東方旅行(022)1987年12月21日(月)アルジェ3日目
東方旅行(022)1987年12月21日(月)Alger3日目。【バス】batna行きのバスの時間を調べる。【大使館】日本大使館とシリア大使館は近かった。【記念碑】シリア大使館に向かう道のロータリーには、柱が何本も空にむかうようなモニュメントがあった。モダン彫刻風。(写真なし)
サン・シャルル教会。ロマネスク様式。フランスでロマネスク・リバイバルがおこったのと同時期である。正面は大アーチが、バラ窓らきしもののフレームとなっている。正面右の正方形平面の塔であるが、パラペットはイスラム風。後部のボリュームは中南仏的な放射状祭室の構成となっている。ここだけみればポワトゥ地方的。なお柱頭の人物頭像が削られており、独立ののちに偶像崇拝を好まないイスラム教徒がそうしたことが推定される。建築家名などを書いたパネルが、いちど覆われ、さらに覆いがはがされていた。解読を試みる。 Ste Roulin - Architecte、L T(?)ELMI-Ent(entrepreneur?)、V tor ZAN-SCR(sculpteur?)、1894-1896などが解読できる。この時期はフランスでも建築家名をファサードに彫ることができた。
サクレ・クール教会。閉館。これはどうみても60年代のシェル構造である。しかし当時は独立したのだから、50年代かもしれない。街路のつきあたりにあるなど、フランス的。
バルドBardo博物館。内部は、壁からはなれて2スパン×2スパン、計8本のコラムがその上のドームを支えていた。アルコーブはキリスト教の修道院風でもある。さらに持ち送りの様式は、カスバのものをリバイバルとして踏襲している。そういう意味ではリージナリズム的であるが、左右対称のデザインはやはりフランス仕込みである。
コル風の集合住宅。そのほかの近代建築。
教会のようなモスク。ひょっとしてモスク風の教会か。植民地時代の宗教政策は研究すると面白いかのしれない。1904年からは政教分離なので、基本的に20世紀には国家は介入しなかったはずである。もし建築デザイン上の干渉をするとすれば19世紀である。
【乾電池】Nikon FE2を使っていたが、測光用の乾電池が切れかけていた。日本に頼むしかない。
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