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2007.07.08

1988年2月ごろのトルコ奥地

 すでにいい歳になっていたのに、壮大な東方旅行をしていました。イスラエル、ヨルダン、シリア、トルコとまわってイランに行きました。そこからパキスタン、インドという計画でした。たまたま出会ったイラン人のアドバイス等で、いちどアテネに戻ってそこから空路インドということで計画を変更しました。

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 そこですべて夜行長距離バスを利用してイスファハン、テヘラン、国境を通過し、一路イスタンブールをめざしていました。国境地帯にある、ノアの箱舟伝説で有名なアララト山を見てからそんなに時間もたっていない瞬間、パスがスリップしてご覧のような事態です。雪が車内にはいって視界が真っ白になり、一瞬、事態を理解できませんでした。

 たまたまいた日本人旅行者(当時慶応大学の学生で卒業旅行中だった)と励まし合い、ほかの乗客といっしょに雪かきなどをして国際協力しました。カルトかもしれないが、イスラムの独自の一派がいて、彼らはずっとバスのなかにこもっていたので、ほかのトルコ人、イラン人も笑っていました。半日はここですごしました。

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 バスは右にスリップしたからよかったのです。なぜなら左は谷底だったからです。けっこう悪運は強いのかもしれません。

 雪のトルコを長距離バスで旅行していたのですが、東方の奥地になると、道の左右にスリップしたり横転したりしてそのまま廃車となったトラック、バスがゴロゴロと数十台規模で放置されていました。自分たちもそうなろうとは・・・・。

 同様な光景をみたのは、ベナレスからカトマンズにゆくバス・ツアーに参加したときのことです。ガードレールのない舗装もされていない谷間の道をひたすらゆくのですが、窓からふと谷底をみると、ころげおちたバス、トラックがやはりゴロゴロしている。1台2台ではなく、ハンパな数ではありません。乗っていた人は助からないだろうな、と思いつつ。それでも窓から荷台になっている屋根によじのぼり、風を満喫するワイルドなバックパッカーもいた。

 帰国ののちも、日本人旅行者がバス事故で死亡というニュースをなんども聞きました。

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