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2007.09.03

【書評】和田幸信『フランスの景観を読む』鹿島出版会2007/「公益」むしろ「美による統治」?

 フランスの景観制度・行政にかんする研究の第一人者である著者の近著である。

 ほぼ1世紀にわたる、歴史的建造物、歴史的街区、地域保全、景観計画のながれがよく整理して平明に書かれており、この分野としては教科書的なものである。この著はとくに、看板、広告についてたくさんの頁がさかれており、それが景観整備の重要項目となっている、という位置づけである。まさに表題どおりであくまで「景観」なのである。

欲をいえば、都市計画と都市保全という日本では矛盾するがフランスでは矛盾しない制度のなかで、フランスでは、地区にすでに形成された社会集団、商工業、コミュニティを保全しようという政策がすくなくとも1977年以降、明確にとられている、といったことも述べられてよかった。「景観」がテーマだからといわれればそれまでだが、中身の話もあってもよかったかもしれない。

 本書は制度の紹介以外に、重要なふたつの視点を提供している。

ひとつは建築や景観が「公益」として位置づけられていると指摘している点である。そして公益である以上、国家が最終的に責任をもつということである。歴史的街区は国家が指定し、地方自治体が管理するものである。これは19世紀に土地収用法が段階的に整備されたさい、私権と公益の境界をどこにおくかという形で検討されたことを思い出す。そして日本の場合、景観問題はときには私権と私権の闘いの様相を呈していたことを思い出すと、いかに状況がことなるかがわかる。評者流にいいかえればフランスでは、国家が「美による統治」をしている、ということになる。日本は景観法によって地方自治体が美による規制をできるようになったということであろうか。これは伝統というより、体制の違いである。しかしその違いを明快にした点で、ひとつの出発点を提供するものといえよう。

もうひとつは、どの専門家も指摘することだが、法定都市計画のなかにすでに景観を規制するシステムがある、ということは法定都市計画そのものがある景観のイメージを前提に組み立てられているのではないか、ということである。日本にように、美が都市計画を外側から規制するのでは、やはり限界があるであろう。都市計画の枠組みのなかに、景観や美を整備してゆく仕組みをつくる、これはある一派の都市計画家たちの悲願であるようだ。しかし国家が「美による統治」に方向転換でもしないかぎり、難しいであろう。

このよくできた著作を読了して評者が感じるのはやはり文化に戻るということである。法制度が景観をつくってゆく、だから都市計画の専門家は制度学、行政学として景観を研究してきた。制度、行政はある意味で手法として、方法論として、日本にも適応可能なことが期待されるからである。そうしたスタディはすべてに目をとおせないほど充実している。しかしそうした法制度そのものは、背景の文化が生み出したものである。その文化に肉薄することが重要だ。著者は、「公益」の概念などを紹介しながら、そのことの重要性にじゅうぶん気がついている。しかし制度を生み出した文化を理解するためには、評者としては、前述にように「公益」はまさにそのとおりであるが、一歩進んで確固たる国家意志による「美による統治」あるいは「文化による統治」というのがなんであったか、なんであるのか、といった問題設定がより適切であろう。そう考えれば、当然のこと、すくなくとも17世紀から21世紀まで、ほぼ一本の線がひけるような気がする。

フランスの景観を読む―保存と規制の現代都市計画 Book フランスの景観を読む―保存と規制の現代都市計画

著者:和田 幸信
販売元:鹿島出版会
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