« 東方旅行(015)1987年12月14日(月)マラケシュ | トップページ | 東方旅行(016)1987年12月15日(火)ワルザザート、アイト・ベンハドゥ »

2007.09.09

【書評】内田樹『街場の中国論』ミシマ社2007/ぼくが中国を論じるなんて考えもしなかったけれど・・

街場の中国論 Book 街場の中国論

著者:内田 樹
販売元:ミシマ社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 これは自発的ではなく強いられた読書の成果?である。自分にとってはどうでもいいが重要ではあるテーマというものがあって、人の声は天の声とでも思って読んだものである。ぼくは中国を論じるほど上等な人間ではないが、この著者も素人であるという自覚のもとに書いており、専門家が介在しない著述と読解ということになる。

 講義録からおこしたとあるが、さすがに組み立てはしっかりしている。まず反日運動と反中宣伝車のどちらにもみられる硬直性にふれながら、とくに反日感情は、国内問題のすり替えであり、また反日=反軍国主義というシナリオが日中の密かな合意であるという説明がある。さらに魯迅の『阿Q正伝』が、これら排他的思考とは対照的なものとして位置づけられ、被害者の自己満足を具現している阿Qという、この前近代的にも思える中国人像を媒介として、他者の精神の内側に身をねじりこみ・・・・そこから見える歪んだ世界を記述するときだけ、・・・人間は自分の幻想から逃れられる・・・といったことが結びの言葉となっている。となると教訓だけが残ったかのようだが、ぼくなりに反応できた箇所をピックアップしてみよう。

 アメリカによるアジア分断の政策があるので、儒教文化圏、あるいはアジア共同体は難しいという指摘。これはアングロ=サクソン的な分断して統治せよ、のことだから驚かない。

 H・スペンサーの進化論と、中華思想の相似性と異質性。前者の社会進化論はたいへん影響力があって、日本近代における建築進化論もその理論の受け売りである。そのことを念頭におくと、内田の分析する中華思想は地理的であり、スペンサーは時間的であったと思える。

 「廃県置藩」すなわち廃藩置県の逆で、ちいさい国(自治体)をたくさんつくって、すぐれた指導者をたくさん養成しようという発想。これは一理ある。日本では市町村合併、道州制などがスケールメリットだけを根拠にいわれているが、ヨーロッパでは基礎自治体は変えないのが普通で、そのかわり市町村連合、地方圏(州に相当)など多層化させている。つまり市町村、市町村連合、県、州、国、欧州の6層構造であり、さまざまな行政サービスをその適正なレベルで展開できるようになっている。

 日本が植民地化されなかったのは、江戸時代をとおして社会が成熟し、文化が発展し、倫理観をもった人物が多かったことをヨーロッパ人が発見し、尊重したという説明。これはよく耳にする説明で、日本人の名誉白人願望をよくあらわしている。

 毛沢東の「農村が都市を包囲する」という戦略、インテリ、文化人、テクノクラートを攻撃した文化大革命の意義付けについては、それらが中国に伝統的な「王化戦略」とは逆の発想であったので、うまくゆかなかった、現在の先富論が行き詰まると、この毛思想が復活する可能性がないとはいえない、という説明。この予言がどうなるか、ぼくにわかるはずがない。思い出すのはフランスの20年前の旅行ガイドで「人類の5人にひとりは中国農民」と書かれていたことで、こういう直裁な書き方も気に入ったが、なるほどそれがうまく集結すればすごいパワーとなったであろう。だから毛沢東の思想は、とてつもなくラディカルである。根本的に20世紀は都市の時代であり、21世紀はメトロポリスの時代である。毛沢東は「反都市革命」という、それに逆行することを試み、膨大な犠牲者を出したのであった。その思想の復活は別の悪夢であろう。

 「革命」は、日本人がrevolutionの訳語として、漢語から選んだという説明。すなわち中国に先んじて近代化した日本は、ヨーロッパ語を、日本語というより、漢語に翻訳したのであった。これは国際的な文化貢献であろうが、今日では当たり前になっていてとくに感謝されることはない。ちなみに「自然」そして「建築」も同様である。大文明の辺境にあって、それなりに貢献していたのであった。

