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2007.07.20

ル・コルビュジエ展を見て---この建築家の残した資産の、その運用のあり方はまさに世紀を象徴しているので自覚的でありたいと思う

森美術館でル・コルビュジエ展が開かれているので、出張のついでに覗いてきた。

単純化していうとアーティストとしてのコルの紹介である。絵画、彫刻、家具の比重がおおきい。もちろんモナコのアトリエや、ユニテ・ダビタシオンの原寸大模型など、内部空間が体験できるような工夫もされている。フィルミニのサン=ピエール教会堂というつい最近弟子が完成させた建物の紹介などもあった。

図録『ル・コルビュジエ 建築とアート、その創造の軌跡』は執筆者各人各様というと聞こえはいいが、ひとつの声にならない距離の隔たりが印象的であった。むろん健全なことだ。槇文彦は、コルビュジエ受容は擬洋風のそれに似ている、つまり日本人が勝手に解釈(誤解)し続けているという秀逸な見解である。磯崎新はコル崇拝をもうやめよと提案していたが、さすがに他のキュレーターはこれに言及することを避けている。黒川紀章はル・コルビュジエへの愛を率直に告白し続ける。八束はじめは都市計画家としての側面を強調することで、この分野については力がはいっていない展示のバランスをとっている。

いっぽう解説を書いているのは、むしろ没後かそれに近い時代に生まれた若い研究者たちである。だからル・コルビュジエについての解説として読むことは、ぼく個人にとってはまったく難しく、現時点での若い世代のル・コルビュジエ受容はいかに、という視点からしか読めない。歳をとったものである。

単純化すれば、古い世代は批判的距離をもって語り、若い世代はイデオロギー的思い入れはないものの、客観的だがデータベース操作的である。

ル・コルビュジエは1887年生まれで1965年没。人生は波瀾万丈だったかもしれないが、そののちは予定調和的というか計画的に事態は進展している。

没後20年とすこしして1987年、生誕100周年を祝うために、パリのポンピドゥ・センターでル・コルビュジエ展が開催された。この展覧会において、戦前は異端児にして挑発家、戦後は思想的シンパの多い建築家、となった彼がようやくフランスの代表的建築家として国レベルでの認知がなされた。

2007年はそれから20年後である。生誕120周年である。2008年には主要作品を世界遺産に登録申請するという。つまりこんどは世界的な認知である。

これはル・コルビュジエ財団が中心となって企画されてきたことだ。モードにおいても年ごとの流行色が決められるように、すでに建築文化においても展覧会や出版の企画をとおして、市場、需要と供給、がプログラム化されるようになった。21世紀とはしばらくはそうした時代であろう。文化資産の徹底的な管理運営である。

つまり没後20年に国内的認知、さらに20年のちに国際的認知というわかりやすいプログラム。ではさらに20年後の2027年はまた大イヴェントがあるのだろうか?膨大なアーカイブを資源として、世界一の建築学校とかインスティチュートなどというものを財団は考えているのだろうか?

もし2008年に世界遺産登録が認められれば、それこそル・コルビュジエ神社ではないが、彼を批判することはタブー化するであろう。だからいまのうちに批判しておかねばならない。

【批判1】この展覧会は都市的な視点が弱い。今回、DVD資料はすべて1987年のものであった。ほとんど使い回しであろう。その1987年の展覧会では、ボブールであったこともあって、都市的視点が明確であった。たとえばヴォワザン計画についてももっと大型のマスタープランがあったはずである。ボブールも20世紀初頭に非衛生街区として取り壊され、ポンピドゥセンターが建設されるまで空地であった。その敷地を含めたル・コルビュジエの計画であった。図面は生々しい迫力をもって訴えかけた。東京では、おなじ場所の感覚はもちえないことは自明としても、抽象的ではなく場所を特定したプロジェクトであったことが伝わりにくい。さらにいえば前後する他の都市プロジェクトとの比較でなければ評価できないのであるが、もちろんそんな比較論的な展示ではなかった。

【批判2】ル・コルビュジエの人柄は?ぼくの印象では、コルは張り合うのが好きな人であったようだ。庭付き戸建ての郊外住宅が展開し始めたら、immeuble-villaつまり都市型の中層集合住宅と別荘の組み合わせをしろと挑発する。郊外にいかなくともパリの都心で庭付き生活がエンジョイできる!という挑発である。量産型住宅の研究がはじまったらルシュエール住宅などというものを練り上げる。パリ市が市域拡大のマスタープランを練り始めたら、ヴォワザン計画を打ち立てる・・・・。などといった案配である。つまり他人がなにかプロジェクトを始めると、やはり自分のデザインがいいだろうといわんがばかりに、誇示する。性格が悪い。しかし建築家にとって必要なエネルギー源であったのだろう。

【批判3】これは個別的な批判だが、チャンディガールはそれほど成功しているとは思えない。とはいっても機能主義的な都市計画では無機質な都市になってしまうといったことをいっているのではない。近代建築の普遍化に失敗した、地域性を考慮していない、といったことではない。そうではなくチャンディガール、あるいはインド亜大陸のスケールに、その自然の厳しさに、ル・コルビュジエがとうとう追いつけなかった、という印象をぼくは現地でもっている。失敗ではなく敗北だ、限界の露呈だ、といいたいのである。ああいうものに張り合えるのは、たとえば一神教的な絶対的宗教観にもとづく徹底的に抽象化された建築、あるいは帝国を表象するような建築であろう。ル・コルビュジエはそれにモデュロールによる寸法と「開かれた手」というモニュメントで対抗しようとした。つまり人間化しようとした。失敗の原因ははっきりしていた。人間と宇宙が折り合うには別のものが必要だ。

【批判4】丹下健三は世界遺産にならないか?それでもル・コルビュジエは建築教育の導入にとっては優れたテキストであり、社会のなかで常識化することで、建築学生のほとんどが入学前に知っているような状況になれば喜ばしい。建築好きが増えて結構なことだが、ル・コルビュジエにかける情熱の数分の一を日本人建築家に捧げれば、よいのだが。

【批判5】槇文彦の「ル・コルビュジエ・シンドローム」論に関連して、コーリン・ロウらによるマニエリスム概念によるアプローチは、アメリカ人がいかに巨匠を受容したかという例であって、日本からこれをどう見るかという視点も必要である。ロウのル・コルビュジエ受容は、バーリントン卿によるパラディオ受容のようなものだと思うが、ロウはバーリントンを下敷きにしつつ、自らを建築史に位置づけられるような受容をしている。しかし日本人の視野には、ヨーロッパ、アメリカといった分節化が弱く、すべてル・コルビュジエ一神教的に統合されてしまうので、地政学的な理解が難しい傾向にある。

【批判6】ル・コルビュジエ財団になにを学ぶか?日本の現代建築アーカイブを運用してもらえば?日本人がこれほどル・コルビュジエ好きであるなら、いっそのこと、ル・コルビュジエ財団のブランチとして「日本現代建築財団」をつくり、そこにアーカイブをすべてあずけてしまうという案はいかがであろうか。日本人は資産運用がヘタである。私たちの建築文化資産は日本にあるかぎり毎年目減りしてしまう恐れがある。外国の専門家集団に委託し、研究戦略、文化戦略、PR戦略を練ってもらうのである。つまり浮世絵ストラテジーである。20世紀建築の現物はさほど残らない。すべてデータとして残すという戦略もありだ。利益のどのくらいの割合を日本に還元するか、契約はことこまかに決めなければならない。

■以上です。

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