【書評】三沢博昭・川上秀人他『大いなる遺産 長崎の教会』智書房2000/本書そのものがすでに大いなる遺産である
長崎県では2001年いらい、長崎総合科学大学の林一馬教授らを中心に、長崎にある教会堂を世界遺産に登録しようという運動が展開されている。そして「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」がこのほど暫定リストにはいったという。この活動も、本書に集結した地域の人々の活動の集積があったからであろう。
著者であるが、写真家の三沢博昭は土木建造物を撮影する専門家であり、川上秀人教授は長年建築史の立場から長崎の教会を研究してきたし、結城了悟はイエズス会士であり二六聖人記念館館長であり、亀井信雄は文化庁建造物課であり、柿森和年はかくれキリシタンにして長崎市役所文化財課である。関係者の総力を結集した一冊であることを示している。
大いなる遺産長崎の教会 改訂版―三沢博昭写真集 販売元:智書房 |
とくに興味をもった点を箇条書きにしてみる。
1853年、東洋布教の拠点を香港に置いたフランスのパリ外国宣教会が大浦居留地に本格的な教会堂・大浦天主堂(国宝)を建設しはじめたとある。つまり布教主体の変化である。ザビエル以来、日本を担当したのはポルトガルを後ろ盾としてゴアを拠点としたイエズス会であった。ところが明治以降は、香港を拠点とするフランスの教団であった。
川上秀人教授は1971年より県に現存していた164棟の教会堂を実測調査し、その平面図を作成したという悉皆調査がなされた点である。長崎の教会群は国宝になり、やがては世界遺産にもなるかもしれないが、しかし遺産というものは現物の教会堂そのものだけではないということである。フランスの文化財の考え方からすれば、文化財のリスト、それらを情報化したものは、あるいは追記されてゆく文化的価値判断もまた、すでに当の文化財の価値の一部を構成している。であるなら川上教授の実測図面など情報化したものはすべて遺産の一部と考えていいはずである。一般的に、建築物の歴史的、文化的な価値判断は建築史家などがおこなっている。しかしそれを活用しようという後進の人びとは、そうした価値判断が所与の当たり前のものとして軽視しがちである。そうした方向にながされると、文化財登録件数は増えるのと反比例して、文化そのものは衰退するであろうことが容易に予測されるからである。
棟梁建築家鉄川与助の存在。宣教師の指導をうけつつ、多数の教会堂を建設した彼は、建築学会の名誉会員でもあった。
川上教授による教会堂分析のためのタイポロジー。構造(木造、レンガ造、RC造)、貫、内部立面構成、などにわたって長年の充実した研究の成果が示されている。
さてぼくは川上教授とは同業の建築史の専門家である。したがってその偉大な成果をあえて批判する愚挙をお許しねがいたい。つまり教授の分析そのものは明確な基準にもとづくゆるぎないものであるが、それでも西洋的な様式の概念からは遠いのであり、それですぐれてヨーロッパ的な建築類型である教会堂を分析できるのであろうか、という不満である。すなわちゴシック様式を例にとってみれば、この様式の3大クライテリアは、尖頭アーチ、リブ・ボールト、フライングバットレスである。しかしこの3点を満たしていればゴシックかというと、そうではなく、それらがひとつの(リーグル、ヴェルフリン的な意味での)芸術意志によりひとつの様式を構成しなければならないのである。そしていくつかの基準をみたしつつ、それがひとつの様式として昇華されているかどうか、というのは機械的判断ではなくまさに高度な芸術的・様式的な判断である。そして川上教授の分析はひとつひとつの基準は厳密にあつかいながら、それらを統合しているはずの芸術意志はなんであったか、という視点が欠けているのである。おそらくそれは日本近代を専門とする建築史の研究者には一般的に不足しているものである。
おそらく建築文化財が社会的に認知され広がりを見せるなかで、ユネスコ世界文化遺産的な枠組みのなかで、明快ないくつかの基準を満たせば遺産と認定されるといった、きわめて機械的な思考様式が広がりつつある。それにたいし建築史は、様式判定の下請け業者であってはならない。その総合判断ができるのはこれからも建築史の専門家なのである。そうした意味で、様式判断の総合性というあるべき姿に立ち戻ることが必要なのである。
もうひとつの不満な点は、ド・ロ神父など宣教師についても詳細に研究されているようであるが、建築家として施主としての宣教師の分析としてはまだ物足りない点である。つまりここで問題とされているパリ外国宣教会にしろ、かつてのイエズス会にしろ、もっとまえのシトー会にしろ、およそ教団というものはコアたる教義はもちろん、宗教芸術や宗教建築についてもしっかりした方針をもつのが当たり前であって、それは宣教師個人の恣意でもなく、なんとなく時代の流れに沿うのでもない。きわめて意図的な建築政策がないのがむしろ不思議なのである。それを考える場合、パリ外国宣教会とカトリックとの関係、あるいはフランス国内問題として第三共和制における社会の世俗化の流れ、そして20世紀初頭の決定的な政教分離といったことが、日本においてどのような光と影を与えていたか、などなど、まさに世界戦略的な視点からすれば、長崎の教会は、日本の一地域のしんみりした閉鎖的世界ではなく、世界と連動したダイナミックな一部として見ることができよう。そうしたときに真の意味での「世界遺産」となることができよう。
さてぼくは若輩者として偉大なる川上教授を批判しすぎたかもしれない。しかし川上教授のご研究は、本書をもってしてもまだまだ過小評価されていると判断する。上にのべたように、文化財ということを考えるとき、教授の研究や情報化そのものがすでに文化財の一部を構成していると考えるべきなのであって、それを遺産として引き継ぐということは、それを神格化することではなく、その労作を基盤としてそこからさらに発展させることであろう、と考えるのである。
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