 台湾の植民地政策は、派遣された日本人官僚の手腕によるところが大きい、という説明。つまり後藤新平を評価しようとしている。後藤評価は最近高まっているから、このブログでもそのうちふれるかもしれない。

 などなど細やかな点は多いのだが、ぼくがいちばん興味をもったのは、内田樹その人の個人的トラウマである。彼の父親の中国体験は伝聞であるが、文化大革命をめぐる日本の文化人たちのバイアスがかかりすぎた評価と、1972年のニクソン訪中(いわゆる頭越し外交)と日中国交回復である。これはアメリカと日本の外交戦争でもあった。そしてアメリカを出し抜いた田中角栄は、手痛いプレゼントをもらうことになる(ロッキード事件)。内田の、いかに中国をくもりのない目で見るか、そしてアメリカのプレゼンスをどうさばくか、という2大視点は、まさにこれら70年前後の緊迫した体験から生まれているように思える。そして日中共同宣言における「日本軍国主義」と「日本人民」を区別するという周恩来のレトリック。ぼくもそのときは、仲直りするためには言い方を考えるものだと思った。しかし問題点としては、日本人民を切り離した反日運動が際限なくつづくという点であろう。また「日本人民」などというものは「民衆」と同様、むしろ理念的なものである。しかしそれで収まっているという大人の対応をすべきであろうか。

 さて若干の感慨を追加すると、日本(人)の大陸トラウマはいつまで続くのだろうという予測である。ぼくが小学生のころは、日清戦争と日露戦争の勝利が日本人の成功体験としていきていて、太平洋戦争の負の部分をいくらか補っていた。残念ながら反省していたばかりではない。内田のふたりの父親は中国を尊敬していたとあるが、実際は、日本人の体験は多様であると思う。ぼくの家系にも、大陸での軍事体験で廃人になったり、戦死したものもいた。人民裁判で処刑された人もおおかったようだ。「貝になりたい」という気持ちは多くのひとびとが共有していた。ぼく自身はまったく傷つくことではないが、親の世代はそれらを語ることができない。語れないどころか、記憶を完全に消去したのである。だから大陸に興味のもてないぼくのような人格ができるのである。ただ戦前、外国といえばアジアであって、大学生は卒業旅行に中国にわたったし、今でも巨匠建築家は大陸や半島で生まれた人が多い。ぼくの世代は戦後の鎖国世代といえるであろう。でも、大陸トラウマは放っておけばいいのであろう。

 ・・・というわけで中国についてこんなにたくさん書けるなどと思ってもみなかった。素人だからもう書きませんけどね。

|

« 東方旅行(015)1987年12月14日(月)マラケシュ | トップページ | 東方旅行(016)1987年12月15日(火)ワルザザート、アイト・ベンハドゥ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/424713/7871057

この記事へのトラックバック一覧です: 【書評】内田樹『街場の中国論』ミシマ社2007/ぼくが中国を論じるなんて考えもしなかったけれど・・:

» るるぶトラベル旅行 [旅行トラベルレジャーランド]
るるぶではいろいろなプランのご旅行がございます。こだわりの温泉・露天風呂ご紹介プラン秘湯・名湯・露天風呂付客室など、宿・ホテルが自慢のお風呂をご紹介!内容が一目でわかるので比較が簡単!極上の休日を楽しみませんか?当日予約ができる宿当日予約は、ネットが便利!素泊まりプラン・1泊朝食付プランは夜19:00以降でも予約可能。1泊2食付プランは昼11:00以降でも予約できます。カンヌでデビューしたカクテル付レディースプラン今年のカンヌ国際映画祭でデビューした金粉が舞うカクテル「コアン...... [続きを読む]

受信: 2007.09.20 00:44

« 東方旅行(015)1987年12月14日(月)マラケシュ | トップページ | 東方旅行(016)1987年12月15日(火)ワルザザート、アイト・ベンハドゥ »