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2007.08.12

東方旅行(009-010)コルドバ、セヴィリア

009)1987年12月08日(火)マドリッド→コルドバ:【宿泊】Hostel ALHAKEN。一泊850ペセタ。シャワーなし。温水は出る。【状況】ここ一週間雨が続いている。列車に乗っているとき、空に晴れ間がみえた。しかしコルドバに着くとまた雨。

010)1987年12月09日(水)コルドバ、セヴィリア:【建築見学】メスキータ。大モスクは8世紀Dscn6284_3 以降。ウマイヤ朝時代のスペインの最も大規模な建物。ミヒラブのドームは、コンスタンティノポリスからや ってきた建築家がつくったそうである。塔はシリア出身の棟梁。モスク全体は、カイルーワンのモスクのように南面しており、メッカの方角を向いていない。一説によると、これは建築家がシリア出身である証拠であるそうな。つまりシリアからすればメッカは南である。レンガと石を交互に使うのもシリア風である。あれもこれもシリア風というところにウマイヤ朝の底力を感じる。内部は、柱とアーチからなる薄暗い海であった。この空間を縁取っているはずの壁面はほとんど意識されない。チュエッカはそれを「量子空間」と呼ぶ(『スペイン建築』SD選書、p.79~)。これは西洋的なパースペクティヴとは異なるものだ。そこには焦Dscn6279_2 点はない。つまり西洋的な極限、透視画法の構図は成立しない。再征服したキリスト教徒は、この薄暗い海の輪郭を破壊しようとはしなかった。そのただなかに教会堂を建設し、光をもちこんだ。水平なイスラムの空間のなかに、垂直なキリスト教の空間が交差する。そのコントラストを光がさらに演出する。ところで塔からの景色もよい。【その他】La Corredera squareでは下町、安バザール。

【移動】午後、セヴィリァに。鉄道で131km、565ペセタ。【宿泊】Pension-Cames。シャワー付。窓 Dscn9693_6 なし。1000ペセタ。【建築見学】セヴィリャ大聖堂(1402-1519)。もともとそこはアルモハド・モスクがあった敷地で、それをすべて覆わなければならなかった。教会でありながら、平面の輪郭はモスクをなぞっている。1401年に計画が決定され、140メートル×90メートルという平面を覆うこととなった。それで内陣へ一直線に空間が集中するフランスのゴシックとちがって、空間に軸性は弱い。内陣は主役ではない。交差部が空間の中心である。さらに身廊と側廊の高さがそんなに違わない。バットレスを外に出さず、その間のスペースを礼拝堂としているのはカタロニア風。もともとの聖歌隊席はデヴィリャのサン・フランシスコに似せた。ボリュームの扱いはトレド大聖堂風。ここでおもしろいのは塔から見下ろしたときの外観である。すなわち屋根がなく、ヴォールト天井の上面がそのまま見える。

 

Dscn9685_7 【考察】キリスト教建築とイスラム教建築はその出自において同根であり、混交しているが、あるていど別個に発展したのちにおいても接合可能であった。メスキータの場合は、同心円状、入れ子、などと形容できるであろう。垂直と水平の対比は鮮明である。しかし両者はむしろ無関係の関係であって、それほど交渉しているようには思えない。セヴィリャ大聖堂のほうが、平面はイスラム的、断面(架構)はキリスト教的であり、両者は混交している。

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