東方旅行(030)1987年12月29日(火)スーサ(チュニジア)
東方旅行(030)1987年12月29日(火)スーサSousse:【移動】乗合タクシーでチュニス→スーサ、2時間、3.300TUD。【食事】チキン半分5.300TUDとは高い。【帰路】スーサからチュニスまで鉄道。2時間。2.800TUD。チュニスに戻る電車の沿線は住宅街。独立住宅、連続住宅は、RC軸組に中空レンガの補填。表面は白塗り。イスラム風のアーチが装飾的。それを別にすればヴォキャブラリーは冗長ではなく、全体としては清潔。建物の規模もまあまあ。アルジェリアなどとくらべるとはるかに豊か。集合住宅も清潔なデザイン。
市壁。アグラブ朝の時代859年、ビザンチンの要塞を取り囲むように建設。1205年、修復。1943年、空襲による爆撃。殉教者広場となる。
大モスク。9世紀に建立。のちに改築。中庭三方の列柱廊はボールト天井、11世紀。礼拝堂に面するギャラリーは1675年。礼拝堂は6スパン、13廊式。要塞都市のなかのモスクである。中庭周囲の回廊部分の屋上も、城壁のようになっており、外側には銃眼飾りがつけられ、またパトロールもできるようになっている。
Ribat。8世紀。最初は防御、巡礼を受け入れるため建物。のちには純粋宗教施設となる。
スーク。円筒ヴォールトがかかる。カイルーワンのものに似ている。
その他。町並みなど。
スーサ小史。
紀元前9世紀:フェニキア人が都市を建設。
前6世紀~:カルタゴと同盟関係。
前310:シラクーサに占拠される。
前202:大スキピオに敗北。Hadrumete regional Romeとなりハドルメントゥム Hadrumetumという名称。
437:ヴァンダル人の浸入。
535:ユスティニアヌス帝、港を再整備。「ユスティニアノポリス」と改称。
7世紀:アラブ人到来。「スーサ」と改称。
9世紀:アグラブ朝。シチリア征服のためのアラブの拠点となる。
12世紀:ノルマン人の占領。
1537、1574:スペイン人の占領。
1574-1881:オスマン・トルコの支配。
18世紀:フランス軍(1770)、ヴェネツィア軍(1784,1786)の砲撃。
1881~:フランスの保護領。「スース」とフランス語風に改称。
1884:新しい港の建設。スース市政府の創設。
1988:ユネスコ世界文化遺産
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