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2007.09.08

【書評もどき】樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析---なぜ伝統や文化が求められるのか』光文社新書2007/この観点から篠原一男を再考する

ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書 314) Book ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書 314)

著者:樫村 愛子
販売元:光文社
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 専門外なので書評もどきとしてみよう。グローバル化、市場原理主義のなかでプレカリテ(不安定化)という状況が進行するなか、情報過多化、データベース化のなかにむしろ身をゆだねようとする動物化(東浩紀『動物化するポストモダン』)の道はとらず、いかに自分としてのまとまりを守ってゆくか、ということが書いてある。ラカン理論に頼りすぎるがごとく書いてあるのはよくわからないが、現代思想の解説としても読める。しかも逃げも茶化しもなく、木訥なまでに一貫して目的を目指す叙述は、最近にはめずらしい。かならずしも理論的かどうかはわからないけれど。

 「美しい日本」とは、市場至上主義による日本破壊と表裏一体になっている言説であるといった批判とともに、社会の心理学化、オタク、お笑い、ニューエイジ、リアリティ・ショー、電子メディアによるコミュニケーションがいかなる問題をはらんでいるかが丁寧に説明されている。「解離的人格システム」という、複数の人格を使い分けるようになることが顕著な兆候であると指摘されている。ちなみにここで小泉恭子『音楽をまとう若者たち』(頸草書房2007)を思い出すのだが、誰と共に音楽を聴くかで好みを簡単に変えてゆく若者たちは、すでに解離的人格システムなのであろう。

近代社会における「再帰性」が発達しすぎると、もはや自明視できなくなった「伝統」が破壊され、自明的世界の「恒常性」が傷つけられてゆく・・・。そのためには伝統や文化が必要となってくる、といった論旨である。そのコアになる概念が想像界であって、この虚構であってもそれに意識が向かうことで人格が統一されるらしい。著者はぼくとほぼ同世代であり、いわゆる新人類もむしろ保守的なことをいうようになったと、とりあえずは乱暴にいえる。とはいえ問題の構図についてはよく納得させてくれる。文化や伝統といった言葉で、具体的になにを示そうとしているか、それはこれからの課題であるにしても。今年読むべき文献のひとつであろう。

以上の論理をメタファーとして建築界にあてはめて見ると、たとえば磯崎新は、基本は偉大なる教養人でありながら、分裂的=解離的人格システムであったような気がする。今日、若手の建築家たちの文章で特徴的なのは、東的な意味でデータベース的であり、与件はこう整理できて、建築的にはこう対応できて・・・といった外的要因のみに追随しており、建築家の恣意性はほとんど排除したかのような書き方である。そこでは建築家の失敗は、すべて計算間違い、与件のリードミス、インプットミスとして処理されて、彼の人格はまったく傷つかないようになっている。

 そうした昨今の潮流になれきってしまったあとで、前回ふれた、篠原一男『住宅論』を読み返すと、もう世界が違うのである。つまり「亀裂」などという篠原の脳のなかだけにある幻想がある。この幻想は、社会にも、哲学にも、文化にも、経済にも、歴史にも、そして建築空間とも連動する可能性を秘めながら、それが語られるとき、どういう論理的な組み立てになるかは本人もわからない。しかし語ることで求心力を得て、幸いにして篠原一男は建築家として住宅を建設し、その虚構がなんらかのかたちで現実化することを証明する。こうしたプロセスのコアにある言葉の使い方を、ぼくは「呪文」と呼ぶのである。そしてそれは樫村のいう「想像界」の範疇に入りはしないか、と思うのである。しかし現実には存在しないであろう虚構=想像を、じぶんたちの現前にうちたて、それを指向することで個人なり感性の共同体が体を保つという、構え。それがかつてあって、今はない、ということを篠原の文章を読むことで、気づくのである。

ついでにいうと「美しい日本」では世界遺産ブームであるが、これこそデータベース化の典型例であって、そこで課題とされているのは与件から抽出されたさまざまなデータが、ユネスコの設定した必要項目を満たすかどうか、そのチェックリストをクリアするかどうかであって、これとまともにつきあえば文化の凋落を招くであろう。チェックリストに支配された脳が文化を創造することなどありえない。想像界がないからである。すでに研究され共有された文化遺産が、名誉として、世界遺産化されるくらいなら支持できるのであるが。

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