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2007.07.13

藤森照信論(5)強引に「生気論」アナロジーを試みる/『ザ・藤森照信』書評をかねて

エクスナレッジムックの『ザ・藤森照信』(2006)です。高過庵など最近作を紹介しつつ(独特のフォーカスの仕方による写真が模型写真のようである)、建築界100名の質問、論文、雑感をちりばめた建築界大政翼賛会的なモノグラフです。編集者は知らない人です。しかしこのような編集は、原広司、磯崎新らのためにも試みられており、建築業界人としてはとても身近なものです。

070707xknowledge_home_072006 磯崎新は利休、織部、遠州・・・という茶の湯の系譜が近代においても反復されているという歴史観をさらに延長して藤森を位置づけようとしています。鈴木博之は、あえてインテリであることを拒否することで権威であろうとする日本的藤森のイメージを描きます。岡崎乾二郎との対談は、むしろ岡崎の一人舞台でまったく対談にはなってはなくいませんが、彼の無意識=インフラ論により藤森が歴史的に位置づけられています。もっとも逆に、岡崎はすぐれて20世紀の人なんだなあとも感じます。

全体として感じるのは、論者たちが藤森をいかに歴史的に位置づけるかということに努力していることです。歴史家ではなく建築家としての藤森をいかに歴史的に位置づけるかということに腐心しています。そういう共通無意識がしぜんに浮上してきます。

さて建築史家としての藤森は、まず日本の近代化を対象とし、その悲惨と栄光を公平に描いているように思えます。つぎに、著作『人類と建築の歴史』では、古代と巨石文化に遡及することで近代を、そしてきわめて近代的な学問である歴史そのものを相対化しようとし、自分自身をも括弧にくくり相対化しようとしているようです。

しかしこれもそんなに突出したことではない。19世紀の西洋では、ラファエル前派のように中世までが本当でルネサンス以降はまがい物という視点は珍しくないからです。藤森は、日本人にはトラウマであったモダニズム・コンプレクスを、それを徹底して生きることで克服し、それを相対化するにいたった。しかしそれとてきわめて西洋的なことだとしたら?歴史を相対化するために、狭義の歴史のさらにそれ以前の、古代に遡及すること、これはときに新古典主義になり、ときにはプリミティヴィズムとなります。歴史を克服しようとすることが、さらに高次の枠組みを構築することになります。

ここで建築史の生気論性を指摘しましょう。強引だと知ってのことです。さまざまな建物ができて、それらをグループ化したりカテゴリー化したり、傾向をわりだして、時代性を描きます。だからいわゆる事後的、編集的ですが、最終的には時代精神とか芸術意欲などを想定します。だから、あたかも歴史には目的がある、あるいはあったかのごとき書き方をします。目論的といえます。もっとも歴史の構造が壊れていわゆるデータベース化すると違ったふうになりかもしれませんが。

これは機械論/生気論という二元論でいえば生気論側にあります。生気論は古代からあった考え方です。生命には霊魂があり、生命を方向づけます。受精卵をいくら分析してもどんな生命になるか構造は読み取れないが、結局しかじかの種の個体となる、だから機械論的ではなくあらかじめ目的が設定されているはずだという考え方です。ダーウィンは突然変異と自然選択という機械論的プロセスで進化はなされると考えました。ハンス・ドリーシュは、全体性という現象が生命にはみられることから、新生気論をとなえました。機械論は、偶然と機械的プロセスがすべてを支配し、生気論はある主体がものごとを導く目的や指向性をしっかりもっているという発想です。

 近代建築史はこの点で両義的で、あたらしいテクノロジーが唯物論的に近代建築を生むという発想は機械論的でありながら、様式が環境との関係で展開するというのは自然選択論的であり機械論的でありながら、それが装飾の否定、幾何学美学を生む、というのはあきらかに目的論的です。それが時代精神だなどといえば、つまり時代が精神をもつなどといえば、まさに生気論的です。

 西洋/日本、あるいは近代/伝統という葛藤(=建築史家としての藤森)をいっきに超越した(=建築家としての藤森)ものの、残念ながら日本にはほんとうの古代はなかったので、新古典主義にはならないのが藤森の現状です。しかしそれでも建築家としての藤森は、目的論的なアプローチを超えたとは思えません。人類、太古、普遍性をめざしているということは、より大きな目標の設定であるからです。彼のその勇気がいま賞賛されているのです。(つづく)

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