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2007.10.06

[1:1]とはなにか?

 ぼくのところの学生が自主企画展をやっている。課題では教師に「指導」されている学生たちが自由に羽ばたきたいのだから、教師はあれこれ言ってはいけない。その最終結果に批評をするのみである。批評としては、既知感がありますな、というところだが、これは各論で。

http://2007ten.blog.shinobi.jp/

[1:1]とは原寸大という意味である。ふだんの課題ではとうぜんのこと縮尺のある図面や模型を中心にしてのプロジェクト展開であるから、自分の手で作りたいのである。会場である講堂(なぜか多次元と呼ばれている)へのアプローチ・インスタレーションも1:16, 1:8, 1:4, 1:2そして1:1という順番で人のシルエットがだんだん大きくなるように演出されている。

 「壁」の造形は、最も建築的センスのあるもので、視点の高さが、床に座った高さ、通常の立った高さ、階段を2段あがった高さ、数段あがった高さと区別され、それがどのように室内スケープを変えるかという実験である。演出としてはしかし3段階であり、壁の下から、壁に遮られる(穴をとおしても含まれるが)、壁の上を越して、 の3種類である。しかしはっきりと意識化されていないのは、床の存在であろう。床を意識する/しないという臨界点がある。この演出は小津安二郎的なものとなるであろう。

 「葉っぱのカーテン」はサーリネンによるMITチャペルを髣髴させる。アイディアもいいが、素材の選択がよかったと思われる。しかしその実体のみを見せようとしたところが限界であった。実体のみならず、照明を投光されててできる、影、透過効果、そのゆらめきを演出したらベターであった。そうすれば作品の置かれた場所をこえて、会場全体を支配することも可能であっただろう。

 「ストロードーム」もまたコンセプトのはっきりした作品である。しかしフラーのイメージが中途半端に存続しているように思われる。テーマは浮遊である。このテーマは1970年代的である。翔ぶ、のである。そうであるなら、軽いストローのメッシュが、しっかりと床に結びつけられていることが、この作品の弱さである。ほんとうに浮遊すべきであろう。

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 「やわらかいもの」は、梱包を一貫したテーマとするクリストの系統である。ここでは屋外のランドスケープというより、インテリア・スケープを梱包しようとしている。講堂の広い床の上にこの造形が置かれると、上方からゆっくり床に降りてきたゼリー状の不思議な物体が、その内部の粘度の不均質さにしたがって、そのまま凹凸を残したような造形である。手法は新しくないが、しかし建築(住宅)とインテリア(家具、設備)という、密接な関係にありながら、基本的にはたがいに異なったものを、ひとつに統合できるのではなあいか、という可能性をかいま見させてくれる。

 「ダーティホワイト」は白で塗りたくった、現代アートではたいへん既知感ある作品で、大人は驚かない。強いて関心を振り絞るとすれば、白く塗られ均質化されたそれぞれのオブジェが、じつは誰かに(学生に?)とってなにか本質的なものである、といったようなことであろう。

 全体としては、共生も、文化遺産も、情報も若い学生にとっては切実なテーマではないということである。そうであるなら学生はいかなるメッセージを発しようとしているのか。大人が提供する課題への閉塞感。それがあるなあら、むしそれを徹底的に意識化することがひとつの可能性であろう。

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インテリアと言う言葉は最近になって流行りだした言葉です家具やインテリア用品を取り扱っている店の販売員には、インテリアコーディネーターや、インテリアデザイナーの資格を持っている人がいます家具とインテリアの存在価値は、現代の社会の中でますます重要となってきています... [続きを読む]

受信: 2007.10.12 20:49

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