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2007.09.15

NHK教育『美の壺』2007年9月14日は「長崎の教会」/その驚くべきデザインのキリスト教会堂建築

 9月14日22時NHKの番組『美の壺』の特集は『長崎の教会』であった。いつもながらにNHK教育というのは有名タレントの間接的語りとして紹介するのであるが、その美の特質をほんとうに理解するためのカギは与えずに、革新的与件にはふれずにぼんやりと指摘するのみであった。

 ただし教会を「天主堂」と呼ぶのは、中国でキリスト教を天主教と呼ぶことに由来する、ということは、日本における布教がすでにアジア的枠組みにあったことを示している。青砂ガ浦の天主堂の天井は、椿をかたどった装飾がゆたかで、これは近代和風である。ステンドグラスの修復家が紹介されていた。当時は色ガラスをフランスから輸入していたという。そのデザインも、おそらくすでにデザインされたステンドグラスを購入した場合、こちらでデザインした場合など、いろんなケースが考えられる。

 長崎の教会が文化遺産であるということは、明治以来、教会堂を建設した宣教師や日本人棟梁の功績だけのことではなく、それらを1970年代以降に研究した近畿大学の川上秀人教授であるとか(写真家・三沢博昭との共著『長崎の教会』2000年として集大成されている)、2001年から世界遺産化のために尽力している長崎総合科学大学の林一馬教授らの功績が大きい。しかし昨今の世界遺産化の趨勢のなかで、これまでの研究そのものが価値創造的であったことが忘れられ、過小評価されているのはあきらかだ。つまり川上教授や林教授の研究そのものも、それらの対象と一体となっており、それら文化遺産の一部である。このことをわすれると文化遺産の商業主義化と堕落がはじまるであろう。

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 さて長崎の教会堂の建築的特性を考えるとき、建てたのは日本人棟梁だから、すでに和風化が始まっていることは驚くことではない。あるいは日本人棟梁は、西洋建築がわかっていなかった、という説明は本当であり嘘である。つまり理解していないことはそのとおりであるにしても、施主としての宣教師が要求することは、理解できるはずであり、なんらかのデザインは意図して拒否されたと考えるべきである。すなわちすべては意図的な選択である。無名の職人が、なんとなくつくったなどという物語は、建築のなんたるかを知らない無知な素人の戯れ言である。建築においてはすべては意図的なのである。

 たとえばヴォールト天井を、竹と漆喰をつかってつくっている。日本建築にはこれまでまったくなかった形態に、在来の材料と技術を柔軟に適用していることで実現している。こうしたことが可能なら、宣教師の要求することはほとんど可能であったと考えるべきである。西洋でも、木造ならもう木造にふさわしい教会堂のデザインとする。それなのに日本では、石造建築のデザインを木造(竹造)でできてしまう。これを当たり前と考えてはいけない。驚くべきことである。

 もちろん例外はあるにしても長崎の教会は基本的にゴシック様式である。これは宣教師の方針であったと思われる。大浦天主堂をはじめ、多くの教会堂はゴシックである。身廊と側廊は区別され、リブヴォールトもどきが使用されている。しかし決定的に異なっている点がある。それは番組で指摘された「天井が低い」ということのみならず、高窓がない、という点である。これは古代ローマ時代からの教会堂の歴史において、そしてキリスト教の精神・象徴体系のなかで「光」がいかに重要であったか、そして「高窓」がいかに死活的であり、ロマネスクからゴシックへの展開のなかで重要な要素であったかを考えるとき、この高窓の不在はなにか決定的なことを物語っている。

 建築史家としての常識からすれば、そもそも宣教師が教会堂のなんたるかを知らなかったということにつきる。でなければこの本質をくつがえすなにかがあったということである。川上教授は前掲書のなかで風対策で高い建物を建てられなかったということを指摘している。それではなぜ高い塔を建てるのかわからない。常識的思考としては、そもそも日本建築は水平な建築であり、面積が広くなれば構造上それだけ屋根も高くなるのではあるが、それでも空間そのもの天井そのものが比例して高くなることはない。ことに木造であればそうである。レンガ造、RC造においても長崎の教会は、高さと高窓を求めていないように感じられる。

 であるから、高窓とそこからの光を求める本来の教会堂と、水平性をもとめる日本建築はそもそも原理的に矛盾するものであった。だから長崎の教会堂では、ステンドグラスはすべて1階レベルにあり、光は真横からはいってくる。それが身廊と側廊の一体化、内部空間のホール化、をまねいている。

 様式の問題にもどれば、19世紀末にゴシックというのはそもそも謎である。つまりヨーロッパでのゴシックリバイバルはすでに過去のものであり、様式の選択はもっと自由化されており、ビザンチン様式やロマネスク様式、あるいはその系統のさまざまな地方様式が混交して使われているからである。同時代に地球上のほかの地域で建設された教会堂のスタイルを比較してみれば、長崎の状況がいかに特殊で独特であったかがわかる。おそらくそこにキリスト教布教の世界戦略のなかでの日本、長崎の位置づけが浮かび上がってくるであろう。ちなみに本ブログで紹介したアルジェの教会堂を見ていただきたい。それらと長崎のものはほぼ同時代である。それらがまったく無関係ということもあり得ないのである。

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