東方旅行(017)1987年12月16日(水)カスバ街道をバスでひた走る
東方旅行(017)1987年12月16日(水)(*翌17日もひた走ったのだが、16日分としてまとめる)。カスバ街道:Ouarzazate→Tinrhir→ArRachidia。【両替】40$(TC)→ cour 7.90 316.00DH, commission 10,00DH, total 306,00DH, Banque populaire a Ourzazate。【移動】バス、Ouarzazate Thigehrir 27,50DH, billet 11h, depart 12h、Thigehrir 16h30 ArRachidia 19h30 17,50DH。【宿泊】Hotel de la Renaissance、シングル、シャワーなし、30DH。【食事】ホテル1階のレストラン。タジン。20DH。
【旅の情報】Ouarzazateにて日本人にあう。彼によればFiguig-BeuiOnifのルートは今は難しく、むしろOujdaからのほうが容易であるとのこと。いってみなければわからないが。
【建築】建築について観察。いずこも階段状のパラペット=銃眼飾り。構造は、RCで軸組をつくり、現場で製造したブロックで壁をうめてゆく。そのほか土壁つくり、石造で土を塗ったもの、など。
【カスバ街道】「カスバ街道をバスでひた走る」とはロマンティックだが、ローカルなおじさんたちしか乗らない、生活バスである。サスペンションはひどい(あとでインドはもっとひどいことを体験で知った)。座席もクッションなどない。何十年も使い込んだバスの車内は独特に香りに満ちている。路線バスには特有の降り方がある。まず町のバス停以外に、バス停はない。都市間は砂漠である。おじさんたちは、降りたいところが近づくと、手をたたく、大声で叫ぶ、手持ちのスパナで車内の金属部分をたたく、などして合図する。バスが止まると、降りて歩いて去ってゆく。どこへ?砂漠のなかへ。はるか遠方の山しか見えない、砂漠にむかっておじさんはトコトコ歩いてゆく。地底住居があるらしい、ということをあとで教えてもらった。
街道上の町は、砂漠のなかにある。サハラやエジプトの砂漠ほどではないが、砂漠の気候は独特である。日なたにいると目眩がしそうである。しかしそのすぐ隣であっても、日陰では手がかじかみそうである。人びとは日なたでも、セーターやコートを着ている。つまり日本人的な皮膚感覚と視覚がまったく一致しないので、気が狂いそうである。
カスバなのかオアシスなのか。
砂漠といってもサハラやエジプトとは違う。
これはあきらかにカスバ風に建設されたリゾートホテルである。汚染されていない観光地などない。観光そのものが汚染なのである。
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