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2007.08.19

【書評】西野嘉章『二十一世紀博物館』東大出版会2000/現在を歴史にいかにつなげるかというぼくのテーマにヒントを与えてくれた。

 いささか昔の文献であるが、建築に置き換えてみて納得のいくことが多かった。分散型、ローン型、ネットワーク型の新しい運営方式を積極的に評価しつつ、官/民の役割分担の問題、21世紀にむけて、モノを貯蔵してゆくことを基礎にしてこそ領域横断的な知の探求ができるという主張である。日本は博物館と美術館を区別する珍しい国であるが、それぞれのビルディングタイプの国内法的定義はほとんどトートロジー的になっており、国際化の時代にそぐわないという根本的な指摘があった。建築ではそういうことはないのであろうか。

ル・マレ地区を歴史的街区に指定するのに功績のあったアンドレ・マルローの20世紀美術館の構想がポンピドゥー・センターとして実現された(ついでにいうとオルセは19世紀美術館、ルーヴルは18世紀まで、と棲み分けによるネットワーク化が大きな構想となっていた)ことが論のひとつの軸となっている。マルローの発想は「いま、ここ」で要約されているように、現在進行形のものをいかに歴史のなかに位置づけるかということであった。つまりまだ価値の定まっていないものを「発見し、価値付け、体系化する」(p.96)のである。ぼくが賛成するのは、ここに現在と歴史とを切断させまいとする強い意志がある、とする点である。同様なことはアルスナル美術館(パリ)の展示でも感じた。常設展としてパリの過去のプロジェクトが年代ごとに展示され、都市史的な理解ができるようになっており、企画展として紹介されている現在進行形のプロジェクトがそれとの関連で理解されるのである。

http://patamax.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_a820.html

 日本における決定的な欠陥は、まさにこの現在を歴史に繋げていこうという意志の完全な欠落である。つまり古い建物や集落が、歴史的価値があると指摘されるとき、その意味内容を建築史家であるぼくはほとんど理解できない。なぜ理解できないかというと、共通する歴史観や文化観がないからである。なぜ共有していないかというと、普通のひとびとは歴史的とされるものも、建設された時は現在のプロジェクトであった、というイマジネーションを持たないからである。現代建築もそのうち歴史的遺産となるであろうというイマジネーションを持たないからである。現在と歴史をつなごうという意志があれば、同じ視点、同じ言葉、同じ価値観で現在のものも過去のものも語れるはずである。しかし歴史的な価値というとき、それは現在から切断された歴史なのである。そこにあるのは失われたものの回復、という指向である。

 日本の保存は、近代化トラウマ、開発トラウマの裏返しである。経緯からそれは理解できるが、そこには展望はないであろう。たとえば日本の貧しい自治体は、なぜ最近できた現代建築の優れたものを、将来の文化財として育てていこうという視点がないのであろか。なぜ祖先が残してくれた遺産のことばかりをかんがえて、これから子孫への遺産を作ることを考えないのか。こんなことを考えたのは昨年、国交省主催のシンポジウムの司会を務めたことによる。地方の公共建築は、けっこう質が高い。50年メンテすればりっぱに遺産になる。じつは種子をしっかりまいているのに、その自覚がないように思える。これも建設行政=現在と、文化財行政=歴史が、タテワリ的に切れているし、市民においてもそうなのである。保存の専門家も同じようなものである。

歴史的に、文化を略奪の対象としてとらえてきたヨーロッパこそ、良くも悪くも、遺産や文化を語れるのであろう。略奪とはエルギンズ・マーブルのいような他国からのそれだけではなく、国家が王室や貴族から美術品を取り上げ、公共財にするという行為をも含む。ぼく自身は、「遺産」の概念において重要なのは「所有」の概念であり、この所有者が変わるから「遺産」なのであって、遺産相続の概念に近づけたほうがわかりやすいと考えている。たとえばフランスではすくなくとも17世紀以来、死後財産目録を記録して遺産相続に役立てる習慣があったが、文化財目録をつけるのもその延長と考えると、まったく自然に理解できる。

日本人の欠陥を裏返しにすれば、正しい道が開ける。歴史的価値は与えられるもの、とはもう考えないこと。現代建築の価値をつねに積極的に評価し、まさにそれが歴史にたえず付加されてゆくことで、自分たちの脳によって歴史的価値をつねに上書きし、豊かにしてゆこうと考えること。現代建築の価値を評価できなければ、自分たちのポートフォリオに追加される新たな遺産はない。このしごく当たり前の理論を、当たり前と思える常識をもつこと。すぐれた現代建築ができれば、いい遺産ができたと率直に喜べること。云々。

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