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2007.08.04

ジョルジョーネ《ラ・テンペスタ》に描かれた円柱

ケネス・クラーク『風景画論』でこの絵画に触れているが、いわばおそらくポリフェロの奇想詩に着想をえた無主題の風景画であって、賢明な批評家ならなにも言わないことだと警告している。だからアカデミア美術館で本物を見るためにはとくに予習はしなかった(2006年7月)。

しかし人物も建物も意味があって存在し描かれているようだ。漠然と、「不安」がテーマであることは知っていた。周知のように、遠くに稲妻が空を切り裂いている状況で、左の男性も、右の女性も、おなじ一枚の絵画のなかにありながら、おたがいに無関係、無交渉のような位置づけられ方をしている。あたかも「不安」は共有されえない感情であるかのように。そして女性の眼差しは訴えるように鑑賞者に向けられる。これは語りかける言葉があるうえでの訴えかけではなく、「不安」が鑑賞者とも共有できないような、自分一人が絵画のなかに閉じこめられていることそのものを訴えているような眼差しのように感じられる。

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セティス『絵画の発明』(原著1978、翻訳2002晶文社)のなかで「図像定型」すなわち類似した図像の系譜のなかに位置づけることでその主題を明らかにしようとしている。G.A.アマーデオの浮彫《神によるアダムとエヴァの懲罰》では、左にアダム、右に子を抱くエヴァ、そして中央に彼らに警告を与える神が描かれているが、この擬人化された神を稲妻におきかえれば、ほぼ《ラ・テンペスタ》の構図になる。そして稲妻は、古代においてはユピテルの、ルネサンス以降においてはキリスト教の神、あるいはその神の声を意味する。これらから彼の結論は、《ラ・テンペスタ》は原罪を背負ってしまったアダムとエヴァの、死に向かう未来、その運命の自覚と不安を描いているというものである。エヴァに抱かされ子供カインでさえ、本人は無自覚であるとはいえ、やがて兄弟殺しの罪を背負う運命にある。

ここで建築として興味深いのは、折れた円柱という廃墟のエンブレムである。ここでもセティスは図像定型の豊かな系譜を披露して読者を納得させるの。まずソロモン神殿のなかに折れた円柱にまつわる物語が紹介される。カール・ルートヴィヒの『キリスト教の象徴』で、尊大なものが、精神的な強さが、たとえば稲妻に直撃され、挫け、挫折する、それが円柱に託される。雷に打たれてまっぷたつに折れる円柱は、挫折、死をあらわす。そして彼はさまざまな類例を引用しつつ、「死によって絶たれた生命」、ポリフィロの愛のために死を選んだ者たちが眠る墓地、異教徒の死、個人の死、「原罪」にたいする懲罰、などと円柱のさまざまな意味をつむいでゆく。ここでも結論は「二人に挟まれた二基の折れた円柱は、人間の生の筋書きのなか----労働の苦労と出産の苦痛を伴って----入り込んでしまった「死」を表すエンブレム」なのである。

 柱が二本なのはアダムとエヴァのふたりという意味なのか、二本の高さがすこし異なっているのは男女を区別したのか、というところまでは論述していない。白い色であることが、エヴァが肩にかけている白い布と、アダムのシャツの白を結びつけている。構図としては、近景にはふたり、中景には柱=死、遠景には無人のイエルサレムとしてのエデンである。ここは廃墟ではない。ただ無人である。そしてエデンと彼らの間にあるのが、廃墟、折れた円柱、原罪による死、なのである。

  ここで気づくのは、この円柱は古典主義のオーダーとしてはスタイルのないもので、このような簡素な柱基は建築とはいえない。しかしセルリオが舞台の書割として区別した3種類のどれかをつよく意識しているとも思えない。つまりジョルジョーネの建築的教養は、建築家たちのそれとはまったく次元が違うようだ。

 ジュリオ・ロマーノが建設した《パラッツォ・デル・テ》にも、崩壊する円柱の下敷きになろうとする巨人族の壁画(1530年代)があり、中庭には切断されたアーキトレーブと、それにより下のずれたトライグリフがみられる。それらは建築オーダーの意味を知っているがゆえに可能な、意味の転倒がある。同様な転倒は、庭園の四阿にもしばしば見られる。しかしそれらは例外だから歴史に残ったのであって、転倒された意味というより、意味の転倒の行為そのものにまさに意味があるようなものだ。

《ラ・テンペスタ》の壊れた円柱にはそうした転倒の意識はないように思える。挫折、原罪、死をきわめてストレートに意味している。

 070804_2 それにたいしてティツィアーノ《カール5世》(1548の背後に描かれている円柱は、オナイアンズ『建築オーダーの意味』によれば、「力強さ」「光沢」「高さ」を表している。安定をもたらす堅固な基壇を背景としている。私見によれば、下部しか描かれていないとはいえ当然折れていない力強いコラムであり、その柱基はきわめてオーソドックスなアッティカ式である。フルーティングがないのでトスカナ式ということなるが、実際にある柱の描写はないので、決められない。しかしすくなくともティツィアーノは意図して、認識して、アッティカ式を選択したと思いたい。

 ジョルジョーネにもどると、彼の建築理解はまだ専門家的レベルではなかった。《ラ・テンペスタ》の年代も専門家は決めかねているようだが、155-07年頃とするのが一般的である。おなじヴェネツィアを活躍の拠点としてセルリオが建築書を出版しはじめたのが1537年であるから、すくなくともセルリオをとおして知識を得ることはできなかった(ティツィアーノの《カール5世》は1548だから可能であった)。しかし建築の知は、当時にあってはきわめてフィレンツェ的、ローマ的でもあった。だとすれば円柱の擬人化についての理解は、図像的、絵画的、象徴主義的なレベルがまずあって、それとは別にウィトルウィウス的、アルベルティ的、ブラマンテ的なレベルがあったと考えるべきであろうか。

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