« レンヌのタボール公園を散歩する | トップページ | レンヌと「市の建築家」(続き) »

2007.10.29

レンヌと「市の建築家」

  賢明なる読者はすでに気づいたことであろうが、レンヌには「市の建築家」がいた。とりあえずふたりわかっている。

 ジャン・バティスト・マルトノ(Jean-Baptiste Martenot, 1828-1906、在任1856-1895):パリのエコール・デ・ボザールで学ぶ(建築家ブルエのアトリエ)。

 エマニュエル・ル・レ(Emmanuel Le Ray、1859-1936、在任1895-32):パリのエコール・デ・ボザールで学ぶ(どの建築家のアトリエかは調査中)。商業館など担当。

 ふたりともパリのボザール(建築大学)で学んでいる。19世紀のボザールは、世界一の建築大学であった。マッキムなどアメリカのエリート学生もきたし、フランスの地方からも優秀な人物が集まった。

 設計までする建築家が市政体のなかの高級地方官僚であることは、日本ではあり得ないが、ヨーロッパではよくあること。パリでは18世紀からあった。一般的には、19世紀後半から20世紀初頭まで、その類例が多い。しかし悉皆的に調べてはいないからよくわからない。有名な例としては、リヨン市におけるトニー・ガルニエ、ロッテルダム市におけるJJPオウト、ベルリン市におけるブルーノ・タウト、などである。

 共通しているのは、意識の高い市長の存在である。市長の後押しがあるので、建築家は活躍できる。マルトノはデ・ゾルモにより、ル・レはジャンヴィエにより招かれる。市長は行政のなかで建築家の重要性をよく認識している。市場、学校、運動施設・・・など市民生活を豊かにする政策展開にとって良い建築家は不可欠である。

 近代建築はまず運動として発生し、新聞、雑誌、出版をとおしてメディア作戦を展開したことはよく知られている。しかし彼らを支えたのは市政体であり、すくなからず建築家は自治体の建築・都市計画行政にかかわっていた。よく第一次世界大戦で長い19世紀が終わったなどと指摘される。ぼくのカンでは世界恐慌のほうが、建築によりインパクトを与えたのではないだろうか。世界恐慌により、地方ベース、自治体ベースであったものが、国家を中心にせざるをえなくなる。

 このようにヨーロッパの都市ではかつて、よくもわるくも、ひとりの建築家が長い期間(マルトノは39年、ル・レは37年!)、建築行政を支配するのである。だから市の町並み、デザインに一貫性があるのは当たり前である。ひとつのはっきりした意志により、都市が形成されるのである。つまり地方でもけっこう集権的なのである。

 今の日本の地方自治体では、建築や都市計画の役人も2年ごとに異動するから政策も変わる。だからといって一貫性をもたせようと、かつてのヨーロッパ方式を採用すれば、とんでもないことになるであろう。つまり地方の有力企業、建設会社、デベロッパーが裏で働きかけ、さまざまな汚職の温床となるのだろう。そうすれば数年ももたないであろう。日本社会は、高貴なる意志がなかなか続かないようにできている。日本の地方社会におけるいわゆる民主化は、悪の細分化と拡散化を意味しているようだ。

|

« レンヌのタボール公園を散歩する | トップページ | レンヌと「市の建築家」(続き) »

Rennes」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/8661719

この記事へのトラックバック一覧です: レンヌと「市の建築家」:

« レンヌのタボール公園を散歩する | トップページ | レンヌと「市の建築家」(続き) »