« アルカンレーヴという建築センター/ボルドーより | トップページ | 東方旅行(034)1988年1月2日(土)ギゼ »

2007.10.09

東方旅行(033)1988年1月1日(金)カイロ/初詣もどきはオールド・カイロ(コプト地区)の聖ゲオルギウス教会で

 東方旅行(033)1988年1月1日(金)カイロ/オールド・カイロ(コプト地区)の聖ゲオルギウス教会の巻である。竜退治で有名な聖人を奉るこの教会は、宗派をこえて同一の聖人が崇拝されることの意味を考える機会なのであろう。

【口上】東方旅行も今回からはエジプト編である。ぼくはカイロで1988年の元旦をむかえた。あけましておめでとうございます。昔の正月、外国でなにをしようとしたか憶えているわけがない。しかし、もちろん洒落で、初詣を考えたことだけは記憶がある。ただ初詣をしようにもここには神社がない。とりあえず宗教建築ということで聖ゲオルギウス教会(英語名ではセント・ジョージ教会、現地発音ではマル・ギルギス教会)である。

 ところで北アフリカからカイロにつくと、その都会的で洗練された文化に驚く。よく日本から直接ここにやってくる人びとは、アラブの活気だの、都市の猥雑さだの、混沌とエネルギーなどとのたまう。ぼくはそんな感想はまったく信じない。少なくともカイロは、長い歴史をもち、大都市としての経歴は世界屈指である。ぼくははじめてカイロを歩いたとき「洗練」という述語が心のなかにわいてきて大きな文字となって映った。べつにコーランを唱えたのでも、水たばこを吸ったわけでもないが、たとえば道や広場をあるいて、かなりの歩行者密度にもかかわらず、ぶつかるかもしれないというプレッシャーがかなり小さいこと、などである。これは日本の地方にある中途半端な大都市において同様なことを体験すれば明らかである。エジプト、偉大なり!

【宿泊】Hotel Anglo-Suisseにて新年。天気悪い。

【予約】アスワン行、1月4日、2等、8.50EE。

【見学】聖ゲオルギウス教会。初詣もどきはここである。 旧ギリシア正教修道院。コプト地区にある。外観写真しか残っていないことから、内部はあまり見ていないようだ。建築史には登場しない建物である。しかしエチオピアにある有名なコプト教会も聖ゲオルギウス教会なのだから、おなじ聖人崇拝のひろがりがあると考えてもよさそうだ。

Dscn5402

【プチ勉強】

 コプト教徒は300~400万人ほどいるといわれ、エジプトの人口の一割ていどである。カイロの「オールド・カイロ」地区にも多くいるらしい。紀元42年以降、聖マルコはエジプト布教をおこなった。エジプトにおける原始キリスト教がコプト教である。アレクサンドリアに教会が建設された。このアレクサンドリア大司教は「キリスト単性論」を唱えた。451年のカルケドン宗教会議で異端とされ、コンスタンティノポリスとアレクサンドリアは対立しつづけた。コプト(派)教会はイスラム時代をも存続した。むしろアラブに協力し、ギリシア正教+ビザンツと対抗した。という意味でアラブに協力をする。そして彼らは古代エジプト語を源流とするコプト語守り続けた。現在、エジプトの人口の1割、300~400万人のコプト教徒がいると言われている。

 聖ゲオルギウスとはいかなる聖人か。伝説の成立は11世紀から12世紀。人びとを苦しめる竜を退治するとともに、交換条件で村人たちはキリスト教に改宗した。しかし異教の王により殉教した。

 絵画のなかの聖ゲオルギウス。馬にまたがり竜を退治するゲオルギウスの図像は最もよく知られたものである。デューラー、ラファエロなどルネサンス絵画にも多いし、19世紀ビクトリア朝のイギリスでもさかんに引用された図像である。

 ちなみにイングランド国旗はセント・ジョージ・クロスであり、白地に赤の十字。聖ゲオルギウスはイングランドの守護聖人でもある。

 アラビア馬にまたがりドラゴンをやっつけるローマ兵としての聖ジョージのイメージは、オールド・カイロには普及している。東方キリスト教では、聖ジョージは有名な戦士=聖人であり、またカイロのコプト教会ではこの騎馬聖人にまつわる聖遺物は20点ほどある。コプトにおける聖ゲオルギウスの伝記には、ドラゴンとの戦いやその勝利については触れられていない。だから学者によれば、14世紀に聖テオドロス・ストラテラテスの伝記が聖デオルギウスに転記されたか、コプト教徒がこの物語を西方キリスト教から借りたか、である。

