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2007.09.09

東方旅行(015)1987年12月14日(月)マラケシュ

015)1987年12月14日(月)マラケシュ【移動】8:45ラバト発、12:40マラケシュ着。350km、76,50DH。美しい風景。石と土の建物。【宿泊】Hotel Franco-Belge, 62 bld.Zektouri、50DH。GDR推薦のホテル。ダブルをひとりで使用。中庭に面しており、清潔。【下調べ】Marrakechから Ouazazateまで34,20DH。5時30分発。【食事】Restaurant El Fath、Jame El Fna広場に面している。定食30DH。2Fテラスで食す。遠くの山は雪化粧。【両替】Banque Commerciale du Maroc、アルヘシラスの両替はまったく率が悪いことを発見。

【建築見学】Koutoubiyya Mosquee、高さ77メートルの塔が必見とのことだが面白くない。死者の集会場であるとされるFna広場も、おもしろさなし。

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【暴言時間がなくほかの建物は見なかった。なんという旅行。メディナよりも新都市のほうが居心地がいいのは、ヨーロッパに染まりすぎた証しである。・・・今のところコルドバ、グラナダ以外はまったく興味なし。モロッコのイスラム建築はたんなる亜流ではないか。ラバトのモスクはすこしましであっただろうが。・・・イスラム建築はある時期から展開を見せなくなったのはなぜか?形式が完成され、保守化し、それ以上は発展できなくなった。空間よりも装飾に偏りすぎたため?文化として は閉じて完結したものだったのではないか。

  イスラム文明は世界性と広がりがありながら、中世においてはヨーロッパよりもはるかに優位にあった。それにたいしヨーロッパは開かれた文明であり、つねに異質なものを受け入れてきた。思った以上に柔軟なのである。モンテスキュー『ペルシャ人の手紙』、カトルメール・ド・カンシーの建築辞典における東方建築の項。ヨーロッパは均質ではなく、本質的に混成である。だからここを超えようとして別のものをもってこようと、イスラムなり土俗をもってきても無駄なのである。それらはすでに吸収され、超えられたのである。

 植民地であった国々では東洋対西洋という考え方にとらわれている人が多い。もちろん日本以上である。ただ近代の超克的な発想は、いわば理念的、原理主義的であって、やはり日本的現象といえるのではないか。植民地のそれはもっと身体的、具体的、である。他者が明快である。

 モロッコでは一人旅が難しい。つねに自称ガイドがやってきて、案内しようとするからである。写真をとるひまも、ゆっくり建築を眺める時間も与えてくれない。発想の逆転で、ガイドとして雇ってあげると、つねに急ぎ足で変なところに連れて行こうとする。モスクで写真をとっていても10分も待ってくれない。彼らにとってはガイド料よりも土産屋で買い物をさせてマージンをとることが重要だ。絨緞屋どころか賭博屋にまでつれていかれた。さすがにすぐ逃げたが。・・・モロッコ商法なる言葉はないであろうが、基本的には売り手と買い手の騙しあいというゲームである。発想が重商主義的なのである。近代の商法は、事前に買い手の欲望をいかに高めておくか、そのために商品情報を流し、広告をし、売り場ではディスプレーに凝るといった手法がとられる。これもいかに騙すかといったことである。売り手がいかにもそうするかどうかの違いなのだが。

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