東方旅行(031)1987年12月30日(水)ドゥガ(チュニジア)/地中海文明の重層性をあらわす好例として
地中海的なるものといえば、ギリシアよりイタリアより、むしろカルタゴであり、そしてドゥガといった遺跡ではないか。つまり多民族の興亡すなわち支配と被支配が重層的に展開された地中海を象徴するのは、まさにこうした土着のもののうえ に、フェニキア、ギリシア、ローマがつぎつぎと上書きされた遺跡である。ひとつの強い普遍的な文明の痕跡しかないものよりも解読の喜びは大きい。
【プチ歴史】前11世紀ごろから北アフリカ圏には先住民族の進出が見られる。まずフェニキア人で、前1101年?にチュニジアにウティカを建設した。彼らは西リビアからスペインを目指した。前6~8世紀にアッシリアの攻勢のまえに勢力は衰えるが、カルタゴを中心に発展をとげた。彼らはあまり建築=遺跡を残していない。
つぎにギリシア人。前8世紀ごろから地中海に進出。リビア、イタリア南部、シチリア島、南フランスに植民したのは周知のとおり。なかでもパエストゥムは有名。
そしてローマ人。
こうした支配者にたいし、リビア人やベルベル人など北アフリカ西方の土着民族がいた。彼らはドルメンやストーンサークルなどの霊廟建築を残している。カルタゴの文化にはこうした土着民のそれが反映されている。「ピュニック(フェニキア風)」と呼ばれる混合的な文化を形成するにいたった。それはローマ時代における地域性としてのこり、さらにはイスラム建築への流れさえ指摘されている。1997:ユネスコ世界遺産
【遺跡】カルタゴ、ヌミディア、ローマ、ビザンチンの4文明が重層した、そしてきわめて保存状態のよい都市。これはそのうえに近代都市が建設されなかったことによる。丘の上に離散的に建設された都市。ピクチャレスクな古代都市。カピトリウムに神殿が建設され、フォーラムと広場を見下ろしている。公衆浴場があった。給水はどうしているのか疑問であったが、丘の上に巨大な貯水場2基があった。
リピコベルベールの霊廟(リビコピュニックとして紹介している文献もある。つまり土着=ベルベルとするかフェニキアとするかの違い)。ヌミディア人王室の数少ない遺構のひとつ。前2世紀。1842年、イギリス人領事トマス・リードがリビア語とフェニキア語の碑文を取り壊した。20世紀初頭修理。碑文は大英博物館にある。それによるとこの記念碑は、パルの子、イエプマタトの子、アテパンのために、アプダシュタルトの子アバリシュが建築家として、助手ザマルとマンギらとともに、建設した。頂上おかれたライオンは太陽、ピラミッド四隅のサイレンは空気の精、の象徴であり、それらは天上界を意味し、死者が騎士に導かれ、戦車に乗って天井のあの世に出発する、ということらしい。様式的にはエジプト、古拙期、ヘレニズム期の要素が融合されたカルタゴ圏における地中海建築の傑作とされる。
カピトリウム(カピトル神殿)。166-169年。ローマの三大守護神ユピテル、ユーノー、ミネルヴァに捧げられた神殿。マルクス・アウレリウスとルキウス・ヴェルスを記念して建設された。北アフリカに典型的な神殿形式とされ、高いポディウム、前柱形式、ほぼ正方形平面のケラがそうであるという。「アフリカ積み」の壁。すなわち切石と小割石を組み合わせ、一見軸組構造と充填材の組み合わせのような形式。また近くにはフォーラムと公衆浴場があった。
ユーノー神殿。カルタゴの守護女神Tanitの後継者としてのユーノーに捧げられた神殿。神域の囲壁の一部は残っている。この壁は3世紀のもので、女神のシンボル三日月の形をしていた。
劇場。ローマ時代のもの。168-169年に建設。ローマ領アフリカにあるものとしては最も保存状態がいい。ドゥガの人口5000人にたいして、3500人を収容。
ケレスティス神殿。
その他。
【移動】南バスターミナルにゆく。Teboursouk行きは北駅だという。バスとタクシーを乗り継ぐ。北バスターミナルにて。Douga行き10時発12:15着、2,500TUD。Dougga市から遺跡まで4KMを歩く。Teboursoukまで5km、ヒッチハイク。運転手はとても親切。Teboursoukからティニスまでバス17:00発、2,150TUD。
【観光客】イタリア人ツアー。アメリカ人家族。フランス人家族。
【現地人】チュニジア人青年につかまる。ひとりは文通を望み、住所を書かされる(結局、便りはこなかった)。もうひとりは政治と宗教にかんする質問。ヨーロッパ人はなんのためにチュニジアに来るのかあきらかにしなお。ヨーロッパ人がコーランを読めば目覚めるだろう。君の宗教は?日本人はどのくらい勤勉か?アラブ語は難しい。アラブをどう思うか?・・・イスラムは諸宗教の統合であり、宗教の最終形態なのだ・・・
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