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2007.08.11

藤森照信論(6)迂回:カント、ダーウィン、ヴィオレ=ル=デュク、堀口捨己

 日本が猛暑であるなか、ぼくの議論はあまりに迂回しすぎるのかもしれない。しかし始めたものはそれなりに終わらせなければならない。なので、ぼくとしては藤森照信の赤派/白派という二元論を20世紀的枠組みに限定するのではなく、近代文明の根源に遡及させるために生気論/機械論という二元論と重ね合わせてみたいのであった。さらなる迂回として様式概念の検討をする。

たとえば19世紀折衷主義は、理想の時代を、中世なり古代ギリシアに定めた。目的をはっきりさせた。ゴシック様式、ルネサンス様式のなんたるかは研究によってはっきりした。その様式を目標として、現代の建築を設計する。これは目的論的であり生気論的である。しかし20世紀の近代建築運動は機械論的であった。アルゴリズム、プロセスが正しければ、それに身をゆだねればいいという考え方である。ただ必要のみを導きとして、機能的に設計するのがモダニズムというものであった。

しかしこの様式という概念もダブルスタンダードで解釈されるようになる。まずヴィオレ=ル=デュクは「定冠詞複数の様式」と「定冠詞単数の様式」を区別した。前者は歴史上のギリシア、ビザンチン、ロマネスクといった、相互に弁別的な様式であり、建築家はそれらのなかからあるものを選択することができる。これにたいし後者は、さまざまな要素からなる建築がひとつの統一された有機的全体としてなりたっているか、ということであって、それが成り立ち様式を有している建築と、それが性質していない様式が確立されていない建築が区別されるのであった。

ヴィオレ=ル=デュクの議論をぼくなりに延長すると、「定冠詞複数の様式」とは事前にカタログのように準備されたものであるから、目的論的であるといえる。いっぽう「定冠詞単数の様式」とは、建築ができあがってから、そうした統一性があるかどうか判断しなければならない。だとしたらこれは事後的に成立する様式である。

ダーウィンは、突然変異と適者生存、きままにおこる誤記、変異が、そののち環境に合致するかどうかで生き残るかそうでないかが決まり、こうした生き残った変異の総体が、進化である。すなわち数十万年のちの進化した種を設計図に書いてそれを忠実に遂行しよう意志はどこにもない。だからこれは機械論的である。しかしその結果、目的がさもあったかのような現象が生じる。それが進化である。

この理論は建築にも応用された。建築は、無名の職人が、代々、諸条件と機能にしたがいながらすこしずつ改良を加えた結果、事後的に、結果として様式を生むのである。このとき、建築に応用されたこの進化論は、その無名の職人たちが事前に様式のイメージを所有していたという前提はとらない。これはある意味で当たり前である。なぜなら建築のさまざまな様式は、19世紀の建築史研究の結果として確立されたものであって、その建築を製作したひとびとは19世紀の人びとの歴史観を先取りして所有していたのではない。

堀口捨己は「建築は事物的な要求があって工学技術が高められた感情の裏付けをもって解決し充たすところに生ずると思うのであるから、建築設計の前には様式はないのである。しかし建築の後にその形は何らかの様式をもつのであろう。それゆえにそれは『様式なき様式』である。」(『家と庭の空間構成』「様式なき様式」11ページ)と書いている。様式はあくまで事後的に発生する。それは人為ではない。いや人為の結果が、人為を超えるという奇跡なのである。イデアとその模倣、ではない。もういちどいいかえると、まず建築の設計は、合理的な機械論的なプロセスである。そこに「高められた感情の裏付け」とあり、堀口がどういう意味を込めたとぼくが解釈するかは今のところ保留としたい(まわりくどい言い方である。ようするにわからない。既存の説明に納得できない)。しかしひとたび建築が立ち上がると、様式をもつのである。つまり様式は目的ではなく、結果である。しかしもし様式とは、さまざまな物質と形態とデザインの総合であり、その有機的統一であるとするならば、結果としてのみ統一が確保される、ということになる。だからこれは奇跡である。

 こうしてみるとヴィオレ=ル=デュク、ダーウィン理論の建築版、堀口捨己の緒論はカントの「目的なき合目的性」にきわめて隣接しているといえよう。つまり目的論(生気論)と機械論は、厳密には、どちらも単独では成立しないのである。

 ここで仮説をいえば、近代建築とは生気論そのものでもなく、機械論そのものでもなく、まさに生気論/機械論の矛盾の統一なのではないか?機能主義イデオロギーによれば、いっさいの恣意性(作為!)を排して、ただひたすらに必要性を追求すると、建築の美が生まれる。しかし実際は、建築のプログラムとして、国家的偉容、万人のためのハウジング、衛生健康、文化の普及といった政策的目標はつねに明確であった。しかし建築家たちはその手続きにおいて、発展したテクノロジーに身をゆだね、あえて恣意性を排除することで、時代精神という背景が憑依することを期待する。すなわち主体が機械的であれば、それだけ超越的な目的がとりつきやすい。むしろ憑依の基体であろうとするための恣意性の排除なのである。だからこれを別の言葉でいえば、二元論の克服なのである。その克服こそが近代のプロジェクトであったとしたら・・・(つづく)

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» ダーウィンの足跡を訪ねて [大学生のブログ]
いま「ダーウィンの足跡を訪ねて」という本を読んでいます。ダーウィンの家はとてもお金持ちだったそうです。お金持ちであるということは勉強なんかをする上で、大変な利点だったと思います。いまでもお金持ちというと大変な利点ですが、このころだともっとすごかったと思います。ダーウィンは学校なんかでいろんな偉人との出会いがあったそうですが、若い頃のダーウィンがその人たちから受けた影響はとんでもなかったと思います。この本、まだ最初の方しか読んでいませんが、もうすでにエジンバラに行ってみたいと思...... [続きを読む]

受信: 2007.08.19 21:09

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