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2007.08.06

1976年5月:学園祭

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これは1976年の学園祭でつくったものである。ようするになにかというと、建築学科の校舎のために、いつもとは違うアプローチを準備しよう、というただそれだけのことであった。当時、建築では動き、軽さ、浮遊へのイメージがつよく学生や建築家を支配していた。建築でいえばアーキグラムなどの前衛を、反体制ではなく、むしろ現実への無頓着という文脈から受け入れようとした心性をあらわしている。サブカルでいえば庄野真代の《飛んでイスタンブール》とか久保田早紀の《異邦人》(1979)とか、柳沢きみおの《翔んだカップル》とか、類似現象は多い。いわゆる「命がけの跳躍」ではない、ましてや異議申し立てではない、柔らかくかろやかな飛翔なのである。地面から遊離したデッキはそういう意味である。さらに建築はプランでも機能でもない、アプローチなのだ、などと高踏的なことを語り合った。校舎前の大樹を半周するデッキをもうけ、そこから一直線に校舎2階の窓から入館してもらう。窓は小さく、しゃがまないと入れないので、茶室の躙口のつもりなどとほざいていた。それもこれも、浮遊、アプローチ至上主義である。

だれが発案者であったか忘れたが、ぼくも中心人物のひとりであって、コーディネートなどに尽力した。とくに土木の学生はかなりこれに反対し、交渉も大変であった。このころから土木(今の社会工学)=風流を理解できない人びと、という偏見はここにはじまった。ただ粘り強く説得したので、友人たちからはあとで喜ばれた。

建築は機能でもプログラムでもない、たんに社会に貢献するなどといった単純なことでもない、ましてや国策に荷担するのでもない、しかしとりたてて反体制を叫ぶのでもない、建築は建築であってそれ以上でもそれ以下でもない、などという今となっては例外的としか思えない70年代の空気をよく反映している。昨今の動向、つまり世界遺産、文化遺産、景観、文化財保存などはネオ・リアリズムとでも呼べるのだろう。正義にむかって一直線であるが、その基盤を問いなおす時期はもっと先であろう。それとはちがって70年代はたしかに夢を見ていた。現実に根付かないことを自覚した、確信犯的な心情になりたった、もろい、はかない夢ではあったが。・・・それにしてもよくこんな写真をもっていたものだ。ただしネガを探す気にはもうなれない。

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