  聖ゲオルギウス修道院(Deir al-Banat)の縁起はよくわかっていないが、現在の構造物の定礎は7世紀か8世紀である。現在30~40人の修道女が住んでいる。

 礼拝堂と控え室ぐらいが芸術的価値が認められる。礼拝堂はもともとマムルーク朝の宮殿の一部であったといわれている。それが14世紀か15世紀に礼拝堂となったらしい。

 聖遺物は「鎖」である。鉄の首輪とセットになっている。長さは4.2メートル。礼拝堂の南壁にとりつけられている。ふつうは女性信者がさわることができるが、男性もまた聖人を崇拝するために触れることができる。首輪をかけられ、鎖で体を縛りつけられた信者は、敬虔な気持ちで鎖に接吻し、聖ゲオルギウスへの祈りを捧げる。

 聖ペテロも鎖につながれていた。鎖は現在サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会にある。聖人ペテロが、キリスト教の聖地エルサレムで繋がれていたという鎖が1本 そして、マメルティーノ牢獄で繋がれていたという鎖が1本 合計2本。

 5世紀以来、西方キリスト教でも聖ペテロの鎖を崇拝してきた。しかし中東では、聖ペテロではなく聖ゲルギウスの鎖こそが、悪魔に取り憑かれた人びとを救う力があると信じられた。鎖は精神的な病を救うという効果があったとされる。これは新約聖書などにもその記載が見られる。

 コプト教において聖ゲオルギウスの鎖が重用しされたきっかけは、ビザンチン伝統の活用である。17世紀より、ギリシア正教の聖ゲルギウス修道院の鎖は、神経、精神、ヒステリー、分裂症などで苦しむ人びとを救うために使われた。

 リチャード・ポウコックの1737年の報告によれば、3日鎖でつながれていることで効果を発揮し、トルコ人たちがこれを賞賛しており、金曜日にはよくくる、ということであった。

 今日では金曜日と日曜日になると、コプト教徒、ムスリムたちが鎖のために修道院を訪れる。「コプトの鎖」は中世いらいの鎖信仰の伝統である。また4月22日にはギリシア、レバノン、キプロス、エジプトなどからギリシア人たちがやってきて聖ゲルギウスを賞賛する。

 現在の聖ゲオルギウス教会はギリシア正教であり、東方にのこる円形平面のものの数少ない例のひとつである。それはローマ時代の円形平面の塔を基礎として、その上に建設されたからである。聖家族は、のちに教会が建設されたその場所に、一時逃れていたといわれている。教会堂(ローマ時代の市壁上に建設されていうる)へは長い階段を登ってゆく。登るにつれて聖ゲルギウスと竜の物語が髣髴される。火災はたびたびあった。1904年の火災ののち現在の建物が1909年に建設された。長い歴史のなかで、教会堂の所有者は、コプト教徒かギリシア正教徒かを繰り返してきた。しかし15世紀からはギリシア正教徒の所有である。それでも4月23日にはコプト教徒の祭典が開かれる。

 最古の聖ゲオルギウス教会堂はローマ時代建設のバビロン城館のなかではもっとも美しいものとされていた。アタナシウスが684年に建設したとされる。教皇ガブリエルの時代に聖遺物がこの教会堂にもたらされた。古い建物のなかで残っているのはウェディングホールとされる箇所のみである。矩形平面のホールは13世紀。長さ15m、幅12m。

|

« アルカンレーヴという建築センター/ボルドーより | トップページ | 東方旅行(034)1988年1月2日(土)ギゼ »

東方旅行(2)エジプト」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/8307314

この記事へのトラックバック一覧です: 東方旅行(033)1988年1月1日(金)カイロ/初詣もどきはオールド・カイロ(コプト地区)の聖ゲオルギウス教会で:

» レバノンの高級ワイン、一度飲んでみたいですね。 [アハ!知脳のキテレツ大百科]
レバノンのワインの産地ベカバレーでは、同地を代表するワイン「シャトーケフラヤ」作りに向けたブドウの収穫が行われている。生産者はことしの収穫に自信を深めているという。 昨年は8月半ばまでの約5週間にわたり、イスラエルとレバノンのイスラム教シーア派民兵組織...... [続きを読む]

受信: 2007.10.15 18:29

« アルカンレーヴという建築センター/ボルドーより | トップページ | 東方旅行(034)1988年1月2日(土)ギゼ »