世間話をしたものだ。

「レンタカーでね、とくに旅程をくまずにいきあたりばったりでいったんですよ。クレルモン=フェランとかそのあたり。すばらしい。天国ですよ。でもなんというか。10kmごとに、20kmごとに、古い教会があったり、中世からの都市があったり・・・。見るべきものがかならずあるんです。車で一日走って100kmも進めないですよ。」

「それがヨーロッパよ!」

「宿探しは大変ですね。ミシュランみながら携帯でホテルに片っ端から電話をするんです。でもどこも満室。結局となりの都市までいきました。そういえば学生のときもおなじことで途方にくれたことがあったけれど・・・」

「知らないのね。そういうときはポリスに相談するのよ!どこでもリザーブを用意してあるものよ。」

(そんなこと外人が知りますか!)

 そういえばとある都市でぼくこと外国人は、ポリスに呼び止められたことがあった。

「ひょっとしてここ、一方通行ですか?」

「そうだよ。免許証は?」

 平謝りし、外国人で、宿さがしですごくあせって、などと率直かつ謙虚に話したら、無罪放免してくれたばかりか、親切にも駐車場を教えてくれた。こういう状況では率直さがキーである。

 ここのドライブは楽しい。道路標識、道路システムが明快で、およそ迷うということがない(にもかかわらず一通ミスはケアレスミスである)。

 ともかく旅行は、フランスの地方を車でするに限る。それは観光産業化していないからである。つまり近代以前からある、旅人、それを迎える旅館、といった簡素なシステムがそのまま残っているからである。そして都市そのものが、指定される以前に、文化財であるからである。そう、ここが大切である。指定云々にかかわりなく、旅人が文化を感じられるということである。

 写真はぼくが2000年に、地図でおもしろそうな都市プランだからという理由で、つまり直感的に魅力的なところだと思ったので泊まったところである。地ワインもおいしかった。

Cordes Cordescielhotel014

Cordescielville018 Cordescielville019

 ここは丘の上にある、人口2000人ほどの、ほんとうに小さい集落である。しかしふきはなちの、柱と屋根だけの、構築物がある。周囲のレストランがテーブルをだしている。しかしお祭りや集会のときには、村人ほとんど全員集められるであろうと推測した。またこんなギリシアのストア建築を中世フランス風に改作したものがどれだけあるか知らない。強引な喩えでいえば、栗生明の「コアやまくに」のような、村に都市的アトリウムをつくり、いざとなれば村人全員集められるような、そんな施設である。

 なかなかおもしろいでしょ。観光汚染されたくないからどこか教えませんけどね。

 ・・・明日は人間ドック二日目。朝食抜きでがんばるか。

 

 

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