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2007.08.17

【書評】小倉孝誠『近代フランスの誘惑』慶応大学出版会2006/「東方旅行」カテゴリーとも関連があるので・・・

 論文集である。著者は文学畑の研究者であり、文学作品をとおして時代を語るというスタイルである。第一章「欲望と放蕩の物語---バルザック『あら皮』を読む」。『あら皮』は拙訳したラヴダンも比喩的に引用していたので夏目漱石的作品のようである。欲望がかなうほど寿命が縮むという逆説がいかにも19世紀的である。葛藤が好きなのである。第二章「風刺の美学---フローベールの『紋切型辞典』の射程」だが、蓮実重彦がしばしば引用していたこの作品は、ぼくとしては普遍的メンタリティとしてのほうが面白いのだが。「建築家 みんな愚か者。かならず家に階段を付けるのを忘れる」のだそうな。日本ならさしずめ「かならず雨漏りさせる」だろうね。そのほかは個別テーマの猟捕といったところである。

参考になったのは第三章「オリエントの誘惑」と第八章「写真と東方紀行」である。フローベールとマキシム・デュ・カンのふたりは1949年に一緒にオリエントに旅立つ。エジプト、パレスティナ、トルコ、ギリシア、イタリアを2年かけて旅行した。フローベールは古典的な文学者/旅行者であり、デュ・カンは写真家(画家もどきとして)/旅行者であり、彼らが一緒だったということが面白い。小倉氏は、当時のオリエント紀行が一種の他者遭遇を経由する自分探し、文明からの逃避、歴史的変化をへたヨーロッパとはちがって無変化ゆえに古層を残したオリエントへの憧憬、といった位置づけをしている。

 ところでぼくは、ここに論じられているオリエンタリズムはやはり文学作品というフィルターをとおした限定的なものであるのは、やむをえないと思う。建築では18世紀後半からかなりスタディ旅行がなされているし、とくにナポレオンのエジプト遠征が軍事的より学問的成果をあげたことで、パリ市内はコンコルド広場のオベリスクはいうまでもなくエジプト風の噴水やさまざまな装飾で飾られた。パリはネオ・エジプトであったのだ。さらにいえばインドはどうなっているのだろう?東インド会社はもっとまえからあったし、イギリス人たちは18世紀後半からアジア協会などを設立して組織的にスタディをしている。オリエントを経由して建築の起源を探求する試みは18世紀後半からあり、いわゆる新古典主義の一部をなす。

フローベールたちの行き先がエジプト、パレスティナ、トルコ、ギリシア、イタリアであったという点がカギになるのではないか、とぼくは勝手に解釈する。イタリアは最終的な帰還場所であると思われるが、そのイタリアでさえシチリア、ヴェネツィアなどを考えてみれば、フランス的視線のもとでは、かなりオリエント的なのである。そう、地政学的にいってこれらは本質的にオスマン・トルコであった。19世紀までの東洋は帝国の時代であった。すなわち清、ムガール朝(1526-1858)、サファヴィー朝+ガージャール、オスマン朝(1299-1922)などと並べてみると、近代国家となったヨーロッパ諸国が対決していたのはオリエントの帝国であった。しかしすでにエジプトもギリシアもオスマン朝から独立していた。トルコ自身も1853年のクリミア戦争を契機に近代化、西洋化を余儀なくされた

 つまりオリエントの解体という事態がはげしく進行していた時代に、オスマン帝国のすでに失われた領域をなぞるように旅行し写真をとるひとびとは、たんに近代から前近代を見ていただけでなく、進歩から伝統の機械的繰り返しを見ていただけでなく、西洋文明の起源を見ていただけでなく、インド亜大陸のイギリス人たちがムガール朝の後継者を自認していたとパラレルなことはほんとうになかったのであろうか、という疑問は残る。あるいはすくなくとも「オリエント」という概念が分節化されていたのではないか、という仮説である。

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